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おやすみの定義
「分隊長、じょ、冗談ですよね?」
「何を言ってるんだ!こんな面白いこと冗談で言うはずないだろう!」
「・・・ですよねー」
私が所属する第四分隊の隊長、ハンジ・ゾエに深刻な顔で呼び出されたのは今朝の話。次の壁外調査のことの話だろうか、と心の準備をして分隊長の部屋のドアをノックしたのは午前の訓練を終え食事を摂った後の休憩時間。小さくノックをして、どうぞ、という声を確認してからドアを開けたら、分隊長はテーブルに両肘をつき顔の前で掌を組んで、何やら深く考えているようだった。ゴクリ、と喉が鳴った。自分の顔が強張るのを感じながら分隊長を見つめた。分隊長が口を開くのがやけにスローに思えた。
「・・・君はリヴァイの寝顔を、見たことがあるかい?」
「・・・はい?」
分隊長が言うには、リヴァイ兵士長とは古い仲なのだそうだ。言うまでもなく、調査兵団の全員が分隊長と兵士長が親しいと知っている。が、そんな分隊長は兵士長の寝顔を見たことが一度たりともないらしい。分隊長が見たことないというのに、私が見たことあるはずがない。話があると言われた時からいろんな覚悟を決めてドアをノックした私の気持ちなど分隊長は露知らず、呆然としてしまった私にさらに話を続けた。
「いくらリヴァイが人類最強の兵士で一個旅団並みの戦力の持ち主で並外れた身体能力があって潔癖症で神経質で口の悪いチビだとしても、睡眠は人間が生きていく中で絶対必要な行為だ」
「後半ただの悪口になってますよ」
「それなのに!人一倍休息が必要なはずのリヴァイが!寝ているところを私は一度たりとも見たことがない!これって大変な問題だと思わない!?」
「・・・分隊長が見てないだけで、兵士長だって寝ていますよ。人間なんだし」
「いや、私だって巨人の研究で何日も徹夜することがあるんだ。といっても限度があるから眠気がきたら紅茶を飲むようにしているんだけど、絶対リヴァイが先に紅茶を飲んでいるんだよ。分かるかい?時間も日にちも不定期なのに毎回会うんだ。最早ホラーだよ」
「いやそれはタイミングが合っただけとか、兵士長も徹夜をしなきゃいけない仕事があったとか、そういうことでは?」
「ううん。テーブルには何も広げられてなくて、ただ紅茶を飲んでいるだけなんだ。毎回私に"テメェも物好きだな、気持ち悪い"って言うんだけどさ、私からしたらリヴァイの方が大分気持ち悪いよ」
「はぁ・・・そうなんですか・・・」
つまり、私が呼び出された理由は何なのだろう。それだけが頭の中でぐるぐる回った。だって私と兵士長は面識がない。遠巻きに姿を見たり、近くにいらしたら敬礼をしたり。会話はしたことがない。そんな程度だ。人類最強と名高い兵士長を私が一方的に知っているだけで、兵士長は私を知らないだろう。「そ、それで、分隊長は、私にどのようなお話があるのでしょうか」変な意味で好奇心旺盛の分隊長の地雷を踏まないように恐る恐る質問を投げかけてみると、「おお!そうだ!それを伝えたかったんだ!」と鼻息を荒げて笑顔で言われた。やばい。地雷踏んだ。
「一度、私とリヴァイが話している時に紅茶を淹れてくれたよね?」
「・・・はい。分隊長に書類を提出しに入室した際にこちらでお二人が話をしておられたので、淹れさせていただきました」
「君が淹れた紅茶をリヴァイは大層気に入っててね、また彼に淹れてあげてほしいんだ」
「え、あ、それでしたら何時でもお淹れしますが、」
一体何を言われるかと思ったが、兵士長に紅茶を出してほしいということだった。無意識に身構えていたせいか、肩の力がふっと抜けた。奇人変人と言われている分隊長だが、とても仲間想いなのだと思っ
「その紅茶にね!これを入れてほしいんだ!」
「・・・分隊長、この怪しげな錠剤は何でしょうか」
「睡眠導入剤さ!一般的に出回っているのを私が改良した!」
たけど分隊長はやっぱり生粋の奇人変人でした。リヴァイには普通のやつは効かないと思って強めに作ってみたんだ!と興奮気味に言う分隊長は赤と黄色の奇抜な色をしたカプセルが5つほど入ったケースを私に差し出すが、受け取ることができない。つまり、兵士長を眠らせる為にこの怪しさ全開の薬を紅茶に混ぜて飲ませろ、ということなのだろう。そして冒頭に戻るという訳だ。
「分隊長、さすがにこんな怪しげな命令は受けられません。私まだ命が惜しいです」
「何を言うんだ!充分な休息を摂っていない仲間を休ませようとしているだけだよ!薬を使ってね!」
「それが怪しげなんですよ!」
「まあまあそう言わずに!私はリヴァイにとって睡眠が必要なのかそうでないのかと、改良した薬の効果が知りたいだけで別に寝顔とか興味ないからさーというか気持ち悪いし。薬を摂取してから寝るまでの経緯を報告書にまとめてくれたらいいから!」
