▼ 怖がり狼の笑顔(1)
ーそして、満月の日。
リサとリコはリアラとダンテの部屋に向かっていた。
「リアラ、大丈夫かなあ…」
「きっと大丈夫だよ、ダンテが一緒にいるし」
早めの夕食を終えた後、事情を話したとはいえまだ不安だからと部屋に行ったリアラは姿を見せていない。ダンテが傍にいるから心配はないだろうが、今までの彼女の苦労を思うと心配になってしまう。
「人を傷つけるかもしれないと思うと、どうしても不安になっちゃうよね…」
「そうだね。リアラは優しいから、なおさら不安になるのかもしれない」
少しでも彼女の不安を和らげられれば、そう思いながら、二人は部屋の扉の前に立つ。
コンコン、
「リアラ、ダンテ、僕だけど。入ってもいいかな?」
「ちょっと待て、今開ける」
リコが中に向かって呼びかけると、少し間を空けて返事が返ってきた。ギィ、と音を立てて扉が開き、ダンテが顔を出す。
「リアラは?」
「ベッドに座ってる。まだ少し不安そうにしてるが、落ち着いてるから大丈夫だ」
「入っても大丈夫かな?」
「ああ」
ダンテの了承を得て、二人は部屋の中に入る。電気を点けていないため中は暗く、窓から射し込む月明かりだけが床を照らしている。
「リアラにこのままがいいって言われたから電気は点けてないんだ、暗くて悪いな」
「いいよ、月明かりで充分見えるし」
「えっと…あ、リアラ」
キョロキョロとリサが辺りを見回すと、月明かりの先に細い脚が浮かんで見えた。小さく身じろぎ、ようやくリアラが口を開く。
「…リサ…」
「ごめんね、心配で来ちゃった。…近づいても、いい?」
「…うん」
リアラの了承を得て、リサはゆっくりと彼女へ近づく。ダンテとリコは二人の様子を静かに見守る。
次の瞬間、誰も予想し得なかったであろう、この場の雰囲気に似つかわしくないリサの弾んだ声が響いた。
「っ、かわいい…!」
「え、あの…?」
「本当に狼の耳と尻尾ついてる!ね、触ってみてもいい?」
「う、うん…」
「やったぁ!…わぁ、ふかふかで気持ちいい!それに手触りいいね!」
姿は見えないがどうやらリサがリアラの狼耳を撫でているらしく、リサの楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。急に変わった雰囲気にリコが目をぱちくりとさせていると、隣に立っていたダンテが吹き出し、大きな声で笑い始めた。
「…っ、ハハッ!かわいいときたか、さすがの俺も予想外だった!」
「えーと…とりあえずリサ、こっちに戻ってきてくれない?」
「あ、ごめんごめん。リアラ、行こ?」
「う、うん」
暗がりから月明かりの射し込むところへとリサが戻ってくる。彼女に手を引かれて姿を見せたリアラに、リコはへえ…と興味深そうに呟く。
「話には聞いてたけど、本当に狼の耳と尻尾が出るんだね…」
「えっと、変、かな…?」
不安気に両手を胸の前で握りしめながらリアラは尋ねる。本来耳のあるはずの場所に耳はなく、代わりに頭の上に白い毛に覆われた狼の耳があり、背後では同じ色の尻尾が揺れている。
にっこりと笑ってリコは首を振る。
「ううん、そんなことない。かわいいと思うよ」
「ほん、と…?」
「うん」
「…ありがとう」
ほっとした様子で笑うリアラの気持ちを現すかのように、伏せられぎみだった耳が上を向き、尻尾がゆらりと揺れる。あ、これすごいかわいいな。そう思いつつも彼女の恋人に何を言われるかわからないのでそれ以上何も言わず、リコは笑顔だけを返す。
「さて、と。その様子なら大丈夫そうだな、下に行くか」
「はい」
肩に手を置いたダンテに頷いたリアラは、あれ?と首を傾げる。
