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幸せ


あれから炭治郎は私を解放してはくれなかった。己の邸に私を住まわせ、仕事も私の体を気遣ってか仕事を奪っていくようにして取っていかれてしまった。まだ子を授かったわけでもないのに、なんとも心配性な。

「もしそうでなかったとしても、これからいつでも側にいられるから」

だから、もう逃げられないぞ。

と、微笑んだ彼に狂気を感じたけれど、それは飲み込んで、しまうことにした。その宣言通り、私は彼から逃げることなど出来ず。部屋がないだなんて見え透いた嘘を聞きながら、同じ寝床で休めば、恋仲である私たちになにもおこらないわけもなく。

「おめでとうございます」
「ふへ……」
「ご懐妊ですよ。症状から見ても、そうとって差し支えないでしょう」

アオイさんのその言葉に、私は間抜けな声を漏らす。心配して共にここまでやってきた炭治郎は、どこかで期待していたのだろう。ふるふると震えた後に、破顔させて彼は「やったぁあ!」と声をあげて喜んでいた。

「すごい! すごいぞ小夜莉! 新しい命だ! 俺と、君の子だ!」
「……私と……炭治郎の、子……」
「そうだよ。いやぁ、ここまで来るのに、長かったなぁ……!」

涙ぐんでいる炭治郎だけれど、私は実を言うと実感が沸かなくて、放心状態だ。そんな私を見てか、炭治郎は目を瞬かせると、私の顔の前で手を振って見せる。その手の動きにはっとして、私は自分のお腹を撫でた。

「……子供……わぁ……」
「小夜莉……?」
「私、お母さんになるのね」

思い浮かんだのは、亡き母との思い出であった。あの人とは、たったの13年しか共に過ごしてこれなかったけど、立派な母であった、共に笑い、時には厳しく私を叱った。私を正しい方向へと、示してくれた。そんな母のように、私は、なれるだろうか。

あの人との思い出が浮かんでは消え、その繰り返しに私は涙を流す。そんな私の背中を炭治郎は撫でて、「大丈夫、俺もいるから」と優しく声をかけてくれた。さすがにそのままアオイさんのところにいるわけにもいかず、私たちは竈門邸へと向かう。べそべそと止まらない涙を拭う私を見て、炭治郎は問いかけた。

「不安、か?」
「……え?」
「……小夜莉から、重苦しく、そんな匂いがする」

彼には、隠し事が出来ない。そんなことは、ずっと昔からわかっていたというのに、私はそれを黙っていた。なんて愚かなのだろうか。
不安と言えば、不安である。私は、母のような素敵な母親になれるのだろうか。この子に、ちゃんとした道を指し示すことが出来るだろうか。誤った道に進ませたりはしないか。この子に悲しい想いを、いずれさせてしまうから。
竈門邸へとたどり着いて、炭治郎は私の体を気遣いながら、縁側に座らせる。

「少し待ってろ、お茶淹れてくるから」

そういって離れようとした炭治郎の裾を引っ張った。くん、と後ろへと引かれた彼は、驚いたように目を丸くして私を見つめる。そばにいてほしい。彼の体温を感じていたい。一人になりたくない。そんな思いがぐるぐると渦巻いて止まらない。私の想いを汲み取ったのか、彼は膝をついて、私の体をぎゅうっと背後から抱き寄せた。

「嫌だった?」
「……ううん、そうじゃないの、嬉しいよ。炭治郎との、子……」

ぽやっとまるで夢の中に浮遊しているかのような発言に、炭治郎はすり、と首もとにすり寄ってきた。そして安心したようにため息を漏らして、「良かった」と呟きを漏らす。

「お母さんが出来るか、不安なの」
「え……」
「ちゃんとした母親になってあげられるのかなって……私もう、お母さんとの思い出、ほとんど残っていない」

お母さんのこと、大好きだった。私もこの子にそう思われるような、そんな母親のようになりたい。でも、なれる自信がない。私はこの子のために、命を尽くす覚悟でいるけれど。

「私、あなたの妻でいられた時間も少ないのに」

それなのに、母親だなんて、唐突すぎて、それ以上言葉が出てこない。不安げに瞳を揺らし、炭治郎を見つめると、彼はじっと見つめ返したあとに、私の頭を優しく撫でる。安心させるように、そっと。温もりを与えるように、確かに。

