▼ fleeting moments
「ここの部分、ギターメインの方がいいんじゃねえか?サビに入る前の節で盛り上がるところだし」
「そうか?」
「俺もそう思う。けっこう激しめの曲だしさ、この部分はネロのギターメインでいこう」
「……」
「そうか、わかった。若、サビのとこは見せ場だし、もっとシャウトしてもいいと思うぜ?」
「おう。じゃあココは全力で、な?」
『Crazy Sound』でのライブまであと10日。『Crazy Sound』が休みであるこの日、若達メンバーは軽音部の部室で練習を重ねていた。
伸びをして、よし、と若は頷く。
「ちょっと休もうぜ。2時間くらいぶっ続けでやってたし」
「そうだな。じゃあ俺、飲み物買ってくる」
「サンキュー、ネロ」
「若はコーラ、ルイスはレモンスカッシュ、カイはコーヒーでよかったよな?」
「おお、よろしくなー、ネロ」
「…頼む」
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
後ろ手に手を振ると、ネロは部室を出て行く。ネロがいなくなった途端、ルイスは若の座るソファの肘掛けに寄りかかり、若の肩に手を回しながら言う。
「なあ若、今日はあの人達来ないのか?」
「あの人達って?」
「わかってんだろー、紅先輩とリアラ先輩だよ!ライブ近いし、様子見に来ないのかなって」
「あいつらなら来ねぇよ。寮に帰るって言ってたからな」
きっぱりと若が言い放つと、ルイスはえー、と唇を尖らせる。
「マジかよー、綺麗所が来ないなんて、やる気半減する…」
「お前なぁ…。ライブには必ず来るんだからいいだろ?」
「そりゃそうだけどさ、練習でも応援してもらえたら、かぜんやる気でるじゃん?しかも、あの『三華』である二人にだぜ?」
あー、会いたいなぁ、なんて呟くルイスに、若ははぁ…、とため息をつく。
ネロの同級生で、ベース担当のルイスは金髪に緑の瞳と異性にモテそうな外見をしているが、女子を見るとすぐナンパするところが難点だ。紅とリアラに初めて会った時もすぐにナンパして二人から手厳しい仕打ちを受けたというのに、全く懲りていないようである。
ブツブツと文句を言い続けるルイスに、突然ドラムのスティックが飛んできた。それは見事に彼の額に当たり、ルイスは額を抑えてうずくまる。
キッ、とスティックを飛ばした相手を睨み、ルイスは叫ぶ。
「何すんだよ、カイ!」
「お前がブツブツうるさいのが悪い。やる気がないのなら出ていけ、練習の邪魔だ」
そう言いルイスを睨み返すのは、
同じくネロの同級生でドラム担当のカイだ。黒髪黒目の日本人で、ルイスとは正反対で口数の少ない物静かな性格をしている。だが、音楽に対する熱意が強く、部活の時に一言でも怠そうな発言をした者には彼愛用のスティックが容赦なく飛んでくる。大抵お仕置きされるのはルイスで、こうやってケンカ一歩手前の睨み合いになることは日常茶飯事だ。
また始まった、と若がため息をついていると、部室の扉が開いた。
「お待たせ…って、二人共、どうした?」
「ああ、いつものやつだ、気にすんな」
「またやってんのか…。ケンカは止めろよ、キリエ達が来てるんだから」
ネロのその一言に、三人はえ、と動きを止める。
「やっほー、若!ライブの準備は順調?」
「練習お疲れ様。差し入れに紅と一緒に作ったお菓子持ってきたよ」
「私も差し入れを持ってきたの。よかったら食べて」
ネロの後ろから、紅、リアラ、キリエが顔を出した。三華の登場に、ルイスのテンションがあがる。
「紅先輩にリアラ先輩、それにキリエ先輩じゃないですか!いやぁ、学園の三華から差し入れだなんて光栄だなぁ!」
「あはは…それはどうも」
乾いた笑みを浮かべる紅に、呆れ顔のリアラ。唯一、キリエだけは純粋な笑みを浮かべている。
ルイスに程々にするよう注意しながら、若は紅達に視線を移す。
「わざわざ作ってきてくれたのか?」
「リアラの案でね。あたしは簡単なやつにして、リアラに教えてもらいながら作ったけど」
「廊下を歩いてたら、たまたまキリエに会ってね。同じこと考えてたみたい」
「二人も同じことを考えてるとは思わなかったわ。偶然にも作った物が重ならなくて驚いたけれど」
笑顔で話す三人に、ネロが声をかける。
「ずっと持ってるの大変だろ。机用意したから、ここに置けよ」
「ありがとう、ネロ」
リアラに次いで紅とキリエも礼を述べ、持ってきた差し入れを机に置く。それぞれ包み
を広げると、ふわりと甘い香りが広がった。
「あたしはクッキー作ってきたよ!プレーンと、チョコチップ入りのやつ!」
「私はガトーショコラを作ってきたわ」
「私はアップルパイを作ってきたの。おいしいといいんだけど…」
三人が持ってきた手作りのお菓子は、どれもおいしそうだ。並べられた菓子を見て、若は笑みを浮かべる。
「おお、どれもうまそうじゃん」
「三人共、わざわざありがとな」
「みんながんばってるもの、少しでもできることはさせて。今、ケーキ切り分けるね、ちょっと待ってて」
「これだけあるなら、紙のお皿とか持ってくればよかったね」
「そうね…あとフォークを持ってくればよかったな…」
「少し行儀悪くなってしまうけど、手で食べてもらったらいいんじゃないかしら。ティッシュを引いて、置き場所を作れば大丈夫でしょうし」
「そうだね、そうしよっか」
