short | ナノ

 

「石田」

「なんだ」

「疲れた」

彼の定位置はどこだったか。名前しか知らない存在だったかただの隣人だったか、友人だったのかそれとも、彼氏という特定の枠内に納まっていたのだろうか。今更気にする事でもないか、と名前は寝返りを打って己とは対になる方向を見ている石田の背中にぴたりとくっついた。石田の体が想像以上に温かく虚しくなるのはきっと彼との間に底知れぬ溝があるからだという事を名前は知っていた。知っているが、見ない振りを決め込んでいるのだ。ただ漠然とした現実と向き合うにはまだ幼すぎるせいだ。惨めな自分が悔しくて、憐れで、常に逃げようとしては石田に止められてきた。

「またか」

「明日が来ると思うと吐き気がする。どうして夜は明けるの」

「中学生か、貴様は」

溜め息ひとつ、石田はゆっくりと寝返りを打ち自らの背中にくっついていた名前を正面から見ると、名前は泣いていた。どうしたものか、どうして涙が出るのか考えても考えても答えは出なくて、ただ社会という枠に納まって個人より団体の中に埋もれてしまうのが怖いのだ。他者より秀でたものが無い自分はいつか誰からも必要とされなくなってしまうような気がして、ただ恐怖した。同じように頭を下げて毎日同じ動作を繰り返し、そうして一生を終えていくことに、なんの意味があるのだろうか。そう一度思ってしまったが最後、涙は止まってはくれない。この恐怖が馬鹿げているという事くらい理解している。ただどうしても、足がすくんで吐き気がして具合が悪くなって、逃げてしまいたくなる

「誰もあたしを見てはくれない」

「だから何だ」

ゆっくりと、長く伸びた髪を撫でながら石田は名前に視線を合わせた。相変わらずその瞳からは涙を流している。涙を止める術を、石田は知らない。だからただせめてその涙を見ないようにと腕の中に閉じ込めて、壊れてしまわないよう繋ぎ止める事くらいしか出来ないのだ。朝になれば、名前はまたいつも通りの笑顔で出掛けていく。だから明けないで欲しいと名前が願う反面、石田は早く夜が明ければいいと願っている。この恐怖から名前を解放するには、夜が明けるしか方法がない。

「もう眠れ。私はここにいる」

「石田くらいはあたしを、見ていてよね」



ゆっくりとその瞼を閉じる名前を見ながら、石田もその目を閉じた。明けない夜は無いとお互い、自分に言い聞かせながら