▼ divine punishment
気配など、無かった。さっきまでは確かに髪を掴んでいた筈なのに、突如として現れた手に捻り上げられ、痛みに思わずナイフを手離してしまう。アスファルトとナイフがぶつかりキィンと高い金属音がする頃には、ターゲットにしていた筈の女はその男の腕の中だった。
「っな…!!?」
一瞬の出来事に驚愕する通り魔へ、髭は怒りを含んだ冷徹な視線を向ける。
「………」
「ダ、ンテ…さ…」
涙を浮かべ小さく呟いたリアラは抱き締めてくれる髭の安心する横顔に、そのまま力無く気を失ってしまった。
「…は、放せぇえ!」
捻り上げられた腕にギリギリと髭の指が食い込んでいく。通り魔が叫び逃れようと身動いだ時、その背中に影が落ちた。
「黙れ」
「…がぁっ……!!?」
若の蹴りが通り魔の首を捉え、男は横へ吹っ飛び壁へ激突する。激しく叩きつけられ悲鳴も上げられないまま、通り魔はズルズルと地面へその身を投げ出した。首の骨が折れた訳では無いが強烈な若の蹴りを受けたのだ。暫くは指一本動かす事が出来ないだろう。
「っ紅!」
すぐに若の思考は紅の事でいっぱいになった。一番離れた場所に呆然と立ち尽くす彼女の元へ駆け寄る。
「紅…!紅…っ!」
存在を確かめる様に強く抱き締めた。包み込む温もりに、感情の読めない声で紅が呟く。
「…わか…」
「もう大丈夫だから…な?」
安心させるように頬を撫でれば、彼女はやっと我に返って…
「………っ!!」
次の瞬間には、堰を切った様に涙を溢れさせた。若の服を強く握り締め、震える声が痛々しく言葉を紡ぐ。
「っ、どうしよう…!あ、あたしの、せいで…!リアラが…!リアラが!!」
「落ち着け、紅…」
何度も大丈夫だと告げて、紅を抱き締め宥めながら若は背後の髭へ視線を送る。髭は壊れ物に触れるかのように慎重に、腕の中の彼女に触れていた。
「…俺はリアラを病院へ連れて行く。致命傷じゃないが…早く手当てしてやらないとな…」
そう言った彼の腕には、リアラの血が付着している。感情を押し殺しているが、青白い顔で横たわるリアラの姿に、冷静を保とうと必死だった。
「若、あの野郎は任せる。紅は俺と病院へ行くんだ。いいな?」
有無を言わせない髭の言葉に若は一度だけ頷き、紅はしゃくり上げながらもコクコクと首を振った。
「…紅…」
心配そうに顔を覗き込む若へ
「っ…あたしは大丈夫。若も気をつけて」
紅はそれだけ告げて髭の元へ駆けて行く。髭はリアラに負担をかけない様に気遣いながら病院へ向かった。
(リアラ…!)
痛々しい姿に乱れる心を押し殺す彼は、心の中で強くリアラの名を呼んだのだった。