「大丈夫。君なら出来る。だって、小夜莉なんだから」
「……なにそれ」
「そのままの意味だよ。俺だって不安だ。でも、ちゃんと父親になれるのか、なんて……そんなの、やって見なきゃ分からないだろう?」
「……うん」
「一人じゃないよ。俺たち二人で、頑張ってこの子を育てていこう」

私のお腹を撫でながら、炭治郎は落ち着かせるように私に告げる。そんな炭治郎に私は寄りかかり、すり、と彼の首もとにすり寄った。先程の彼と同じように。

「炭治郎、私」
「うん…?」
「あなたと結ばれて、よかった」

そう、心の底から思えるのだ。今は。最初こそは、彼のことを兄と重ね合わせていた。彼の長男ぶり、性格や何からなにまで、似ていると思っていた。そんな彼に引き寄せられることは容易な話であって。彼を恋愛対象として見始めたのは、いつのことやら。気づけば彼をそういう目で見ていたんだ。彼のことを好いていた。

「俺は、君にとっての『兄』のような存在になれれば、と思っていた」

でもそれも、いつからか変わってしまっていて。自分のことを兄としてではなく、一人の男として好いてほしいと思い始めた。それがいつからかなんて、明確なことは、話してもきっと覚えていないよ、と炭治郎は困ったように笑って言う。

「そんなことない。炭治郎との思い出は全部覚えてる」
「……嬉しいことを言ってくれるな。それなら、いいんだけど」
「信じてないの?」
「いいや、信じる。小夜莉の言葉だからな」

それに嘘をついたら、簡単に見破られる。匂いで感情の揺らぎを感じ取れる。あなたのそういうところ、ズルいと思う。私にもそんな力があればよかったのに、と何度思ったことだろう。

「これじゃあ、任務にはいけないね」
「いかなくていいんだ。そりゃあ、戦力は落ちるだろうけど」
「それが心配なの」
「俺が穴埋めするよ」
「ダメ。あなたが傷ついたら、お腹の子が泣いちゃう」

胸を張って告げた炭治郎に、私はそう言い返して頬を撫でた。その体にいくら傷をつければ気がすむのだろうか。柱ほどの実力になったとはいえ、あなただって人間なのだ。無敵ではない。怪我だってする。するすると指を滑らせ、その体に這わせると、ぴくっと彼の肩が揺れる。

「、小夜莉。その触りかたは」
「……やだ炭治郎。そんなつもりじゃないよ?」
「……本当に?」
「どうだろう?」

誤魔化した私の顎をつかんで、彼は勢いよく唇を重ねる。その口吸いに応じて、目を閉じた。ゆっくりと離れていくその動きは、どこか名残惜しそうである。

「……こういうことが出来なくなるのは、少し寂しいな」
「しなくていいんですよ、あなた」
「…嫌か? おまえは」
「……そうとは言ってないけど」
「ふふ、そういうところ、好きだよ」
「ん、う」

更に口づけを落とす彼の髪の毛が、さらりと落ちてきて少しくすぐったい。それでも彼は、構わずに私にその雨を降らせてきて、満足した後に私の体を抱き締めて、また私のお腹を愛おしそうに撫でるのであった。


そうして、月日は流れ。

「あ、あぅ、あ」
「ふふ、母親の呼吸、壱ノ型、抱っこ」
「なんだその呼吸は」
「私だけの呼吸、えへへ、可愛いねぇ」
「うー」

赤ん坊の体を抱き上げながら呟いた私の言葉に、炭治郎は訝しげな表情をしたけれど、笑顔である私と赤ん坊を見て、彼は視線を合わせてほっぺをつついた。

「父親の呼吸、壱ノ型、つんのこ!」
「炭治郎だけの呼吸?」
「この子の父親は、俺だけだからな。よしよし」

炭治郎と同じ、赤みのかかった瞳と髪をもって生まれ落ちたこの子は、間違いなく私と彼の子だ。あまりに彼に似すぎていて、私の血は一切継がれていないのではないかと不安になるほどであった。

「小夜莉にも似ていると思うぞ。眉の感じとか」
「炭治郎の遺伝子が濃すぎるんだよ……それで、名前決まった?」
「炭……炭……ううん、もはやこの数百年で出尽くしたんじゃないかって感じだけどな」
「名前がないと不便だよ。ねー?」
「む、それじゃあ小夜莉も考えてくれよ」
「え……」

とは、言われましても。私は彼の先代の名前などは覚えていないのだ。それなのに、私がひねり出したところで、ほとんどの確率で誰かが当てはまってしまうであろう。
やはりここは、炭治郎に任せた方が良さそうである。

