コラボ小説 | ナノ
 declaration of love

髭の後ろ姿を見送った若は、紅から手渡された缶のプルタブに指を引っ掛けた。力を込めた途端プシッと空気の抜ける音と共に泡が溢れ出てくる。


「…ごめん、それ落としたの忘れてた」


紅が言うも時既に遅し。ぼたぼたと溢れるコーラが床を濡らす。えへへ、とだらしなく笑って誤魔化そうとする紅に、


「お前な…」


そういう事はちゃんと覚えとけ。溜め息交じりに呟いた若はコーラを一口飲んで横に置くと、何でもない事のように問い掛けた。


「で、俺には甘えてくんねーの?」


唐突な言葉に紅は、きょとん、と目を瞬かせる。


「…泣いただろ…おっさんの前で」


不意に伸びてきた指先がそっと目元をなぞった。赤みは引いたものの、付き合いの長い若にはお見通しらしい。


「も、もういいよ。いっぱい泣いちゃったし」


あんな姿をそうそう見せられる訳がない。特に若には…好きだからこそ、みっともない顔を見せたくなかった。視線を逸らす紅を見つめ、不意に若が呟く。


「…ごめん」

「…?なんで若が謝ーーーっ?」


なんで若が謝るの?尋ねようとした途中で、衝撃に言葉が詰まる。一瞬後に漸く理解した。若に抱きしめられているのだ、と。


「わ、若…?」

「………。ごめん…。お前が泣きたい時に…傍に居てやれなくて…」


耳元で小さく囁かれた謝罪と共に、回された腕に力が込められ、じんわりとあたたかな温もりが沁み込んでくる。少し苦しいくらいの力で逞しい腕に包まれて、鼻先が首筋を擽るとゆっくりと離れていった。


「若…どしたの?何で急に…そんな…」


不思議そうに問い掛ける紅の体を自分の方に向かせ、若自身も向かい合わせになる。紅の腰に手を回し指先を組んで、やんわりと退路を絶ってしまった。けれど紅が逃げ出さないのは、すぐ間近にある若の表情がいつもと違って真剣だったからだ。さっきから心臓の音が妙に煩い。碧空の瞳に見つめられて、戸惑いながらもその瞳を見返した。澄んだその瞳の奥では、冷たい印象を与える筈の碧色から熱に近いものを感じる。やがて若の唇が静かに動き出した。


「なあ…紅」

「…?なに…?」

「泣きたくなったら俺に言えよ。甘えたい時も、寂しい時も、悔しい時も、悲しい時も…」


勿論、嬉しい時だって。


「全部俺が受け止めるから」


他の男にはそんな表情見せないでくれ。懇願するように目を閉じた若はコツンと額同士をくっつけた。白銀の髪が目元を擽って、思わず紅も瞳を閉じる。


「…お前が、好きだ」


それは小さな囁きだった。雑音の無い静かな場所でさえ微かにしか聞こえない声。


「………いま、なんて…?」


自分の聞き間違いか。それとも願望が生み出した空耳か。そんな風に考えてしまい、紅は恐る恐る聞き返す。距離を取る若の動きがやけに遅く感じた。相変わらず紅の腰に腕を回したまま、すぐ近くで、今度ははっきりと告げる。碧と黎の視線が絡んだ。


「お前が好きだ…紅」

「…………っ!」


茫然としていた紅は、言葉の意味を理解すると同時に息を飲んだ。驚きに目を見開いて石像の如く硬直してしまう。たった今告げられた台詞が信じられず、一気に鼓動が跳ね上がり頭が真っ白になった。時間が止まったような錯覚を覚えて、けれども若は現実に引き戻すように紅の頬を優しく撫でる。


「…ずっと、ずっと前から紅だけだ」


こんなにも彼女を想っていたのかと自分で驚くくらいに、今まで抑えてきた感情が溢れてくる。胸を締めつける衝動のまま強く彼女を抱き締めた。


「俺を選べよ…」


紅が自分の想いを受け入れてくれるとは限らない。大切な人なら尚更、身を引いてでも彼女の幸せを願うのが美学というものなのかも知れない。…でも。


「…っ、…嫌だって言われても…離したくねえ…」


ちゃんと彼女に伝えたいのに、喉に何かが痞えたように上手く言葉に出来ない。ただ紅を強く抱き締めて、耳元で少しずつ想いを告げた。腕の中の柔らかくて小さな身体は次第に震えを大きくする。


