the cat's whiskers 前

ぽむっ、と可愛らしい音を立てて突如として現れたソレに、二人きりの事務所で戯れていた紅と髭は動きを止めていた。

「久しぶりだにゃー!」

以前、家来にすると言って紅とネロに猫耳と猫尻尾をつけたあのトラ猫である。

「うっわ…」
「…あぁ…」

紅が思わず呟いて、髭もやっと思い出したように声を漏らす。声には出さなかったが二人の心情を表すのなら、

(存在忘れてた…)
(そういや居たな、こんなの)

という感じだ。その反応を見たトラ猫は、ひらりとテーブルに飛び乗りソファーに並んで座る二人を半眼で睨む。

「…完全にニャーの事忘れてたにゃ…?」

尻尾が不機嫌そうに揺れ、紅が焦ってトラ猫に謝罪する。以前の二の舞はもう勘弁だ。

「ご、ごめんて!久々に会いに来てくれて嬉しいよ!撫でてあげるから許して…!」

柔らかい毛並みを頭から腰まで優しく撫で、喉の下を擽ってご機嫌を取る。気持ち良いのかゴロゴロ喉を鳴らすトラ猫は目を細め、仕方ないにゃあ、と呟いた。浮上した機嫌にホッとしたのも束の間、髭が余計な一言を付け加える。

「さっさと家来でも何でも作って、ずっとそいつにでも撫でてもらってりゃ良いだろ?めんどくせえヤツだな…」

折角紅と良い雰囲気で戯れていたのに。とまでは口にしなかったものの、思わぬ邪魔者に髭は少々イラついていた。それを聞いた猫の瞳がカッと大きくなる。

「めんどくせえだにゃんて失礼だにゃ!謝るにゃっ!!」

「ハッ、嫌だね」

「ちょっと、ダンテ…」

腕を組んでそっぽを向く髭を諭すように紅が名を呼んだ。鼻を鳴らしふてぶてしく踏ん反り返る彼に猫は毛を逆立て怒る。

「もう怒ったにゃ!ニャーをぞんざいに扱った事、後悔するがいいにゃっ!!」

「っ、待っ…」

紅が静止する前にトラ猫が発光する。眩しさに目を閉じた紅は頭上から降ってくる声にハッと顔を上げた。

「ふっふっふ…これでどうにゃ?」

目の前に立っているのは見知らぬ男だった。得意げに笑う唇から尖った牙が覗く。

「…んにゃ?」

「………え?」

そして、さっきまで彼がいた筈の左隣にちょこんと腰掛けるそいつを見て瞳を瞬いた。

「えっ、何?どうなってんのコレ」

愕然とする紅に男が腕を組み嬉しそうに説明する。

「ふふん、驚いたかにゃ?最近こんにゃ事が出来るようになったのにゃ」

「シャーッ!」

「怒ってももう遅いにゃ!ニャーはこの姿を暫く楽しませてもらうにゃ?その姿で猫の気持ちでも学ぶが良いにゃあ〜」

どうやらあのトラ猫が人型になり、髭が完全に猫化してしまったらしい。服をちゃんと着ているあたりどういう原理なのかは分からないが、髭が猫化している間はあのトラ猫は人型としていられるようだ。黒髪には所々に縞模様があり、金色の瞳が楽しそうに半月を描く。スラリとした手足がしなやかに動き、小首を傾げるその相貌は整っている。一方の髭はと言うと、白銀の毛並みに碧色の瞳が美しく、けれど怒っているせいで毛が逆立ち、白く尖った牙で威嚇しているようだった。猫になった髭に言いたい事だけ言って視線を紅に移した男が、顎に手を添えニヤリと笑う。

「…うーん、こうして見るとにゃかにゃか可愛いもんだにゃ?」

呆気に取られ、見下ろしてくる男と白銀の猫を交互に眺めていた紅の頬を細い指が撫でた。

「ッ、シャッ!」

「いてっ」

しかし素早い動きで猫の鋭い爪が男の手に傷を作る。紅に触れるなと言わんばかりに威嚇する猫に目を向けた男は、あっさり踵を返すとヒラヒラ手を振って去っていく。

「それじゃ、せいぜい可愛がってもらえよにゃ」

取り残された紅と髭は、静かに閉じた扉を見つめたまま暫し呆然とするしか無いのだった。

**********

「…ほんとに、ダンテ、なんだよね…?」

「んにゃぁ」

おずおず話しかけると、太腿の上に座った猫が返事をする。大きな水晶のような瞳がこちらを見上げ、長い尻尾が優しく膝を擽った。手のひらで頭を撫でると気持ち良さそうに目を細める。

「ふふ…可愛い」

思わず笑みを零す紅に、ダンテは鼻先を近付けた。暑さ故に薄手のタンクトップの上に軽くパーカを羽織っただけの彼女は、曝け出される胸元を気にも留めない。

「なに?……ひゃっ!?」

ざり、と猫特有のザラついた舌が、柔らかく押し上げる胸を舐める。瞳孔を細めちらりとこちらを見上げた猫を見て紅は悟った。この猫は、間違いなくあのおっさんだ。例え完全に猫になろうと、あの性格は変わらない。

「………サイテー」

冷めた目で見下ろせば、今度は媚びるように瞳を潤ませ見上げてくるダンテ。こいつ、猫になったばかりだというのに自分の持ち味を最大に活かしてご機嫌取りしてやがる。一瞬動揺したものの、落ち着きを取り戻した紅は思った。これは今まで受けてきた数々の悪戯の仕返しをする最大のチャンスなんじゃないか。

「ね、ダンテ」

「にゃ?」

愛くるしく小首を傾げるダンテに紅は笑顔を向けた。それは何時ものように明るく華やかなものではなく、心底面白がる満面の笑みで。

「そろそろおやつの時間にしよっか!」

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