STEP.2

部屋割り通りに香花寮の生徒に指示を出し、ちょっとしたドタバタはあったものの、なんとか期日前に一般生徒の部屋移動が完了した。とうとう明日から香花寮の工事が始まる。


そして俺たち生徒会役員はと言えば、いまだ部屋移動はせず、生徒会室での仕事を優先させていた。


「えへへー、俺はねぇ、風紀の小松君の部屋なんだよぉ!」
「知っている。くれぐれも迷惑はかけるなよ、桑原」
「かいちょーってばひどい!俺ちゃんと良い子にするもん!」


きゅっと握った両こぶしを胸の前にもってきて…ってお前は一体どこの女子高生だ。


「わかったわかった、とにかくここの修正をしてくれ」
「もぉー…またそうやって俺のことガキ扱いするぅ!」


ふわふわの茶髪を揺らしながら、会計席に戻る桑原。弟のようなその後ろ姿を微笑ましく感じていると、横から会長、と俺を呼ぶ声がした。峰だ。


「…会長はその…大丈夫ですか?移動先、柴崎委員長の部屋でしょう?」
「あぁ…まぁ、一週間くらいだしな。なんとかなるだろう」
「それでも香葉寮の工事が始まれば、今度は柴崎委員長がそちらに…」
「…、峰。もう決まったことだ。そんなに心配するな」


寮一棟の工事は一週間。香花寮と香葉寮。両棟合わせると、その工事期間は二週間となる。
その間、部屋割りで当たった者どうしは生活を共にすることになるわけで。峰が心配するのも無理はない、というか、俺と柴崎では心配は尽きないだろう。


俺自身、何も不安がないわけではない。しかし、生徒をまとめる職に就いている以上、俺も柴崎もわがままを言える立場ではないのだ。それはあの男も承知しているだろう。


峰の、何か言いたげに開かれた口が、それでも俺の意を汲んで閉じられた。
そして、複雑そうな顔をしたまま席を立つ。機嫌を損ねてしまっただろうか、と不安になったのも一瞬。お茶にしましょうといつもの笑顔を見せた峰に、ほっと胸を撫で下ろした。


副会長の彼はあまりにも優しい。
学園の王子様。そう呼ばれていることを初めて知ったときも、まさにその通りだと、素直に納得してしまうくらいには。


給湯室に消えた峰。ほのかな良い香りが、室内にただよいはじめる。あぁ、今日は紅茶か。
仕事を続けていた役員も、香りに反応してかそわそわし始めた。その様子に、口角が上がる。
峰が戻ってくれば休憩の時間だ。そう誰に言うでもなく声にすれば、桑原は待ち望んだかのように声をはずませた。普段無口な川上も、休憩となるとどことなく楽しそうな雰囲気をまとう。
休憩も大事だが、まずその仕事を片付けろよ、と。きっと今の彼らには俺の小言なんて聞こえていないのだろう。


(会長の威厳も、峰の紅茶には負けてしまうな)


休憩用というわけではないのだろうが、生徒会室には仕事に使う机とは別にテーブルとソファが置かれている。
そこに移動すると、すでに先客がいた。休憩が楽しみで仕方のないあの二人だ。


給湯室から戻った峰が、湯気ののぼる紅茶をそっとテーブルに並べていく。
やわらかな紅茶の香り。ふんわりとしたその香りは、穏やかに緩やかに仕事の疲れを癒す。これがなくてはやっていられない。


紅茶と一緒に出されたクッキーに飛びつく桑原。無言で角砂糖をティーカップに何個も落とす川上。その二人の世話を焼く峰。
どう見たってばらばらなのに、どこかまとまっている。そんな不思議な感覚。
この感覚が友人のそれであってほしいと、いつも願っている。しかし心のどこかでは気づいているのだ。
俺なんかが、こんなにも素晴らしい彼らを友人と、そう称するのさえおこがましいことに。


(遠い、)


