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カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ。あたしはイライラするとどうも人差し指の爪で机でも壁でもなんでもどこでも、規則正しくそれを叩いて音を鳴らす癖がある。昔は本当にイライラした時だけ、理不尽な物言いをする教師の授業を聞いている時だとか或いは身勝手な同級生の身の上話を聞いている時くらい。我慢できる事の方が圧倒的に多くて、我慢以前に気にもならないことはもっと多かった。しかし最近はどうも気が短くなったらしい。大学の教授が3分遅れて教室に入ってくるのも許せないし約束に少しでも遅れてくる知人の事も許せない。電車で不必要にキョロキョロする他人にイライラすることもあればゆっくりと話されるだけであたしは無意識カツカツと机を叩いているのだ。大学の知り合いはあたしの事を短気すぎる、と避難した

「短気?貴様がか」

「そーらしいよ」

帰宅路についた時、高校時代の旧友にばったり遭遇しのんびりとすっかり冬景色に色を変えた道のりを歩きながら自らの近況を報告すると一瞬驚いたような表情をひとつ浮かべた後ふん、と鼻で笑われた。彼とは小学校からの付き合いで実は大学まで同じという腐れ縁なのだが幸か不幸か学部が違うために遭遇する確率が低い。半年近く目にすることもなかった友人石田は、相変わらず無表情にあたしの目を見据えてくる。

「それは喜べ、貴様は何をしてもただ不必要に笑みを浮かべ意見はおろか自分の感情さえ周りに晒すことがあまりに少な過ぎた。」

「は、そんな事」

「癇癪を起こすという感情を周りに現せるようになっただけ人間らしくなった証拠だ。昔の貴様は人間ですら無かった」

石田はいつも棘のある言葉を望んで吐く。ひとは彼を冷酷非道だと距離を置く理由のひとつが言葉であり、もうひとつが態度。お世辞にも優しいとは言えない身の振る舞いをクールだと騒ぎ立てた女子たちも今ではすっかりいなくなったと、彼と同じ学科の大谷が笑っていた。しかし何故だろうか、あたしには彼の言葉に冷酷さを感じられない。それは昔から。彼は顔で表現しないだけで言葉は自らが感じるままなのだからそれを避難するのはおかしいと思うのはあたしだけだろうか。彼にはきっとあたしより遥かに多くの感情を持ち合わせているに違いない。それに今だって、こうして短気だと避難されるあたしを誉めてくれているではないか。

「石田さ、優しいよね」

「私を侮辱しているのか?」

「いーや、感謝してるんだけど」

「私に慈悲など無い」

慈悲などないと顔を背ける石田はあたしよりもずっと強くて優しくて人間らしい。石田はいつも徳川ひとりにイライライライラしているけれど、些細な事で腹を立てるあたしよりずっと大きな理由も根拠もある。自らの意思をもって、ひとつのことに向かっている石田を見ていたらなんだか自分の愚かさに気付いてしまうような気がしてならなくて、無理にあたしを慰めているような気さえしてきて、そしたら最悪だと分かっているのにそんな事にさえイライラしてきてしまったせいで、顔を歪めてしまった。すると石田の表情も険しくなってしまったのだがああやらかしたと思った時には既に石田が口を開こうとしていた

「貴様は何を望む」

「なにも、望んでなんかいないよ」

「嘘を吐くな。貴様の目に宿る羨望の色を私はたった今初めて見た。その色を、私が受け取ってやる」

夕暮れの分かれ道、彼と別れてここをもう少し行けば我が家が待っているのに。彼の放った言葉の意味を理解しようと頭を働かせていると不意に、ぱしっという痛くもない軽い音が聞こえたかと思えばあたしの手を石田が掴んでいるのが目に入った。あたしよりも細く長い手がぎゅううっとあたしの手を握り締めて離さない。半年ぶりに顔を合わせた旧友のとる言動にいよいよ頭が疑問符を浮かべ始めたところで、彼はゆっくりとその手をあたしの手ごと持ち上げ自らの目の前まで近付けた。

「まるで子供だな」

「うるさい」

叩きすぎて平たくなってしまったあたしの左手の人差し指の爪を彼の親指の腹でなぞるように撫でながらため息を吐く石田は何を思うのだろうか。周りと同じように馬鹿げているとあたしを避難するのだとしたら、あたしもきっと彼を嫌悪せざるを得ない。


「吐き出せ。こうして表現をするのではなく。私がそれを受け止めてやる」


しかし、うつ向くあたしに降ってきた言葉は、あたしが或いは昔からずっと望んできた言葉だったのかもしれない。取られたまま離されない自分の手とそれを握る彼の手越しに見えた石田を、あたしはただじっと見つめるだけで今までの癇癪が全てどこかに飛んで行くかのような錯覚を覚えた