▼ heart to think of『I want to tell you』
「…で、何か言いたいことがあるの?若」
ずっとこちらを見てくる若に、リアラは話しかける。
「………」
なかなか言葉が出ない若にリアラは首を傾げる。
若はリアラの横たわるベッドに近づくと、おもむろにズボンのポケットに手を入れた。
「ん、落し物だ」
「あ…」
若の手に乗せられた物を見て、リアラは小さく声を上げる。
若が持っていたのは、あの男に髪を掴まれた時に落としたシュシュだった。
「拾って、くれたの…?」
「大事な物なんだろ?」
若はリアラの手の中にシュシュを落とす。手の中に落とされたシュシュを見つめると、リアラはそれを両手でぎゅっと握りしめる。
「ありがとう…」
目に涙を浮かべて礼を言うリアラに、若は照れくさそうに頬を掻くと、リアラを見つめ、口を開いた。
「…なあ、」
リアラが顔を上げる。
「怖く無かったのか」
「え…?」
リアラは目を見開く。
若はこちらを見つめたまま、続ける。
「自分が傷付くとか考えなかったのかよ」
「…。怖いとは思わなかったけど、正直、今思えば、無茶なことしたなって思うよ」
でもね、とリアラは続ける。
「あの時はとっさに身体が動いたし、それに…」
若を見上げ、リアラは言った。
「…まだ二人の思いが通じてないのに、紅を傷つけさせるわけにはいかないって思ったから」
リアラの言葉に目を見開いた若は、気まずそうに視線を逸らした。
「…俺、言った覚えねえぞ」
「何年一緒にいると思ってるの」
若と紅ほどじゃないけど、その分、けっこう周りのこと見てるんだから、とリアラは笑う。
ふと、笑うのを止めると、リアラはぽつりと呟いた。
「…ねえ、若。一年前、私がダンテさんへの恋心で悩んだ時のこと、覚えてる?」
「………、あん時は、リアラが元気無いって紅が心配してたから、理由をムリヤリ聞いたんだ」
見るからにやつれていたリアラは、泣きながら懺悔するように想いを吐き出した。見ているこちらの胸が痛くなるくらい悲痛な叫びに、若は悲しみを通り越して怒りを覚えた。何故、好き合っているのに我慢しなければならないのか、と。
「ああ、そうだったね」
リアラは苦笑する。そして、何かを思い出したようにリアラは言った。
「あの時、若に『好きなのに何で我慢する必要あんだよ』って言われたんだよね」
「…憶えてたのか」
「あれ言われた時、正直、無責任だなって思ったんだよね」
だから怒っちゃって、あれからしばらくお互いぎこちなくなっちゃったんだよね、とリアラは続ける。
若もその時のことを思い出したのか、あー…と頬を掻く。
「リアラ、相当思い詰めた顔してたんだぜ?初めて怒鳴られたしな」
クックッ、と若は楽しげに笑った。
「今思えば、感情的になったのってあれが初めてかも」
くすくすと笑い、リアラは目を細める。
「でも、あの時はいっぱいいっぱいだったからなあ」
教師と生徒という立場による世間の目と、幼なじみから異性へと変化した感情で板挟みになって、苦しんで。
「もしかしたら、友達ができないって悩んでた時より苦しかったかも」
あはは、と乾いた笑みを浮かべるリアラ。
「告白されてから一ヶ月間、ずっと悩んで苦しんだけど、結局、諦め切れなかった」
す、と目を閉じて、リアラは唐突に語り始めた。
「…冬に入って、もうすぐ雪が降るって時、ある日、ふと思ったんだ。自分と同じように、あの人も悩み苦しんだんじゃないか、って。そうしたら、ふと若のあの言葉を思い出して、いてもたってもいられなくなって…」
制服のまま、外へ飛び出した。電話で半ば無理矢理呼び出したあの人に、思いのたけをぶちまけた。そして、今度は自分から告白した。
今でも鮮明に覚えている。『お兄ちゃん』でも『先生』でもない、『ダンテさん』と呼んで、好きな人に抱き締められたあの時を。
「普通、一度断ったらそこで終わりなのに、もう一回、今度は自分から告白して、受け入れてもらえて…。私って、幸せ者だよね」
それに、とリアラは続ける。
「若には感謝してるんだよ。あの言葉に後押しされたから、今こうしてダンテさんと一緒にいられる」
