▽ 夜闇に浮かぶ華 10
『…ん』
鼻先に届いた匂いに、ダンテは目を開ける。窓の向こうを見やれば外は明るく、もう朝か…と起きたばかりのぼんやりとした頭で考える。
(今日も美味そうな匂いがしてるな)
すんすんと鼻を鳴らし、立ち上がって人の姿に戻ったダンテはキッチンに向かう。
「あ、おはようございます、ダンテさん」
「…ああ、おはよう」
足音に気づいたリアラは振り返って笑顔を見せる。昨日までとはまるで違う反応に、ダンテは一瞬呆気に取られて反応が遅れてしまった。
「もう少しでできますから、座って待っててもらえますか?」
「あ、ああ。…なあ、リアラ」
「?はい」
「この姿に、もう慣れたのか?」
ここ数日の彼女の様子からして、そうすぐに慣れられるはずはないと思うのだが。ダンテの問いにどう返そうか迷っているのか、リアラはえっと、と一度視線を逸らした後、ダンテに視線を戻して言った。
「慣れたというか、変に意識しなくなったというか…」
「意識?」
「はい。ダンテさんと契約したあの日、初めてダンテさんの人の姿を見て、男の人として意識して…これから男の人と一緒に暮らすんだ、って思ったら緊張しちゃって、まっすぐに顔が見られなかったんです」
仕事以外では人との関わりがほとんどなく、家族や町の人達としか接してこなかった。それが、ダンテと契約をして、一緒に暮らすことになって。パートナーになった彼と一緒に暮らすことになるのはわかっていたが、人の姿の彼を見て、誰かと一緒に暮らす、ということを強く意識してしまった。常に誰かと一緒にいる、ということに戸惑いを感じていて、彼の顔を見る度に緊張してしまっていた。
「ダンテさんが気を遣ってくれて、食事やお風呂の時以外は魔獣の姿でいてくれていることは気がついていました。それがすごく申し訳なくて、早く慣れたいってずっと思っていて…」
「……」
「…けれど、昨日、依頼を終えたあの時。自分勝手な解釈ですねって笑った私に、ダンテさんはお前のことも認めてる、もっと自信を持てって言ってくれて…。改めて、ダンテさんは優しい人だなって思ったんです。だから、変に意識しなくてもいいんじゃないかなって。この人なら大丈夫だって、思ったんです」
「リアラ…」
「…だから、その」
ゆっくりとダンテに近寄り、ためらいながらもリアラは彼の右手を両手で掴む。
「人の姿でいたい時は、人の姿でいてください。私はもう、緊張したり、戸惑ったりしませんから」
「……」
こちらを真っ直ぐに見つめてくるリアラの目を黙って見つめ返していたダンテは、やがてフ、と笑みを零した。
「…わかったよ、そうする」
左手でリアラの頭を優しく撫でると、ダンテは踵を返す。
「今日も美味い朝飯、よろしくな」
「…!はい!あの、ダンテさん」
「ん?」
椅子に座ろうとしたダンテにリアラは声をかける。
「今日は配達の件数が少ないので、もし早く終わったら、お菓子を作るので一緒にお茶しませんか?」
その言葉にダンテは目を瞬かせるが、再び笑みを浮かべて答える。
「ああ、いいぜ」
「よかった、じゃあ、せっかくですから、昨日依頼主の方から頂いた蜂蜜を使いましょうか。マドレーヌはどうですか?」
「いいな、楽しみにしてるぜ」
「はい!」
嬉しそうに笑ってキッチンに戻る彼女の後ろ姿を見送るダンテの目は、優しい色をしていた。
***
2017.11.12
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