贈り物


明け方近くになり、静かになった屋敷へと足を踏み入れる。自室の襖を開けると、机の上にはいつものように竹の皮で包まれた握り飯がふたつと漬物が置いてある。
机の横には、水の入った桶、手拭い、浴衣。
これを用意してくれた当の本人はもう夢の中だ。既に敷いてある布団を跨いで隣の部屋へと繋がる襖をそっと開けると、桜が規則正しい寝息を立てて寝ている。
物音に敏感な桜を起こさないように静かに襖を閉め、隊服を脱いで湿らせた手拭いで体を拭いていくと、すぅっとした爽快感で体が解れていく。浴衣に袖を通して、用意された握り飯を頬張りながら報告書を書く。
ここで物音を立てようものなら、わざわざ起きてきて味噌汁を温め直してお茶まで用意するものだから、帰ってからは一挙手一投足に気を配るようになった。
桜は気が利いている。利き過ぎているくらいだ。



あれからひと月ほどして、桜が少ない荷物を抱えて我が家へとやってきた。
桜は祖父の残した鳴柱邸に一人暮らしをしていた。その屋敷をお館様へと返却するとのことで、許嫁という体ではあるものの我が家で一緒に暮らすこととなった。
急に同居となると、父上や弟もいるため桜の肩身が狭くなるのではと心配していたが、桜は人が多いと楽しいと言ってくれた。物心つく前に母上を亡くした弟の千寿郎も、実の姉がてきたようで嬉しそうにしていた。日が暮れてからは父上も俺も家を空けるため、俺としても千寿郎のことを思うと桜が我が家にいると安心して家を空けられる。

桜は料亭で働いていたことや家政婦の仕事をしていただけあって、とても気が利くし家のことなら何でもできた。特に料理が上手で、桜が作る飯は何でもうまい。千寿郎も桜に料理を教えてもらっているようで、二人はとても仲が良い。兄としても嬉しい限りだ。


ただ気掛かりなのは、あまりにも気が利き過ぎて無理をさせているのではと思うこと。そして、任務が日暮れから明け方までのことが多いため俺自身があまり桜との時間を作れていないことだ。
たまには労いたい。そう思って声を掛けることもあるが、いつも桜は「大丈夫です」「ありがとうございます」と言って何でもない顔をしてまた働く。
日中は己の稽古や千寿郎への稽古もある上に、鬼殺隊士にはなかなか休暇というものが訪れない。どうしたものか。

一通りの報告書を書き終え、布団に横になる。日中に干していたのだろうか。布団からは陽の光を吸い込んだ良い匂いがして、一気に眠気を誘い込んだ。





「おはようございます、杏寿郎さん。今食事を用意しますね」

「おはよう!頼む!」



昼前に目が覚めると、既に起きていた桜は相変わらずテキパキと家事をこなしていた。千寿郎は庭掃除をしているようだ。

厨で俺の食事を用意する桜の後ろ姿をまじまじと見つめる。艶のある黒髪をさっと結い上げていて飾りのない簪で留めてある。いつも着物の上から白い割烹着を着ているからあまり気に留めてなかったが、着物自体は小花があしらわれており随分と落ち着いた柄だ。
そういえば桜がここに引っ越してきたとき、大きな屋敷に住んでた割には荷物が少なかった。



「随分と落ち着いた柄の着物を着ているんだな」

「え?あ、これですか?母が着ていたものを繕ったんです。前働いていたところは指定の着物があったので、あんまり自分の持ってなくて。でも母の着物はそれなりにあったので、繕えば着られるものも多かったんです」



にこっと笑って、火をかけた味噌汁をかき混ぜる桜。
お館様の屋敷で会った時の桜は、艶やかな振袖を着て髪も丁寧に結い上げられていて、ほんのり化粧もしていたことは女性に疎い俺でも分かった。
彼女もまだ十代の娘だ。いくら母君の形見とはいえ、もっと年相応の格好もしたいのではないだろうか。

電球が光るように閃いた俺は桜の背中に再度言った。



「桜!」

「ひゃいっ!?」

「これから予定はあるか!」

「…え、予定、ですか?うーん…窓拭きと廊下の掃除をするつもりでしたけど…何か他にやることがありましたか?」

「街に行かないか!」

「…街?」



俺の声に少々びくついた桜に、たった今思いついた提案をする。当の本人は、首を傾げており理解が追いついていないようだ。



「街だ!たまには良いだろう!千寿郎には俺から伝えておく!」

「いや、でも杏寿郎さんもお疲れでしょう?お遣いなら私一人で行ってきますから」

「君はこの家の女中ではない!家のことは皆で分担してやっていこう。それに、君はいつも本当によくやってくれていて感謝し尽くしても足りないくらいだ!
…そうだな。俺の息抜きに付き合うと思って、一緒に行ってくれないか」



そう言って笑いかけると、桜は一瞬ぽかんとした表情をして「分かりました。準備してきますね」と笑った。
ふわりと良い匂いと共に運ばれてきた食事。さつまいもの入った味噌汁を啜ると、思わず「わっしょい!」と声が出た。既に俺の好みを覚えてくれた桜は、本当に気が利く。







* * * * *






初めて、杏寿郎さんに街へと誘われた。



煉獄家に来てからというもの、毎日が色を取り戻したかのように充実していた。杏寿郎さんそっくりの弟の千寿郎くんはとても素直で優しい子で、本当の弟ができたみたいだ。私は自分の部屋まで与えてもらい、こんなに恵まれてしまっていいのだろうかとも思う。