キリエの言葉に頷き、リアラは自分の持ってきたケーキを切り分ける。キリエはティッシュを折って皿の代わりを作り、紅はそれぞれのお菓子をティッシュの上に置いていく。
みんなに菓子が配られると、それぞれ自分の好きな場所に座り、食べ始めた。
「うまい!先輩達のお菓子、どれもうまいです!」
「……」
「ふふ、ありがとう」
「うまいな。紅、料理上手くなったんじゃねえ?」
「本当!?ふふっ、嬉しい」
「キリエの作った菓子食べたの久しぶりだな…うまいよ」
「本当?よかった、上手く出来てて…」
それぞれ会話を交わしながら、時間は過ぎていく。
ふと、何かに気づいたのか、キリエがネロに向かって手を伸ばす。
「ネロ、ついてる」
口元に菓子の欠片がついていたのだろう、キリエはそっとネロの口元からその欠片を取る。突然の行為に、ネロの顔は一瞬で真っ赤になった。
「…っ!」
「?どうしたの、ネロ?」
「い、いや、何でもない。ありがとう」
礼を言って顔を逸らすネロに、キリエは再び首を傾げる。その様子を見ていた若は何かを期待するように、隣に座る紅を見た。何を考えているのか察した紅は、非難するように目を細める。
「…やらないからね」
「えー、なんでだよ」
「わざわざやることじゃないし、見せることじゃないから。だいたい、若がきれいに食べればいいだけでしょ」
「ちえっ」
残念そうな顔をする若と、それを無視して黙々と菓子を食べる紅。二人の様子にくすりと笑みを浮かべたリアラに、ルイスが話しかけてきた。
「リアラ先輩、ガトーショコラもう一個もらっていいですか?」
「え?ああ、どうぞ」
「ありがとうございます!…うーん、やっぱ手作りのお菓子ってうまいですね!リアラ先輩、料理できるし、勉強もできるし、美人だし、モテそうですよね!今まで異性から告白されたことないんですか?」
「え、ええっと…」
ルイスの質問に、困ったように苦笑するリアラ。
実際は髭と付き合っているのだが、生徒と教師という関係上、公にすることができない。ましてや今いる場所は学校、少しでも噂が立ってしまえば、自分どころか髭にさえ影響を及ぼしかねないのだ。
付き合う時にそれは覚悟したことだし、幸い周りには理解してくれる人達もいるから、毎日楽しく過ごしている。それでも、こういう時に聞かれてしまうと、困ることは事実で。
ふと視線に気づいてリアラが顔を上げると、若が申し訳なさそうに片手を上げて頭を下げている。苦笑してリアラが大丈夫だと軽く首を降ったところで、ルイスが言った。
「じゃあ、よかったら俺と付き合いません?絶対退屈させませんよ!」
「え」
両手を掴まれ、発せられた言葉に、さすがのリアラも目を見開く。このままではまずいと、若とネロが立ち上がろうとした、その時。
「おーい、そこ。クラブ活動中に口説くなー。そういうのは違う時間にしろ」
突然部室の扉が開き、顧問である初代が姿を現した。後ろには髭と二代目までいる。
「初代!それに、おっさんと二代目まで…!どうしたの?」
「仕事が一段落したから、様子を見に来たんだ。髭と二代目は、たまたま廊下で会ってな」
「委員会の仕事を終えて廊下に出たら、甘い匂いがしたから…ついつられて、な」
「俺は何となくついてきただけだ。気にすんな」
それぞれに理由を述べると、三人は机に並べられた菓子に視線を移す。
「お、うまそうだな。紅達の差し入れか?」
「あ、うん。クッキーはあたし、ガトーショコラはリアラ、アップルパイはキリエが作ったの」
「よかったら食べますか?」
「お、いいのか?」
「はい。まだありますし、せっかくですから」
リアラは立ち上がって菓子の置かれた机に向かう。ルイスは残念そうな顔をすると、自分の席へと戻っていった。後ろでネロに何か言われているのが微かに聞こえる。
リアラが菓子を取り分けていると、初代が耳元に顔を寄せ、こそりと囁く。
「何で髭が来たのか、不思議だろ?髭に会った時、部活の様子見に行くのを話したついでに、お前らが差し入れ持ってここに来るって言ったんだ。そしたらあいつ、少し考える風に腕組んでな、『嫌な予感がするからついていく』って言ったんだよ。お前のことについてはどんなことでも気づくな、あいつは」
その話にリアラは目を見開き、髭を見やる。あちらも気づいたのかこちらを見返し、首を傾げた。顔を赤く染め、リアラはすぐさま視線を逸らす。
ガトーショコラとアップルパイが一つずつ配る個数が残っていなかったため、ガトーショコラを髭が、アップルパイを初代と二代目が貰い、クッキーだけ皆で分けて配った。
リアラが元の席に座ろうとすると、若がリアラを呼ぶ。
「リアラ、こっち空いてるから来いよ」
「?うん」
首を傾げながらも若と紅の座るソファに近づき、リアラは空いていた紅の隣に腰を下ろす。
それを確認すると、若は再び口を開いた。
「おっさん、ここ空いてるぜ!座れよ!」
「わ、若!?」
驚くリアラに構わず、若は髭を呼び寄せる。若の考えを察した髭は三人の座るソファに近づき、リアラの隣に腰を下ろした。
黙々とガトーショコラを食べる髭を一度見上げた後、リアラは視線を落とす。自分の左手は、髭の着る白衣の裾でちょうど隠れている。
少し思案した後、リアラは髭の白衣を小さく掴んだ。気づいた髭が、こちらに顔を向ける。
「さっき、初代から、聞きました。…ありがとうございます」
「…気にするな。ちょっと勘が働いただけだしな。…これ、うまいよ」
「…ありがとうございます」
お互いに小さく微笑み合い、束の間の一時に身を委ねた。