short | ナノ

 

胃が痛い。最近睡眠をろくに取らずに生活しているせいなのだろうか、昼食に少し脂っこいものを食べただけで授業の後半戦はいつも大敗。机に座ってうずくまって、お腹より少し上の部分を押さえて痛みに耐えるのがここ数週間のあたしの日課。勿論どこかに寄る余裕なんか無くて帰りのHRが終わるのと同時に前屈みのまま校門へと走り出す。トイレを我慢しているみたいに見えるかもしれないけれどそういうんじゃない。とにかくあたしは最近、胃の痛みに激しく悩まされているのだ。

「もう寝るのか?早いなあ、名前は。まるでご老人みたいだ」

「死んでちょーだい」

学校を駆け出し数十分、帰宅した我が家の自分の部屋に入りベッドに寝転んだところでベッド左側に位置している窓ががらがらと開く音がしたので物凄く後悔した。今朝窓を閉めるのを忘れていたのだろうか。目線だけを向けた窓際にはいつも通り黄色いパーカーを着た幼馴染み、徳川家康が眩しすぎて汚い笑顔を振り撒きながら躊躇無くあたしのベッドに足を下ろそうとしていた。

「どうした?具合が悪そうだな」

「胃が痛いんですあなたの顔見たら更に痛くなったので早急に窓ではなく玄関から自宅へ帰って頂けませんか?」

我が物顔であたしの寝転んでいるベッドの端に座る徳川は幼稚園からの付き合い。お隣さんという事で昔はよく遊んだのだが高校が別になってからというもの、少し会わなくなったかと思いきや家と家の距離の異常な近さを利用しあたしの部屋に窓伝いで来るようになった。高校生活も3年目、そろそろ彼女でも作ってどうにかなってくれないかと真剣に悩みながらも彼を追い払えないのは、きっとよしみというやつ。とりあえずあたしまだスカート履いたままだからそこには座んないでほしい。まあ 、今さら見られても平気なのだけれども。

「また笑ってばかりいたんだろう、名前」

「…は?」

起き上がる気にも反論する気にもなれないせいでただジロリと視界の端にいる徳川を睨む。こうやって下を見るような目線を取ると二重あごみたいになってしまうのだけれど相手が徳川ならなんの関係もない。なんの神経も使わないで気軽になんでも出来てしまう相手はきっとこの世の中に徳川くらいで、共に過ごしてきた時間というものも関係しているのかもしれないが何より彼の明るすぎる性格故にこちらが怠けていても中和されるのだ。学校では笑ってばかりでも内心面倒くさくて仕方がないし本当は泣きたいくらい悔しくても悲しくても大丈夫だと強いふりをしている。そんな無理をしなくていい唯一の他人が徳川家康。なんとも、滑稽な話だ

「それはいけないな、また無理をしている証拠だ。名前はいつもそうだぞ。少しは楽にやれ」

「そんな事言われても、それこそ無理」

「ははっ、それもそうだな」

言いながら徳川はひょい、とベッドから立ち上がりそれ以外何も言わないかと思えば体を転換させまた窓の向こうへ飛び去るように消えた。しかも窓を開けたまま。一体何をしにきたんだ。開けられたままの窓から入ってくる空気は冷たく冬の訪れを示唆している。乾燥した空気は澄んでいて綺麗な筈なのに進展した都会の空気には息を詰まらせる。途端静かになった自分の部屋で手を広げて大の字で天井なんか見上げたところで痛む胃が良くなる事は無いし淀む心が晴れることも無い。昔から変わらない天井のシミの数を数えている内に再びキリキリと胃が激しく痛み出した時だった

「名前!」

「…っ、なに、あたし今最高に胃が痛いんだけど用件なら早くして」

「これを飲むといい!」

再び窓から現れた徳川の手に見えたのは彼が愛用しているらしい紫のマグカップ。昔石田(もうひとりの幼馴染み)から貰ったとかなんとかで10年くらい、未だにそれを愛用している彼をストーカーかなにかと疑ってしまうあたしを許して欲しいという願いを込め痛む胃を外から押さえながら起き上がり差し出されたマグカップを手に取る。中身を覗くとそれはどうやらなんのヘンテツもない牛乳のようだった。手から伝わるマグカップの温かさが少しだけあたしの胃の痛みを抑えてくれたようで、あたしはそれを一口流し込んだ。

「ん、あったかい。これを作りに行ってたの?」

「ああ、そうだ。胃の痛みにはホットミルクが良いと聞いていたからな!胃に膜を張って守ってくれるそうだ」

「へえ、知らなかった」

砂糖でも一緒にいれてくれたのだろうか。飲みやすいそれを全て飲み干し横の机にそれを置くと温かさで瞼が重くなるのを感じた。少しずつ和らいでくる胃の痛みと変な緊張感から解放されたところで徳川に促されるままベッドに再び横たわると徳川もあたしに目線を合わせるようにベッド脇に腰を下ろした。あたしが弱っているからなのか元々徳川がそういう体質なのか、彼の存在があたしを酷く安心させるせいで、彼が横にいるのにも関わらずうとうととしてしまうのだ。

「眠ってもいいんだぞ?」

「でも」

「大丈夫。ワシはここにいる」

そんな優しい事、彼女でもないあたしに言うんじゃないよ。なんて言葉は飲み込んだまま、あたしは今度こそ眠りについた。手から伝わる、マグカップの温かさとは違うひとの体温を感じて、徳川が胃を押さえるあたしの手の上から自分の手を重ねてくれているんだという事が分かった。そんな格好良い台詞なんか吐いたって、惚れてなんかやらないぞ。なんて思いながらもそんな彼に感謝したのは秘密。

「もっとワシを頼れ」


今度胃が痛くない時に、マグカップを置くコースターでも買ってやろうかな。