暖かな紅茶をすすりながら、この光景を瞼に焼き付けるように目を閉じて、ひとり。小さく笑った。




「かいちょー!おっつかれぇ!」
「あぁお疲れ。また明日な」


仕事を終え、役員とわかれた。諸々の書類を提出して、その足で自室に向かいながら考える。
桑原は小松のところで、川上はどこだったか――ああ、あの風紀の用心棒のところか。峰は風紀の副と一緒だが、言わずもがな大丈夫だろう。そう考えると、一番心配なのはやはり俺と柴崎だな。と、ひとり苦笑する。


一般生徒はすでに移動を終えている。混雑を避ける意味もあって、役持ちは仕事終わりに各自移動となっていた。
おそらく柴崎のほうももう部屋に戻っているだろう。


自室で生活に必要な荷物を鞄につめる。帰省用に使っているこの鞄が、帰省以外の用途で使われることになろうとは。
着替えに歯ブラシに…あと何かいるだろうか。


これは非日常だ。そう実感した。
一週間留守にするのだからと、火の元の確認は入念にした。大丈夫だ。鞄ひとつで、主を失って暗闇に包まれた部屋を、逃げるように後にした。


(つ、ついに来てしまった…)


香葉寮。最上階の、風紀のフロア。
柴崎の部屋の、呼び鈴にそえた人差し指。震えた指先は、それでもしっかりと役目を果たす。
こんな些細なことさえも初めてで、これからちゃんとやっていけるだろうか。
どんな顔で何を言おう。いつも仕事の話しかしないせいか、これがプライベートだと自覚すると急に、どうすればいいのかわからなくなった。


そうだ。もう、呼び鈴はもう鳴らしてしまった。数秒前の己の勇気が、仇となる。


(柴崎…まだ、帰っていないのか…?)


少しの期待と、それを上回る緊張。いまだ動かないドアノブを見つめて、深呼吸をした。
あぁ、全然大丈夫じゃない。峰、お前が正しい。


しかしそれでも、来るべきときは来るようで。
がちゃり、と。耳に届いだ金属音。ついに動いたドアノブ。
あまりにもあっさりと開かれた扉の向こう、柴崎がいた。


「…あ?誰かと思えばお前かよ…」


すぐになかに戻る気満々なのか、乗り出すようにして扉をおさえる腕。もう風呂は済ませたらしく、上下スウェットを着ている。とてつもなくだるそうだ。
服装は違えど、雰囲気もテンションも完全にいつもの柴崎。脳がそう理解すると、今の今まで頭をぐるぐるまわっていた焦りやら戸惑いはすべてどこかへ飛んでいった。そして。


「部屋の移動は今日からだ。忘れていたのか?」


気づけば言葉が口をついて出ていて。己のリズムが戻ってくる、そんな感覚を味わった。


「っせーな。なんでもいいから入れよ」
「これから一週間世話にな、っおい!」


いつものように言い合いになった末。ぐん、とこちらに伸ばされた腕が、俺の持ってきた荷物を奪いとる。
当然ながら、俺の言葉を遮ったことへの謝罪すらなく。むしろ。


「玄関先でそんな堅苦しい挨拶すんな。ただでさえめんどくせーのによぉ…ったく」


こんなことを言う、それが柴崎という男だ。
言うだけ言ってなかに戻っていく。その背中を、言葉も発せず呆然と見ていた。


乱暴。
しかし、この男は。なんでもないように、この部屋に俺が入ることを許した。
気負う必要など、ないのだと。そう思ってしまってもいいのだろうか。
俺の悩みも迷いも、きっと柴崎にとっては取るに足らないちっぽけなもので。だからこそ、こうやって現に俺は、救われたのだ。


(こんなにも、簡単に―…)


この学園に来ておそらく初めての、他人の部屋。まさにプライベートの塊。
そこへの一歩は、部屋の主によっていとも容易く。


「お、おじゃまします…」


きっと彼には届いていないであろう小さな俺の声。
しかし、踏み出した一歩は、とても大きく。確かに、俺は一歩進んだのだった。


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桑原…会計
小松…風紀委員、事務処理担当
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