話には聞いていたが、鬼殺隊の生活と私達一般市民の生活は真逆で、杏寿郎さんとお父様と話す機会が少ない。特にお父様は、三年前に奥様を亡くされてから人が変わったとのこと。口数は少なく、言葉を交わすことが極端に少なかった。それでも、夜中に任務をこなして疲れて帰ってこられるであろうお二人の力になれればと思い、心ばかりの夜食と体を拭ける道具を用意するようになった。


そんなある日、杏寿郎さんから街へ出かけようと提案された。
正直、杏寿郎さんとしっかり話したのはお見合いの日くらい。街で何をするのか、道中どんな話をすればいいのか、分からないまま簡単に身支度を済ませて自室を出た。


杏寿郎さんは袴を着て既に門で待っていた。いつもは隊服姿か道着姿なので少し新鮮な感じがした。門の辺りを行ったり来たりする杏寿郎さん。薄々感じてはいたけれど、杏寿郎さんは少しせっかちだ。まぁ、遅いと文句を言われたことはないからいいのだけれど。
お待たせしました、と声を掛けると、うむ!では行こう!と言われ、二人で街へと歩み始めた。





街はとても活気があって、人が多くて賑やかだ。初めて訪れるその場所に人酔いしそうになりながらも、杏寿郎さんと肩を並べて歩いていく。
初めて会った時とは違い、私の歩幅を気にしてくれていることが伝わって、なんだか嬉しくなる。道中、最近の千寿郎くんの話をしたり、任務や修行の話を聞いたり、思いの外会話は弾んだ。


杏寿郎さんがふと足を止めた。それに倣って私も足を止める。杏寿郎さんは、着いた!と行って建物の中に入っていく。置いていかれないように急いで中に入ると、綺麗な反物がたくさん並んでいる。どうやら呉服屋のようだ。



「あら!煉獄様の坊ちゃん、よく起こしくださいました」

「うむ!女将殿、ひとつ着物を仕立ててもらいたい!あとそれに合う小物一式も!」



どうやら杏寿郎さんの着物を新調するらしい。杏寿郎さんなら何でも似合いそう、と思っていると、突然後ろから両肩をがしりと掴まれた。



「彼女に見立てていただきたい!俺は女物には滅法疎い、女将殿に任せれば間違いないと思ってな!」

「えっ?杏寿郎さん!?」

「そういうことでしたらお任せください。立派な着物を仕立てさせていただきます」



あれよあれよと、私抜きで私の話が進んでいる。どういうことなの、と頭の中がぐるぐる回る。



「杏寿郎さん、もしかして私が母のお古を着ているのを気にされているんですか?そんなお気遣いいただかなくても、」

「そうではない!ただ俺が君に贈りたいだけだ!日頃の感謝を物でしか伝えられないのはもどかしいが、君が何が好きで何をしたら喜ぶのか俺は知りたい!」

「で、でもこんな高級そうなお店…」

「何度でも言うが、君は女中ではない!俺の許嫁だ!許嫁に贈り物をすることはおかしな話ではないだろう!」



片っ端から論破されて言いくるめられると、次の言葉が出なくなった。
さあさあ、と女将さんに促され、反物選びが始まる。杏寿郎さんは少し離れたところから腕を組んで、いつものように唇をきゅっと結んでどこか満足気にこちらを見ている。これ以上拒むと却って申し訳ないかもしれない。そう思ってお言葉に甘えることにした。


店内を案内されるがまま見ていると、ひとつの反物に目が留まった。梔子色の布地に、金の刺繍があしらわれている。赤や白、紫、桃色など色とりどりの牡丹が咲き、そのどれもが派手過ぎず上品だ。綺麗。思わず声に出た。



「それが良いか?」

「えっ、と」

「桜によく似合いそうだ」

「そちらはつい先日入ってきたばかりなんです。季節を選ばずに着られる柄で重宝すると思いますよ」

「ではこの反物でお願いしたい!帯や羽織りなど他のものも併せて見立ててもらおう」

「かしこまりました」

「きょ、杏寿郎さん、」

「ん?他のが良かったか?」

「いえ、あの…ありがとうございます」

「構わん!俺も隊服の上から羽織るものを見立ててもらおうと思っていたんだ。言っただろう、今日は俺の息抜きに付き合ってほしいと」



にこ、と笑う杏寿郎さんに、再度お礼を言った。私は採寸のために女将さんに部屋を案内され、杏寿郎さんも羽織り選びを始めた。
着物に合わせるものまで一式見立ててもらい店先へと戻ると、既に自身の見立てが終わった杏寿郎さんが待っていた。



「杏寿郎さん、お待たせしました」

「うむ!仕立てが終わったらまた一緒に受け取りに来よう!」

「はい。本当にありがとうございます」

「…桜、後ろを向いてくれないか」

「え?」



くるりと後ろを向かされたと思ったら、纏めた髪を軽く押さえられた。カチャカチャといくつかの金属音がして、うむ、と杏寿郎さんの声がする。



「女将殿!これもひとつ頼む!包みは不要だ!」

「はい、ありがとうございます。今付けられますか?」

「そうしてもらえるだろうか!」



女将さんに髪を解かれ、また結い上げられる。近くの鏡を見ると、漆塗りの赤い平打簪。金や白、桃色の小柄な花が描かれている綺麗な簪だ。



「杏寿郎さん、これ…」

「…他のが良かったか!」

「いえ!とても素敵です!…でも、簪って…」

「…いずれは夫婦となるのだ!今贈ってもいいだろう!」



そう言って目を合わせず言い張る杏寿郎さんの耳は、髪に隠れているがほんのり赤い気がする。女性に簪を贈るのは、求婚の時だ。まさか今貰うとは思っていなかった。


"一度決めた相手とは添い遂げると約束しよう"


お見合いの時に、杏寿郎さんがそう言ってくれたことを思い出した。
頬が緩む。私は、今日何度目か知らないありがとうを、杏寿郎さんに伝えた。







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