霞がかる思考では、覚えていられることはとても少ない。

お館様のこと、鬼のこと、任務、柱。
川が流れてゆくのを止められないように、僕の中の記憶は常に流れていってしまう。

過去の記憶が思い出せない僕を、お館様は見守ってくださっている。柱の人たちも。大丈夫、重要な事は覚えているのだから、あとは強くなることに、鬼を倒すことに集中すれば、それで十分と思うんだ。


「……………あれ、ここどこ」


はっとした。
たまにこうやって、ぼんやりとした結果、道に迷うことがある。きょろりと周りを見渡すが、うーん、見覚えが、あるような、ないような?

とりあえず、あそこにある建物に入って、聞いてみようか。


「あれ、無一郎君、こんにちは」


そう思って食堂らしい建物の暖簾を潜ると、開口一番、店にいた女性に名前を呼ばれ挨拶をされた。首をかしげる。俺はこの人と話したことがあるのか。


「…誰」


どう思考を回しても思い出せなくて、思わずと怪訝に呟く。すると女性は少し驚いた表情で瞳を瞬いた。ああ、やはり知っている人だったのか。と思ったが、思い出せない程度だから、しょうがない。そう思考している間に、女性は表情を柔らかい笑みに変える。


「苗字と申します。鬼殺隊専用の食堂を任されております」
「ふぅん、じゃあ別に遠くに来ちゃったわけじゃないんだ?」
「はい。ここは柱のお屋敷にも近い場所です」


隠の者を呼びましょうか、と苗字と名乗る女性が言ったので、大丈夫と首をふる。そう遠くないのなら、そのうち烏が戻ってきて僕の家まで案内してくれるだろう。


「じゃあ、僕いくよ」


それがわかればもうここに用はないな、と再び暖簾を潜ろうとする。が、その前に女性が、あの、と声をかけてきたため再び足をとめるはめになった。行動を遮られることはあまり好きではないため、少し眉間に皺を寄せてしまう。


「時透さん」
「…何、俺忙しいんだけど」
「すみません、よければ、ご飯を食べていかれませんか」


ここは食堂なので。とその女性は言う。そう言われてみると少しお腹が空いたかもしれない。今は、八つ時を過ぎたあたりだろうか。

人もいない時間ですし、すぐにご用意します。と女性に促される。まぁ、じゃあ、貰えるものは貰おう、と席へと座ることを決めた。


「どうぞ」


あまり待たずして出されたご飯。ふろふき大根と、お米と、お漬物、お味噌汁。鮭の塩焼き。お腹がくうと鳴る。


「ありがとう」


そう言うと女性はいいえ、とんでもありませんといって、淹れたお茶を置く。


「ゆっくり食べてくださいね」
「うん」


言われ、一口箸をつける。あ、おいしい。率直にそう感じた。二口三口。ぱくぱくと食べてしまう。思っていた以上にお腹が空いていたのかもしれない。


「ねぇ」
「はい」
「僕、前もここで、ご飯食べたよね」


そう告げると苗字はまた驚いた表情をした。そのまま思い出されたんですか?と問われたため、首をふる。


「全然」
「じゃあ、どうして」
「味」
「味?」
「味が、なんか、前も食べたことあるって。ふろふき大根、前も作ってくれた?」


聞くと、苗字はその通りです、と頷いた。やっぱりそうなのか。納得し、再び箸を進める。


「前に時透さんがいらっしゃったのは一月ほど前だったかと」
「そんなに前?」
「はい」
「通りで覚えてないよね」
「そうですね」
「?なんで笑ってるの」
「いえ、」


特に笑う内容の話でもないのにニヤニヤしている苗字に怪訝な顔をする。一人で笑って気持ち悪いよ、と正直につげると、少し落ち込んだ顔したけど、俺は知らない。


「その、味、覚えてくださってるんだなって」
「なんだ、そんなこと。味覚とかはさすがに、感覚的なものだから」
「ええ、そうですよね」


でも嬉しいです。と苗字は微笑んだ。よく、笑う人だなと思う。


「…ねぇ」
「はい」
「名前、何ていうの」
「名前ですか?苗字です」
「違う、それはさっき聞いた」
「‥?」


首をかしげる苗字にはぁとため息をつく。察しが悪いんじゃない?と言うと、またすみません、と謝るけど、別に謝って欲しいわけじゃない。


「下の名前だよ」
「!…名前、と申します」
「名前」
「はい」
「僕の名前、無一郎って言うんだ」
「…無一郎、君」


ああ、やっぱり。
名前を呼ばれて、霞が少し薄れたようなしっくりとした感覚。ここに来た時彼女は僕を無一郎と呼んでいたけれど、そうか。


「前も、このやりとりしたんだね」
「…そうですね」
「ねぇ名前」
「はい」
「もしかしたら、僕は今日、迷子になっていたのではなく、最初からこの食堂に来るつもりだったのかもしれない」


忘れていても、感覚的な部分は記憶しているものだから。


「ご飯、美味しかった。また食べに来るよ。僕、多分忘れるけど、きっとまた来ると思う」


だから、そう伝えた。そしたら名前はぐしゃり少し眉を潜めて、泣きそう?なんで。俺にその感覚はわからない。


「泣き虫なの?」
「ち、違います」
「ふぅん」
「…あの、無一郎君」
「何?」
「私、覚えているので。無一郎君の好きなもの、また作ります」


だから、また、来てくださいね、と言う名前。きっと、「次」も彼女は、僕が忘れたとして、同じように名乗りご飯を出してくれるんだろう。


「こう言う時って、なんて言うんだっけ?」


なんか、あった気がすると聞くと、名前がすっと小指を差し出してきた。だから、不思議に感じながらも、習うように小指を絡める。

ああ、そうだ。珍しく思い出した。
この後は確かこう言うんでしょ?



ゆびきりげんまん



「約束、だね」








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