▼ ようこそ、我が家へ
魔女とは本来時間と空間を統べるもの。自身の時を美しいままに止め、三界と煉獄を自在に行き来し、魔界の獣を喚び寄せる。熟達の魔女であれば過去を遡り未来へ翔ぶも自在。すなわち、閉ざされている世界の壁を壊さずに擦り抜ける事が可能である。
「…だからママのクローゼットを使えばリアラを元の世界へ帰してあげられると思ったの」
帰宅した両親に事情を説明したリサがしゅんと俯くのを見て、リアラはいたたまれない気持ちになった。彼女はリアラを思って一刻も早く元の世界へ帰そうとしてくれただけなのに。庇おうと口を開くと、隣に座る彼女と同じ世界のダンテがそっと遮った。彼は無精髭を撫で、まずひとつずつ疑問を解いていくことにした。
「違う世界までなんて空間移動の桁が違うと思うんだが、そこんとこどうなんだ」
「可能ですよ、我らならば」
別段特別なことでもなんでもないとばかりに緋紗が答えた。リコとリサの母でありダンテの妻である彼女は同性のリアラが見惚れてしまう程の美貌を曇らせて首を傾ぐ。移動のクローゼットは緋紗の魔力を籠めた術式が施してあり、循環する力を使うことによって使用者の力に関係なく行きたいところへ繋げてくれる代物だ。リサの落ち度は無く、そして半魔のリアラなら間違いなく元の世界へ帰れたはずである。
「依代となる物の側へ繋いでくれるはずなのですが…」
「依代って?」
「リアラと元の世界を繋ぐ導とも言えるでしょうか。例えば愛用の武具とか…」
「あ、」
独り言じみた緋紗の考察を断ったのはその異世界からの客人のひとり。その場にいる全員からの視線を受けたダンテは苦い笑いに唇を引きつらせてあるものを取り出した。
「あ、ホワイトウルフ」
大きなダンテの手の中でリアラの愛銃が白く輝いていた。本来の持ち主へ帰してやるとダンテは自分の体験を話し始めた。悪魔退治の依頼へ出かけたリアラが行方不明になったこと。事務所の机に仕舞ってあったホワイトウルフが魔力を放ったこと。不思議な暗闇の空間を導かれたこと。事の次第を全て語り終えるとリコがあー…と抜けた声を出した。
「途中まで上手くいってたんだね…」
リアラの魔力を辿り、一度は元の世界にある銃の元へ扉が繋がっていた。しかしダンテが依代を持って来てしまったために出口が消失し、仕方なく此方へ戻ってきた。ということらしい。
「ま、そんなこともあるだろうな」
起きたことは仕様がねえ。さっさと終わらせたのは、一家の主であるこちらの世界のダンテだった。リアラの知るダンテと違いきちんと髭を剃っている彼は目頭の皺をなぞりこう切り出した。
「先ずこれからのことだろ」
クローゼットを使用すれば再び世界を繋ぐことは可能だろう。しかし今度は依代が無い。リアラもダンテも愛用の武器は持って来ていたし、ケルベロスは言うまでもない。ちなみに彼はこの世界のケルベロスと共に半強制でリサの両隣に侍っていて、少女の両手はずっと毛並みを撫でている。
「暫くお時間をいただけないでしょうか?」
リアラとダンテの世界を確実に捉えるためにはアンブラの精鋭をしても時間がかかるだろう。
「じゃあそれまで二人は此処に居て貰えばいいね」
その思い付きは落ち込んでいたリサを少し浮上させたらしかった。彼女の明るい笑顔を曇らせたくはなかったが、生来控えめなリアラが遠慮がちに聞き返す。
「良いんですか?そんな」
「気にしないでよ。こっちに責任があるんだから」
「…じゃあ、世話になるとするか」
やれやれ取り敢えず一件落着といった雰囲気の中、緋紗は静かに客人たちが座るソファの前へ進み出た。そのまま両膝をついて頭を下げる彼女にリアラは目を見開く。ダンテは無言で先を待っていた。
「我々の落ち度でこのような事態に巻き込んでしまい、本当に申し訳ございません」
「そ、そんな…顔をあげてください」
慌てふためくリアラに、尚無言のダンテ。緋紗の夫も子供達も沈黙して見守っていた。魔女としての誇りの問題なのだ。有耶無耶にはしたくないと緋紗は自らの責任を述べた。
「アンブラの名にかけて、お二方を必ず元の世界へ帰すと誓います」
リアラははっと息を呑んだ。緋紗は知らない筈なのに、彼女の台詞はリコが掛けてくれた言葉と同じだった。
「アンタも大変だな」
それはダンテなりの「気にするな」という意味だったのか。その言葉に一番ほっとしたのはリアラだった。顔をあげて微笑む緋紗を、彼女の夫が立ち上がらせる。
「まあ…歓迎するぜ」
こうして悪魔狩人の一家と異世界の半魔たちとの生活が始まったのだった。