STEP.3 |
柴崎の部屋は、予想外にきれいだった。 ブラウンを基調に、家具やカーテンが揃えられている。もっと乱雑なイメージがあったが、綺麗好きなのか隅々まで掃除が行き届いているように感じた。 「なんだァ…?驚いてんな」 「あ、いや…」 「意外か?」 どうやら答えは求めていないらしい。先ほど奪い取っていった荷物を投げ返される。リビングへ足を踏み入れてからそこに立ちすくんだままだった俺は、それを受け止めようと数歩足を動かした。 落とすことなく無事に荷物を手にした俺に、柴崎は軽すぎねーか、と小さくこぼした。荷物のことだろう。 「着替えと日用品だけあれば充分、あ」 (荷物のことで精一杯で風呂…まだだ…) 固まった俺の表情に、柴崎はため息をつく。事情を察したらしく、風呂場の方をついと指差して言った。 「風呂くらい好きに使えよ。どうせ、なァ?」 「……?」 「これから一緒に生活するわけだし?」 ザァァアーーー… 他人の部屋に来て最初にすることが入浴だなんて。シャワーから降り注ぐお湯が、肌を伝う。 (…落ち着かない……しかも、) 『じゃ…じゃあ、借りる…悪いな』 『カイチョーさん顔赤ェぞ、何想像してんだか』 『ッちが、』 『あーあーうるせぇ。真面目な奴には冗談も通じねーのかよ』 柴崎はそのままシッシッと手を払って、俺を風呂場に追いやった。 相手はあの柴崎だ。期待していたわけではないが、初日なのだからもう少し遠慮というかなんというか… (…あの男は配慮の欠片もない…) なにはともあれ、すっきりした。 風呂から出て、体を拭く。寝巻きに袖を通し、髪もタオルであらかた水気をとった。 ブォーっとドライヤーで髪を乾かしながら、洗面台の鏡を見つめる。そこにうつる代わり映えのしない黒髪が、熱風に踊った。 部屋の構造がまったく同じなのは助かる。しかし、ふとした瞬間に、やはり自分の部屋とは違うのだと思わせられるのだ。 使い勝手はわかっている。困ることはない。ただ、戸惑うことはあった。例えば…匂い。 すん、と自分の髪の匂いをかぐ。体も、いつもの匂いとは違う。それにどうにも落ち着かなくて、そわそわしてしまう。 (はやく慣れるしかないな…) もう一度軽く匂いを嗅ぐ。どこか清涼感のある匂いだった。 リビングに行けば、だらっとテレビを眺めていた柴崎が振り返る。そして、そろそろ寝るぞ、と立ち上がった。 「…俺はどこで寝たらいい?」 「一人部屋でベッドは寝室に一つしかねーんだわ。つーわけで、お前はそこな」 そこ、と指さされたそれは、人が3人ほど座れそうなソファ。 別に気遣えとは言わないが、客人用の布団とか…と考えて、はたと思い直す。 わかった、とやけに素直に頷いた俺を、柴崎は驚いたような顔で見た。俺が納得するとは思っていなかったようだ。 「なんだ。部屋の主がそう言うのだから、従うのが普通だろう?」 「…そうかよ」 つまらなさそうに頭を掻く男に、仕返しができた気がして気分が向上した。 リビングなら寝室で柴崎が寝てしまっても、明かりをつけて仕事ができる。だから、これは悪い話ではない。むしろ、柴崎に構わず仕事ができるのだから、こちらにも得だ。 「そんじゃ、寝るわ」 興が醒めたと言わんばかりに、足音をたてて寝室のドアへ向かう柴崎。その背中がドアの向こうへ消える前にと、口を開く。 「あ、」 「んだよ、まだ用か」 半ばまでドアを開けて、柴崎は不機嫌そうに振り返る。もう寝る気満々のようだ。 「いやその、おやすみ」 「……」 (あれ…何かまずかったか…?) なぜそんなに目を丸くする。先ほどまで眠そうに細められていたはずのそれの変化に、俺は首を傾げた。 寝るならおやすみ、それは当たり前のことだと思っていたのだが… 「しばさき…?」 「あー、あ、ウンウン、オヤスミ」 確かめるように名前を呼べば、カタコトに言葉をつむぎ、目をふいと逸らした。開いた隙間に体を滑り込ませて、ぎこちない手つきで扉を閉める。 ぱたん、という音の向こうで、微かな衣擦れの音を聞いた。 (寝たか…) 慣れないが、慣れなくてはいけない。不慣れだと悟られることがあってはいけない、特に柴崎には。 初めてのようで懐かしいような、そんなおやすみの挨拶だった。 誰かと暮らすというのは、つまり、今まで一人では使うことのなかった言葉を使うようになるということ。 おはよう、おやすみ ただいま、おかえり 慣れていかないといけない。 この言葉を使うことにも、そして、この言葉を使われることにも。 (…こんなの、家族以外で初めてだ) 明日は、『おはよう』から。 照明を落とし、ソファに申し訳程度に置かれていたタオルケットを体にかける。 ほどよい疲れが眠気を誘い、この部屋での俺の一日は終わっていった。 |