▼ bitter-sweet 後
部屋の明かりを消して豆球だけにすれば、室内は仄かな橙色に染まる。リアラはベッドで、紅は自室から運んできた寝具に包まってその灯りをぼんやりと眺めた。
「ねえ、リアラ」
「ん?」
「………」
「…紅?」
「リアラは…キスしたことある?」
「え?」
驚いて紅を見れば、薄明かりの中で真剣にこちらを見つめてくる瞳。その直向きな眼差しにリアラは小さく頷いた。
「…うん。あるよ」
「………そういう時って、どんな気持ち…?」
紅がおずおずと尋ね、リアラは電球を見つめながら考え込む。
「そうだなあ…。…すごく恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しくて幸せな気持ちになる…かな」
思い出すだけでも頬が熱くなる。けれど胸が幸福に満たされるから不思議だ。
「…リアラは大人だねぇ…」
しみじみと呟いて、紅は大きく溜息を吐いた。毛布を被って顔を隠してしまうと、くぐもった小さな声が聞こえてくる。その言葉を聞き逃さないよう、リアラは耳を澄ませた。
「あたし…嬉しいよりも恥ずかしくて…どうしていいか分かんなくて…。最近ずっと、若から逃げちゃってて…」
こんなんじゃダメだって思うのに、いざ彼を目の前にすると逃げ腰になる。彼が変わった訳じゃない。自分が臆病になったのだ。
「でもこんなのさ…相談するのもおかしいでしょ…?」
声が震える。じわり、と滲む視界は瞼を閉じる事で見えなくした。
「こ、こんな…臆病で…変なんだけどさ…」
恋はとっくの前に自覚していた。それが実るのを何度も夢見た。けれどいざ実現すると、胸が苦しくて、怖がる自分が嫌になる。今までの様に接したいのにそれが出来ないのが悔しい。
「…変じゃないよ」
リアラの言葉に、涙を堪えていた紅は毛布からそっと顔をのぞかせた。穏やかな微笑みを浮かべ、リアラは優しく語りかける。
「私だって最初は恥ずかしくて堪らなかったよ?今だって逃げちゃう時もあるし…」
恋人の顔で触れられると、心臓は煩く跳ね回る。年の差は経験の差でもあって、つき合ったばかりの頃は彼についていくことに必死で、彼が何を考えているかなんて考える余裕がなかった。大人なダンテはリアラを想って、いつもちゃんと逃げ道を用意してくれている事に最近やっと気付いたくらいだ。
「幸せだ、って…嬉しいって思えるようになったのは、最近になってからだよ」
だから、そんなに自分を追い詰めないで?起き上がったリアラは、腕を伸ばして紅の髪を撫でた。
「………そういう、ものかな…」
「そういうものなの」
安心させる為に笑顔を見せれば、暗がりでも分かったのか紅も笑みを返した。
「…そろそろ寝ようか」
「…うん…おやすみ、リアラ」
二人はそれぞれ寝具に身を沈めた。悩みを聞いてもらったお陰か、ここ数日睡眠不足だったことも相まって、紅はすぐに睡魔に揺れる。意識が途切れる直前、小さく呟いた。
「…リアラ…話聞いてくれて…ありがと…」
言い終えると同時に、紅は久しぶりの深い眠りに沈んでいった。
(少しは、役に立てたかな)
リアラは紅の小さな寝息を聞きながら考える。彼女の悩みは痛い程よく分かり、だからこそ何かしてあげたいと思った。
(…そうだ…)
ふと思いついて、紅が熟睡しているのを確認してからそっと起き上がる。物音を立てないよう気を配って立ち上がると、携帯電話を片手にトイレへ向かった。ここならば話し声も聞こえないだろう。ディスプレイに表示される名前を確認して発信ボタンを押す。相手は直ぐに電話に出てくれた。
「お願いがあるんです」
リアラは思いつきを実行に移すべく、耳打ちするように話し始めた。