だから、ありがとう。
リアラの笑顔はとても穏やかで。
「若に助けてもらった分、今度は私が若を助けようと思って」
リアラは若を見上げ、言う。
「教えて。若は…ダンテは、紅のこと、どう思ってるの?」
名で呼ばれたことで若は目を見開いたが、直ぐに真剣な眼差しを向けた。
「好きに決まってんだろ。ずっと前から、俺はアイツの事しか見えてねえ」
「…そっか」
リアラは頷いて尋ねた。
「…今の関係が壊れるのが、怖い?」
心を見透かすような視線に、若は視線を落とす。もし自分の気持ちを紅に告げて、彼女と笑い合える日々がある日突然崩れてしまうとしたら。自分は一体どうなってしまうのだろう。今更、紅が隣に居ない日々など考えられない。
「……そうだな…。今が楽しいから告わないつもりだったけど…結局俺は、怖がってるだけなのかもな」
肩を竦めた若に、リアラは笑いかけた。
「大丈夫だよ。あなた達の関係は、そんなことじゃ壊れないよ。紅は外見じゃなくて、ちゃんと中身を見てる。だから、若のこともちゃんとわかってるよ。それに、若だってちゃんと紅の中身を見てるでしょう?」
だから、大丈夫。
「それに、そんな二人だから、私は好きになったんだし」
幸せそうに、リアラは笑う。
「外見じゃなくて、ちゃんと中身を見てくれる。二人が友達で、本当によかったって思うよ」
「…俺も、感謝してる」
「…?」
「正直…最初は、あんまり喋んねえし、つまんねー奴かと思った。けどリアラのお陰でバンドも出来るようになったし、色々助けられたんだよな」
紅も以前より笑顔が増えた。若にとっては、それが何よりも嬉しい。
「ありがと、な…リアラ」
ニッ、と若は歯を見せて笑った。
「若…」
リアラは目を見開いたが、やがて柔らかな笑みを浮かべ、再び感謝の言葉を口にした。
「ありがとう…」
そのままお互いにくすくす笑い合った後、リアラは若に呼び掛けた。
「…若、伝えたいことは、ちゃんと伝えた方がいいよ。私は今だに、ダンテさんに上手く気持ちを伝えられてないから」
そう言い、リアラは目を細める。
「何でだろうね、好きなのは本当なのに、上手く伝えられなくて…。前は、もっと上手く伝えられた気がするのに」
あの人に再会するまでの十年間で、自分はすっかり変わってしまって。少しは前のように話したり、感情を表に出すこともできるようになったが、これだけはなかなか治らない。
「おっさんは分かってんだろ。お前の気持ち」
「…え?」
「誕生日にネックレス贈っただろ?俺に自慢してきたんだぜ?」
若の言葉に、リアラは目を見開く。
「ダンテさんが…?」
「リアラと漸く想いが通じた、ってな」
「そっか…」
頷き、リアラは目を閉じる。そして、小さく何かを口ずさみ始めた。
『君のことが好きだから 僕は君に伝えるよ』
「!」
『怖い気持ちもあるけれど 二人の絆は壊れないって信じているから だから僕は伝えるよ 君に好きだと伝えるよ』
歌い終えると、リアラは若を見上げた。
「これ、私と紅のお気に入りの曲なんだ。『silver tail』の『伝えたい気持ち。』っていう曲」
そう言って、優しく笑った。
「これ、若にあげる。って言っても、私の言葉じゃないけどね」
「伝えたい気持ち、か…」
「二人らしくでいいんだよ。焦らないで、ゆっくりとで」
リアラは座ったまま背伸びをすると、若の頭をポンポン、と撫でる。
「…ガキじゃねえ」
「ふふ、ごめんごめん」
子供扱いされて拗ねる若に笑みを溢しながら、リアラは謝る。
その時、ガラリと音を立てて、病室の扉が開いた。
「リアラさん、そろそろ背中の包帯を交換しましょうか」
現れたのは看護婦だ。その手には、新しい包帯とガーゼの乗ったトレイがある。
「あ、はい」
「…じゃ、俺は外に出てる」
こんな時まで中にいるわけにもいかない。若はリアラにそう告げると、扉へと向かう。すると、リアラが若を呼び止めた。
「若」
「なんだ?」
若が後ろを振り返る。
リアラは声を出さず、口の動きだけで言った。
「(がんばれ)」
若は目を見開くと、すぐに笑みを返す。
再び前を向き、若はリアラのいる病室を後にした。