炎の人
あまね様が訪れた日から半月後、黒づくめの服を着た方が屋敷を訪れた。 思った以上にトントンと話が早く進み、お見合いの日が来た。お見合いの場も準備も全てあまね様達がしてくださるとのことで、お言葉に甘えることとなった。 早朝に迎えに来られた方は"隠"という鬼殺隊を支える方らしい。産屋敷邸の場所は分かりにくいようにしているらしく、屋敷までは隠の方々数名が私を受け渡しながら行くとのこと。人力車に乗せられて、目隠しをされて物凄い速さで風を切って走っていく。 どれくらいの時間が経っただろう、目隠しを解かれると立派な屋敷が目に飛び込んできた。 「桜様、ようこそおいでくださいました。どうぞ、ご案内致します」 私を待っていたあまね様に促され、屋敷に足を踏み入れる。部屋に通され、使用人と思われる方々に囲まれ身支度を整えられる。見るからに高そうな振袖に、綺麗に結われた髪、薄く引かれた桃色の紅。鏡に映る自分は、いつもの自分とは全く違った。 身支度が一通り終わると、あまね様に連れられてまた違う部屋へと通される。そこには、一人の男性が座っていた。 「はじめまして、桜。私はこの屋敷の当主、産屋敷耀哉だ。今日はこの話を受けてくれてありがとう」 「は、はじめまして。御嶽桜と申します。本日はどうぞ、よろしくお願い致します」 ふわふわと優しい声に、耳が癒される。なぜか母を思わせるその声はとても耳触りが良かった。産屋敷様、耀哉様は優しい目でこちらを見つめている。そのお顔は額から片目を覆うように色が変わっている。ご病気なのだろうか。 「桜、お祖父様とお父上にはこの鬼殺隊に大変貢献してくれた。心から感謝しているよ。お母上とお姐様方を亡くして、さぞ辛かっただろう。今日は来てくれて嬉しいよ」 「えっ…私の家族のことをご存知なのですか?」 「勿論だよ。みんな大切な私の子供達だ。忘れる訳が無い。お祖父様もお父上もね、桜のことを本当に大切に思っていたんだよ。きっと杏寿郎なら、桜を大切にしてくれるだろう」 祖父と父を慈しむように話す耀哉様の声に、涙が溢れた。優しい言葉。祖父も父も、この声を聞いて励まされた日があったのかもしれない。 化粧が落ちてしまいますよ、と、私の横に座っていたあまね様が手拭いを貸してくださった。 久々に触れた人の優しさに、涙を堪えきれない。 「もう少しで来るだろうから、お茶でも飲んで落ち着いておいで。また後で話をしよう」 そう言う耀哉様に、ありがとうございます、と頭を下げてあまね様と部屋を後にした。 * * * * * 「失礼致します!お館様!煉獄杏寿郎、参りました!」 化粧を直してもらい、お茶をいただき一息ついていると屋敷がビリビリと揺れそうなくらいに大きな声が響き渡った。お見合いのお相手だろうか、こんなに大きな声を先に聞くと少しばかり恐怖心が芽生えてくる。行きましょうか、というあまね様に、震える声で返事をした。 案内された部屋の前で正座をする。障子ひとつで区切られた向こうには、先程の大声の主がいる。あまね様が障子を開けると同時に、私は頭を下げた。 「は、はじめまして、御嶽桜と申します。本日はどうぞ、よろしくお願い致します」 訪れる静けさに、気まずくて背中を汗が伝う。ひと呼吸置いて、相手方から「うん?」と声がした。 「よもや、君は昨年山で会ったお方ではないか!」 頭を上げると、炎を思わせる頭髪に猛禽類のような瞳。忘れるはずもない、印象的な容姿。 一年前、私を鬼から救ってくれた、あの炎の人だ。 「おや、知り合いだったのかい?」 「はい!昨年、入隊直後の任務で一度お会いしたことがあります!」 「よかった。杏寿郎、桜はとても緊張しているんだ。今日は堅苦しいことはしないから、二人でゆっくり話しておいで。私も槇寿郎と話をしたいんだ」 「御意!」 すくっと立ち上がった炎の人は私の前に来て、少し出よう!と手を伸ばしてきた。言われるがままにその手に自分の手を重なると、にこっと笑いゆっくりと手を引かれた。 きっとこの方のお父上であろう、そっくりな見た目のお方に頭を下げてその場を後にした。その目は炎の人とは相対的で隈が酷く、疲労感が滲んでいた。 「御嶽桜殿と言ったな、桜と呼んでもいいだろうか!俺は煉獄杏寿郎だ!」 「よ、よろしくお願い致します。煉獄様」 連れられた場所は産屋敷邸の広大な庭だった。炎の人、煉獄様は歩くのが速く、足並みを揃えようとすると砂利に足を取られそうになる。それに気付いた煉獄様は振り返り、釣り上がった眉を少しだけ下げた。 「すまない、速かっただろうか」 「いえ、私が遅かっただけですので、」 「腰掛けて話すとしよう!」 煉獄様はスタスタと縁側へ向かい腰掛け、隣をトントンと叩いた。君も座るといい、と言われ、私はそれに倣い煉獄様の隣に座った。 