「そ、そんな無茶なこと言わないでください!そんなこと兵士長にばれたら削がれてしまいます!」
押し付けられたケースを押して押し返してのやり取りがしばらく続いたものの、分隊長が突然真顔になって「・・・君は上官の命令に背くというのかい?」という冷ややかな一言を放ちこの攻防は私の負けで終わった。
「ど、どうしよう・・・」
ティーカップとティーポット、茶葉とバッグに忍ばせた錠剤と恐怖を持って兵士長の部屋の前に突っ立っているこの状況は何なのだろう。午後の訓練と夕食や洗面などを終えて、寝るには早いが誰もがゆったりとした時間を過ごす時間帯だった。私が来ることは分隊長が事前に兵士長に話を通しているらしく、自室でできる仕事を押し付けたからよろしくねと笑顔で言っていた。兵士長も気の毒だ。いや本当に。
控えめにノックをしたら、入れ、とぶっきらぼうな声が返ってきた。失礼致します、紅茶をお持ちしました。ドアを開けてそう言うと、兵士長は横目でこちらを確認してまた手元の書類に目を戻し何かを書き始めた。広くて綺麗な部屋だ。綺麗なテーブルの上にはこれまた綺麗に積み重ねられた書類が山積みになっていた。分隊長、容赦ないなあ。
「チッ・・・お前の上官はふざけた奴だ。俺がチェックしなくちゃならねえ書類をこんなに溜め込みやがって」
「も、申し訳ありません・・・」
「お前が謝る必要はねえ。お前も気の毒だな」
「はあ、」
話をしながら器用に手を動かしている兵士長は、書類にサインをしているようだった。流れるような綺麗な字はその言葉遣いに似合わずとても綺麗で、ペンを持つ手は思っていたより大きくてしなやかだ。しばらくそれを眺めていて、本来の目的を思い出して急いで紅茶を準備する。リヴァイは疑り深いから最初は普通に出した方がいいという分隊長の言葉を信じて、いつも通り淹れて作業の邪魔にならないようにそっとテーブルに置くと、兵士長はこちらを見て「助かる」と言った。素直にお礼を言われたことが正直意外だった。兵士長は紅茶を飲んで、悪くない、と一言言うとまた書類に向き合い始めた。
「兵士長、あの、お手伝いしましょうか?」
「あ?」
「いえ、その、上官の不手際で兵士長にご迷惑をお掛けしているので、サインのお手伝いはできませんが、済んだ書類を纏めたりとかはできますので・・・」
「お前が責任を感じることはないが・・・お前は休まなくていいのか。訓練明けだろ」
「明日は休みですし、二人でやれば早く終わると思いますし、その、兵士長がよろしければですが、」
「・・・すまない。頼む」
意外だった。目付きが鋭かったり言葉が強い為に近寄り難くて怖い印象を抱いていたが、本当は優しいし部下想いでちゃんとお礼を言う礼儀正しい人だ。私は兵士長の向かいのソファーに、失礼します、と言って座り、書類を手に取ってファイリングを始めた。バッグから筆記用具を出して、見やすいように種類別に分けたり印を付けたりしていると、兵士長は紅茶を飲みながら私の手元を見た。
「・・・手際がいいんだな」
「あ、こういう事務作業が得意なんです。よくハンジ分隊長の書類整理もお手伝いしてて」
「そりゃ気の毒な話だ」
「とにかく量が多くてモブリット副長だけじゃ終わらないので・・・だから第四分隊に配属されたのかと思ったこともあります」
「そうか。ハンジに日常的に振り回された上に書類地獄とはお前もあいつも苦労してるな」
「はは、でも副長は分隊長を敬愛されていると伝わりますし、私も尊敬していますので、いい上下関係は築けていると思います」
兵士長との会話は弾んで、書類もどんどん片付いていった。時間は深夜と言うのがふさわしいだろう。兵士長のカップもポットも空になっていたので、ポットにお湯を入れてきます、と一言断って部屋を出た。廊下は肌寒く身体が震えた。お湯を注ぎながら、はあ、と溜め息。目の前には、さっきこっそりバッグから取ってきた薬。やらなければ分隊長から何をされるか分からない。違う意味で身体が震える。兵士長、申し訳ありません。でもただの睡眠導入剤なので。と自分に言い聞かせてポットに薬を入れた。
「お待たせ致しました」
「悪いな」
すっかり紅茶に溶け込んだ薬は無味無臭のようで、兵士長は何も疑うことなくそれを口にした。だ、大丈夫だよね?もし寝てしまっても書類へのサインはもう終わったようだし、ベッドに運んであげればいいだけだし。疑われないようにファイリングを続けて数十分経った頃、兵士長に変化が見られた。
「・・・おい」
「へあ、あ、なんでしょうか」
やましいことをしているため急に声を掛けられて喉から引き攣った音が出たが、兵士長はそれに気付いていないようだった。というより、気付くだけの判断力が随分低下しているようで、細い目をさらに細くしてうつらうつらしていた。なんだかちょっと、レアかも。兵士長は立ち上がって私が座っているソファーに腰掛けた。急に近くなって固まる。やっぱりばれた?と冷や汗を流していると、ぼす、と音がした。ん?ぼす?