「まぁ、のんびり決めていこうよ。まだ産まれて間もないわけだし」
「……うん。いや、本当に、俺たちの子なんだな……」

愛おしそうに、赤子の頬を撫でる炭治郎に、赤ん坊はくすぐったそうにして笑った。笑い声が辺りに響き渡る。風がそよそよと私たちの髪を揺らす。

「そうだよ、私たちの子」

愛おしい。腕の中にある小さな命は、きっとこれからすくすくと育っていくのだろう。それが嬉しくてたまらない、少し寂しい気もするけれど、それでも私はこの子を愛せる。だって、私とこの人の子供なのだから。
赤ん坊の手をきゅっと握り締めると、炭治郎はそっと私の体を引き寄せた。それは強引ではないけれど、しっかりしていて抵抗する間もなくすっぽりと彼の腕のなかに包まれる。端から見ればもう、私と赤ん坊ごと抱き締めているようで。

「小夜莉。顔を」

炭治郎の言葉に、私はそっと顔をあげる。見上げれば、彼の瞳は熱が籠っていて、どこか期待するような眼差しを私に向けていた。少しだけ顔を彼の方に近づけると、それに満足そうに微笑んだ彼はまた色っぽくて。優しく、それでも深く、口吸いを交わしたあとに、ちゅ、と吸い付く音を響かせて、そっと離れていく。
頬が赤らむ。熱を孕ませる。どうしようもなく、鼓動が高鳴ってしまう。赤ん坊の前で、そんな、と欲を振り切ろうとした私だったけれど、それは彼の唇に飲み込まれてしまう。

「兄弟、作ってあげたいな」

ぽつりとそう呟いて、私の輪郭をなぞった彼に、言葉の意味を理解した私はどっと羞恥の汗を吹き出してしまう。唇を震わせて、反抗の意を示そうとしたが、そんな私を見て彼は「愛らしいなぁ」なんて言って笑うから、なにも言えなくなってしまった。

「もうっ、変なこと言うのはやめてよ」
「冗談じゃなくて、本気だ。下心は……まぁあったかもしれないが」
「そんなお父さんにはなにもしてあげません。ね?」
「あ、あぅ、あー!」
「痛たたたた……髪の毛を引っ張るな……」

私の言葉に同意するかのように、炭治郎の髪の毛をぐいぐいと引っ張る赤ん坊に、笑みがこぼれる。
まさか自分が、こんな風に幸せを得られるとは思っても見なかった。こうして好きな殿方に添い遂げて、子を授かって、三人で笑い合えるだなんて、夢にまで見た光景だ。

「炭治郎」
「うん」
「愛してるよ」

誰よりも、あなたを愛している。それだけは変わらぬ真実だ。だが、これからは、もう一人、増えていくけれど。求めるように視線を向けると、炭治郎は柔く微笑んで、ちゅ、と私の唇に軽く口づけを落とす。

「俺も、愛してるよ」

嗚呼、今、
最高に幸せです。

髪の毛もまだ生えきれていない頭を撫でながら、私と炭治郎は顔を見合わせて、微笑んだ。私にも、家族が、出来たんだ。守るべき大切な家族が、再び。

「名前、やっぱり決めちゃおうか?」
「えっ、う、うーん……うーん」
「別に炭に拘らなくても」
「いや、俺の父さんが『炭十郎』で俺が『炭治郎』なんだぞ! それで先祖が『炭吉』なのだから、ここは炭を使わざるを得ないだろう!」
「炭焼きをさせるつもりなのー?」
「……鬼狩りが終わったら、そのつもりだった」

すべてが終わりを告げたら、またあの山に戻って、今度こそ別々の家ではなく、共に暮らそうと告げる炭治郎は、まるで結婚を申し込んでいるかのようだった。おかしいの、私たちはもう、夫婦だというのに。手を握ってきた彼に合わせるようにきゅっと指を絡ませる。

「一緒に帰ろう。俺の、俺たちの家に、」

紹介したいんだ、みんなに。とうきうきした様子で笑う炭治郎に、私は涙をにじませていく。それなら、私もみんなに紹介したいな、炭治郎のことやこの子のことも。旅立ったあの日から今日までのすべてのことを、兄さんたちに伝えたい。
腕の中の小さな命を抱き締めて。

私たちはその日がやって来るのを、待ち望む。