「相手が君とは思わなんだ、あれからは大丈夫だったか?」 「はい、日雇いで仕事をしながら何とか…あの時はありがとうございました」 「礼など必要ない、鬼を狩るのが鬼殺隊だ。君が無事で良かった」 また煉獄様は、にこっと笑った。お日様のように笑う人だなぁ。釣られて私も笑った。 それから煉獄様は色んな話をしてくださった。煉獄家代々の話、柱であるお父上の話、お母上の生前の話、幼い弟様の話。鬼殺隊についてや、最近の任務の話など、ハキハキと歯切れ良く話す煉獄様のお話は聞いていて飽きが来なかった。 「む、すまない!俺ばかりが話しているな!」 「いえ、煉獄様のお話は面白いです」 「君の話も聞きたい!」 「私の話、ですか?」 「ああ!話してくれないか!」 「…私の話など、煉獄様に比べたら取るに足らないことばかりですよ」 「そんなことはない!俺は君のことが知りたい!」 真っ直ぐに私を見つめる煉獄様は、私が話し始めるのを静かに待っていた。 唇に力を入れて、私はぽつりぽつりと話し始める。 「…祖父は元鳴柱で、父も鬼殺隊士でした。二人とも、私が五つの時に亡くなりました。それからは母と二人で暮らしておりましたが、その母も七つの時に。十四まで母が働いていた料亭で半住み込みのような形で昨年まで働いておりました。この一年は、家政婦の日雇いの仕事をしております」 「…そうだったか、辛い話をさせてしまったな」 「いえ、そんな。祖父と父のことは物心つく頃でしたので断片的にしか覚えていないですし、母のことももう八年前ですので…」 左手の小指に残った傷を撫でる。 母は人攫いに遭ったと聞いていたが、もしかしたら私と同じ珍しい血で、鬼に殺されたのではないだろうか。 母は藤の花が大好きだった。寝る前には必ず藤の花のお香を焚いていたし、藤の花を入れた香袋をよく作ってくれていた。香りが無くなる前に新しい香袋を作ってくれて、我が家にはいつも良い香りがしていた。 あの日、体調が悪かった私のために母は暗くなってから家へと帰ってきていたらしい。その道中、人攫いに遭ったのだと後で聞かされた。遺体の損傷が激しいとの理由で、まだ七つだった私は母の死に顔すら見れなかった。 手元に返ってきたのは、母が持っていた香袋だけ。香袋は血塗れだった。 あの日の前日、新しい香袋を作る約束をしていた。 母は私に香りがまだ残っている方を持たせてくれていた。 もし、母が珍しい血の持ち主で。 鬼に殺されたのだとしたら。 新しい香袋を持っていたら。 私が熱なんか出さなければ。 母は今も生きていたのかもしれない。 ぎり、と無意識に爪を立てていた右手をそっと解かれる。傷になるぞ、煉獄様は優しく微笑んだ。 「一年前に亡くなられた姐様方というのは、その料亭の方々か?」 「…はい。母が亡くなった後、私を家族同然に迎えてくださった方々です。その料亭も、今は潰れてしまいました」 「そうか…今度、墓参りに連れて行ってくれないか。ご挨拶をしたい」 「え、墓参り、ですか?」 まさかの返しに、思わず聞き返す。 「話を聞くに、君の周りの人達は君をとても愛していたようだ。これも何かの縁だ。お会いしておきたい」 「…ありがとうございます。では、今度」 微笑むと、煉獄様も微笑んだ。 煉獄様は、うむ、と言い立ち上がると、私の前に片膝を付いて私を見上げた。 「桜、君さえ良ければ、俺の許嫁になってくれないか!」 「…えっ、あ、えと、」 「む、嫌だろうか!」 「い、嫌という訳ではないのです!その…まだ今日会ったばかりなのに、私でよろしいのですか?」 「そうでなければこんなこと言う訳ないだろう!正直、俺も君もまだお互いのことを良く知らない。だが、これから知りたいと思った!」 逸らしたくなるくらい真っ直ぐな視線に射抜かれて、息をするのを忘れてしまいそうになる。 「何も今すぐに結婚をする訳ではない。故に、一緒に居て嫌になったら言ってくれ。 俺はどんなことがあろうと、一度決めた相手とは添い遂げると約束しよう」 さぁっ、と、私達の間を心地良い風が吹き抜けていく。私も、もっとこの人を知りたい。 「…私で宜しければ、どうぞよろしくお願いします」 黄金色の髪がふわふわと風に揺れた。陽の光を十分に吸い込んだそれはキラキラと眩い光を放っている。 口角をキュッと上げた煉獄様は、よろしく!と少年のように笑った。 「あと、俺達は年が然程変わらない!煉獄様、というのはよしてくれないだろうか!」 「では…きょ、杏寿郎様?」 「もうひと声!」 「杏寿郎、さん」 「うむ!少し距離が縮んだな!」 歯を見せて笑う杏寿郎さんに釣られて、私も笑った。
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