「へ、へいしちょ・・・!?」
「・・・悪い、膝借りるぞ」
「え!?ああああああの!?」
「ピーピーうるせえ」
一刀両断。兵士長は寝返りを打って仰向けになった。睫毛が長くて、白くて透き通った綺麗な肌に薄い唇。女の私より綺麗な顔立ちに少しの羨望と少しの劣等感を覚えた。兵士長は瞼を重そうに開けて、私をぼんやり見つめた。
「・・・お前、ちゃんと鍛えてるのか。太もも緩んでるぞ」
「な!?ちゃ、ちゃんと鍛えてますよ!それに兵士長より筋肉ないのは当たり前です!」
「まあいい。寝心地は悪くない」
もぞもぞと動く頭がこそばゆい。上官を膝枕しているこの状況についていけず、寧ろ寝ているのは私でこれは夢なのかとさえ思えてくる。兵士長の髪を指先で梳いてみたら、思ったよりさらさらで髪の痛みなんて全然ない。兵士長は抵抗せずただ、くすぐってえ、と眉を顰めるだけだった。
「兵士長、いつもお疲れ様です。もう寝てください。後でベッドにお運びしますので」
「・・・いや、いい」
「肌寒いので風邪を引いてしまいます。ベッドの方が温かいですしぐっすり眠れますよ」
「いいっつってんだろ」
「でも、」
「うるせえな」
突然兵士長が身体を起こした。膝から温もりが消えて少しだけ冷える。兵士長の目は最早開いてるとは言えない。ゆらゆらと頭を揺らし、あろうことか私の肩を掴みそのまま身体を倒した。え、え、と切れ切れに声が漏れて、出なくなった。鼻の辺りがもしゃもしゃして石鹸のような匂いが鼻腔を満たす。それに身体が最上級に重たい。
平たく言えば、押し倒された。
「ちょ、え、えええええ!?リヴァイ兵士長!?」
「だからピーピーうるせえんだよヒヨコが、静かにしやがれ」
「いやだってこれは・・・!?ていうか重たいです!ヒヨコじゃないです!」
「兵士長って呼ぶのやめろ・・・仕事中じゃねえんだ」
「へいしちょ、あ、えっと、り、リヴァイさん?本気で重たいので起きていただけますか・・・?」
「・・・」
「え?え?へい、り、リヴァイさん?」
「・・・」
「え?寝た?嘘でしょ?リヴァイさん!?」
ゆっくりとした寝息が首筋に当たる。微動だにしない身体。やばい、本当に寝ちゃった。起き上がろうにも、片腕がお互いの身体に挟まれている為どうしても力が入らない。どんだけ重いんだ兵士長、じゃなくて、リヴァイさん。最早抱き枕状態になっている私は訓練で多少なりと疲れているせいかそう長く抵抗できず、まあいいか、と諦めた。寝ている人って本当に体温上がるんだな。あったかいなあ。もう寝ちゃおうかな。そう考えるより早く、瞼が降りた。鼻を掠める石鹸の香りにひどく安心した。
「おやすみなさい・・・リヴァイさん」
(報告書、書けないや)
20140413
朝になって何にも知らないエレンが「おはようございますリヴァイ兵長!」とか言って突撃してきていろいろ勘違いしてくれるといい