「どうした?」
「何か下が賑やかだな、と思って…。この声、エレンさん?」
耳を澄ませているのか、ピコピコと狼耳が動く。リアラの言葉にリコとリサも耳を澄ませてみると、確かに聞き慣れた声が下から聞こえてくる。
「本当だ。よくわかったね、リアラ」
「その耳のおかげ?」
「うん。普段も耳はいい方なんだけど、この姿だとより聞こえやすいんだ」
「そうなんだ」
「でも、こんな時間にどうしたんだろう…とりあえず下に行ってみようか」
「うん」
リアラとダンテを連れて、リコとリサは下のリビングへ向かった。
* * *
「あー、本当かわいいー!」
「あの、エレンさん…」
「よく似合ってるわ。いつもの姿もかわいいけど、この姿もかわいいわねー」
ひたすらかわいいを連呼するエレンに、リアラは頬を染めて困ったように視線を彷徨わせる。
「あー、その…ごめん、こんな状態にしちまって」
「ううん、大丈夫。エレンさんは私のこと心配して来てくれたんだもの、こっちがお礼言わなきゃ」
「すまん。落ち着いたらすぐ戻る」
「気にしないでください。せっかく来てくださったんですし、ゆっくりしていってください。いいですよね、緋紗さん?」
「ええ」
自分を見上げるリアラに、緋紗は笑顔で頷く。
こんな時間にエレン達がやってきたのは、バージルとネロ曰く、エレンがリアラを心配していて、元気づけてあげたいと言ったかららしい。とはいえ、当の本人は二階から下りてきたリアラの姿を見るや目をキラキラと輝かせて抱きつき、かわいいを連呼している。まるで小動物を愛でるかのような接し方にリアラは戸惑ったが、先程まで感じていた不安は消えてしまったから、結果的にはよかったのかもしれない。
そんなことをリアラがぼんやりと考えていると、エレンが自分から少し身体を離してネロを見る。
「ねえ、ネロも触らせてもらえば?とっても手触りがいいわよ、リアラの耳」
「…え?」
一瞬、ネロは思考が止まった。いや、母さん何言ってるんだ。母の超が付く程の天然ぶりは重々理解しているが、まさかの一言にネロは言葉が出ない。これは大変だなー、と隣りで他人事のように考えていたリコだったが、次の瞬間、愛する妹の発言で彼もネロと同じように思考が止まることとなる。
「そうだよね、せっかくだからリコも触らせてもらえば?」
「…え?」
リコは思わず顔を引きつらせる。いや、それはだめだよリサ。彼女には恋人がいるんだよ?しかも父さんと同じ存在の人が。ぐるぐると思考を巡らせるリコの気持ちなど知るはずもなく、リサは自分の恋人であるオニキスにまで同じことを言っている。リサの影から出てきた彼は苦笑して首を振っている。彼も同じことを思っているのだろう。
男子三人が困っている中、まさかの止めを刺したのは話の渦中にいるリアラだった。
「…私は別に構わないけど…」
…え。三人は思わずリアラを見る。
彼女はこてりと首を傾げていて、自分の発言がどれ程の爆弾を投下したかわかっていないらしい。オニキスは苦笑だけで済んでいるが、ネロとリコは目を見開いて固まってしまう。いやいや、よくないって。リアラがよくても俺等が困るって。うわ、後ろにいるダンテがすごい顔してるよ、触ろうもんなら殺す、って顔してるよ。リアラ、頼むから後ろに気づいてくれ、俺等が殺される。さすが従兄弟というべきか、絶妙に交わされる心の中の呟き。そして、最後に見事に重なった、二人の一言は。
(もしかして、リアラって気を許した人には無防備なのか(な)…)
しっかり者の彼女の以外な一面に、二人は思う。これは、いろいろと大変かもしれない、と。
そんな中、空気を変えてくれたのはキッチンから戻ってきた緋紗だった。