short | ナノ

 


行かないよ、どこにも

「めんど」

授業を聞くのが億劫で屋上に逃避行をするのは何も、今に始まった事ではなかった。

高校生活も集大成。残り一年になった制服生活になんの名残惜しさも感じられないまま一日が終えていくのが当たり前で、友人はよく枯れているんだとあたしを哀れんだ。彩りを見せる筈の学生時代はあたしにとっては茶色く褪せた写真のようで、切り取られた部分だけが色だけが落ち忘れられないまま勝手に色を上書きして心に残す。これを美化とひとは言うのだろうか。それ以外のものは全てカメラに収まらなかった流れるだけの茶色い世界。時間が過ぎれば思い出すことも上書きすることさえ叶わずにただ消えていく。友人はそれを、再び強調するように哀れだと言った。

「はあ…」

色の落ちた空を見つめながら溜め息をついたところでこの空に色がつくことはない。天気が良かろうが悪かろうがあたしの見る空は全て同じ色をしていて変わることはない。あたしの色は今年の3月に無くなったまま戻ってくることはない。3月のあの日を、あたしは忘れない。

大好きな校長が学校を辞めた日を

原因は摘発だった。ある教師が大好きだった校長を教育委員会に訴えた。不正を行っていると。これでは独裁だと声をあげたその教師に名を連ねた教師は多かった。次々に退職を求める声が上がりその声はPTAへも輪を広げた。そうして大きくなりすぎた輪に収拾をつけるため、あたしの大好きだった校長は学校から退いた。大好きだったある先生と一緒に。あたしは勿論納得がいかなかったしその訴えた教師を恨んだ。しかし恨んだところで校長が再び教務につくことはないし先生が教壇に立つことは無い。恐らくもう、いや確実に、二度とふたりに会うことは出来ない。その日からあたしの色は茶色く変色し再び鮮やかな色に目を細める事はなくなったのだ。

「名前!」

「石田」

フェンス越しに校庭を眺めていると遠いところから声が聞こえた。その声があたしを呼んだ気がしたので顔をそちらに向けるとあたしの同胞が立っていた。石田三成、同じクラスにしてあたしと同じくあの時色を失ったひとり。石田の場合は褪せたというより完全に変色という方が表現が正しい。彼にはもう黒と赤の融合したグロテスクな、しかし至ってシンプルな色でしか世界が見えなくなっているらしくあたしの褪せただけの世界よりも幾分、残酷に廃れている。

「何故教室に戻ってこなかった」

痩せ細った体でずかずかと無理矢理音を立て近寄ってくる石田は相当ご乱心の様子。数ヵ月前までは絶望に怒る事さえ無かったが最近は直ぐに怒り嘆き悲しみ、憂うようになった。彼は不器用なだけで優しいのだ。そして弱い。だからこうして怒るためにあたしを迎えに来る。泣きそうな顔をして。

「どうして泣いているの」

だからあたしはいつもゆっくりと同じ質問を繰り返す。彼をあやすように直ぐ傍にいる彼の手を引き抱き寄せる彼の体は暖かくて、あたしの方が泣きそうになるから。だからそのあとは直ぐに彼の方に顔を埋める。石田の綺麗な指があたしの首筋を這って背中を滑る。彼はいつも消えてしまいそうだから、こうして彼の存在を確かめる事はあたしにとって非常に重要な事だった。

「貴様こそ、何故こんなにも冷たい」

「心があったかいから」

「嘘をつくな」

石田はゆっくりとあたしから離れフェンスにもたれるように腰を下ろした。手持ちぶさたになってしまったあたしが再び体温を求めて彼の隣に腰を下ろすと、彼の肩があたしの肩に触れた。いつまでこうしているのかと問われれば今だけだと答える事が出来る。あたしたちは悲しみと憎しみの情で固く結ばれた同胞なのだから。しかしいつになったら立つのか聞かれれば、答えはない。このどん底から立ち上がり上を向くのがいつになるのか計り知る事が出来ないからだ。

「お前は私を裏切るな…っ」

「馬鹿、当たり前じゃん」

「勝手にいなくなるな、私の目の届く範囲に、私の隣に共に私と在れ」

唸るように、嘆くように彼はあたしに噛みついた。唇に痛みが走る。赤い血が滲むと彼は満足げにそれを舐めるんだ。彼の認識出来る、血の色は鮮明な赤色。唇の離れた彼はとても嬉しそうなのに、あたしは彼の表情に色をつけることが出来ない。あたしの世界は色褪せた茶色。彼の綺麗だった瞳から溢れるのは色の無い涙。

「ねえどうして泣いているの」

色の偏った世界で2人