「紅…」


怖がらせてしまったのだろうか。困らせてしまっただろうか。恐る恐る体を離して顔を覗き込んだ。ぎゅっと目を閉じた彼女の頬には透明な雫が何度も路を作っていて。


「…っふ、ぅ…っ」

「………」


泣かせたい訳じゃない。けれどこの涙の意味を知るまでは何も言えなかった。困惑する若に、紅は嗚咽交じりに告げる。


「い、いやだ…」

「っ、」

「なんて、言うわけないだろ…!バカ若…っ!」


ずっと前から若の事を見ていた。魅せられていた。離れらないのは自分だって同じだ。こんな風に告白してもらえるなんて思ってもみなかったけれど。


「…それは、Yes.って事でいいんだよな?」


若は包み込むように紅の頬に両手を添えた。親指の腹で丁寧に涙を拭って、大人しく答えを待つ。そんな彼に、紅の心臓はドクドクと激しく脈打っていた。しかし不思議と心は落ち着いている。ただ穏やかな気持ちで、止まらない涙を流して笑った。


「大好き…ダンテ…」


幸せに満ちた甘い微笑み。暫くその笑顔を目に焼き付けていた若は静かに顔を寄せた。鼻先を擦り合わせて強請る。


「…キスしたい」


素直に、その唇に触れたいと思った。この想いを伝えるのにこれ以上の言葉は不要で、確かめ合う為に触れ合いたいと。


「…ん、」


頷いて目を閉じた紅に顔を寄せる。何度この瞬間を焦がれただろう。ぷっくりと丸みを帯びた赤い唇は、重なる薄い唇を柔く受け入れた。音もしないくらいそっと触れて離れる。至近距離で見つめ合って、もう一度。

ちゅっ、

微かにリップ音がして離れた。嬉しそうに笑い合う。額をくっつけて、鼻先を擦り合わせて、甘く食んで。蜜のように蕩ける時間の中で、二人は何度も繰り返した。好き。大好き。鼓膜を震わせるのは紡がれる声ではなく、淡く重なり合う音。狂い求める欲望とは違って、切なく与える涙にも似ていた。随分長い間そうしていた気がする。ふと我に返った紅は、顔を赤くして若の肩を押した。


「ね、ちょっと…ここ病院だから…」


既に面会時間も終わり辺りに人の姿はないが、公共の場でこんな事をしていた自分に気付いて猛烈に恥ずかしくなった。引き剥がそうとするのに若は名残り惜しいのか耳元で囁いた。


「もうちょっとだけ…」

「っひゃ…っ!?」


若は熱を孕んだ唇を紅の鎖骨の辺りに押し付けて、舌先を伸ばし首筋を舐め上げた。紅は耳まで茹で上がったように真っ赤になる。


「…可愛い…」

「っ、ば、バカ…!」


彼女の拳が若の胸を小突いた。若は片腕を紅の肩に回し、もう片方の手で頭を引き寄せる。旋毛にキスをして、黒髪を優しく梳いた。


「…そろそろ良いか?」

「っ!?」


突然の髭の声に驚いて顔を上げようとする紅だったが、若に阻まれてしまう。


「チッ…いいトコだったのに」

「ごめんね、若」


舌打ちして露骨に嫌そうな顔になる若。髭の隣に立っていたリアラは止めたんだけど…、と苦笑を零す。


「ちょっ…若…!」


離して、という紅の言葉を無視して、若は更に強く抱き締める。


「…その表情(カオ)は俺だけのなんだから、じっとしてろ…」

「…っ」


紅だけに聞こえるように囁いた若は再び、髭とリアラとの会話を再開する。


「………」


顔を上げる事も出来ず、しかし恋人として抱き締められている気恥ずかしさになかなか顔の火照りは収まらなくて、紅はギュッと目を瞑った。服越しでも分かるくらい逞しい若の胸板が頬に押し付けられる。


(…あ…)


視界の利かない中で紅の聴覚は自分のものではない心音を聞き取った。ドクドクと駆け足で刻む音は、若の緊張を物語っているみたいだ。若も自分と同じように緊張していたんだと思ったら、全身から力が抜けていく。


(大好き……ダンテ)


愛しいひとの腕の中で、紅は小さく微笑んだのだった。