short | ナノ

 

「ねえ、朝だよ」

背を向ける彼があたしに返事を返すことはない。彼は情事後いつもそうしてあたしから目を背けるのだ、今に始まった事ではない。当初は傷心しこのまま二度と会わないかとも思った程彼は情事最中とそれ以外でのテンションというかポテンシャルというか。そんなものに差がある

「石田」

もう一度、既に4時を指す置時計を手に彼に問いかけてみるとようやくゆっくりとその暗闇でも透ける体が動きを見せた。石田は眠っているわけではなかったらしい。あたしの視線を捉えた彼の目はしっかりと開いていた。しかしこれも、いつもの事なのだ。私たちは終電がなくなる時間にどちらかの家に現れ朝を迎える。そうして一夜を明かし始発で自宅へと帰る。当然だ、私達のステータスは恋人ではないのだから。互いに特定の人物がいるわけでもなかったがこうして体を合わせる以外に、私たちが会う事はない。初めて彼に会った時も、終電がなくなるころだった。

「…煩い」

珍しい、彼の長くて綺麗な指が私の肌に触れたかと思いきやそのまま彼の腕の中にすっぽり納まってしまった。おかしい。いつもはそのまま起き上がってシャワーを浴びて、勝手に服を着替えて出ていくのに。彼はあたしを離そうとしない。おずおずと彼を見上げると薄暗い部屋の中彼だけが鮮明にあたしの目を焼いた。

綺麗だ

純粋にそう思った。
そうしたら勝手に私の腕が伸びて、彼の首筋に手を回して、気付いたらゆっくりと唇を合わせていた。彼は怒らなかった。元々私達の間には行為以外無駄な事はしないという暗黙のルールがあった。それは私が始めて彼とする時に、拒んだから。あの時の私は大きな失恋を体験した後だった。彼の方はどうだったのか分からない。だけど確かに私は元彼以外との口づけを拒んだのだ。しかしキスは駄目で情事はオッケーとは考えてみればおかしな話だ。しかしその恋焦がれた相手への感情も月日と共に朽ち果て残っているのは彼との関係と胸の穴。それがどうしようもなく怖くて、彼を離すまいと必死にしがみついた

「行かないで」

「ああ」

「ひとりにしないで」

「ああ」


暗黙のルール、なんて格好いい事を言ったくせに。今の私はきっと本当に惨めだ。きっと彼もそう思っているに違いない。だから彼が抱き締めてくれているのをいい事に、彼の腕の中でシーツを盾に涙を流した