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弱い人


私がそれに気付いたのはつい最近のことだった。

食堂で決して美味しいとは言えない食事を摂っているとき、つまらない座学を受けた後にみんなで愚痴を言い合っているとき、立体起動の訓練の後に議論をしているとき、対人格闘訓練で投げ飛ばしたり投げ飛ばされたりしているとき。すべての科目を終えて談笑をしているとき。きっかけはいつだって何気ないことだったのだけれど、一度気付いてしまうともう癖になってしまったように目に入ってくる。

彼は、ライナーは、苦しそうなのだ。
なぜかは分からない。みんなと笑い合って、助け合って、そこまではいつも通りで変わらないのに、その後、決まっていつも苦しそうだ。もどかしくて、しんどくて、辛くて、やるせなくて、腹立たしくて、悲しくて、泣きそうで。そんな表情が、ライナーから見え隠れしている。彼は何を抱えているのだろうか。あんな表情を、よく観察して初めて気付くような些細な、でも大きな彼の変化を、気付いている人はきっといないのだろう。だって気付いていたら、多くの仲間から信頼されている彼のことだから、周りの人が黙ってはいないと思うのだ。それに、気付いていたら、彼はその悩みを打ち明けて荷が軽くなっていたかもしれない。でも日に日にやつれていくライナーを見るに、そういった良い方には進んでいないようだ。どうしたものか。



「ライナー、ちょっといい?」


夕食の後の自由時間、私はライナーに声を掛けた。ライナーは少し驚いたような表情を見せた。それはそうだ、次席の彼に比べて私の成績は下から数えた方が早い。ライナーからしてみたら、私はかろうじて名前を覚えている程度のただの訓練兵の同期だ。そんな私から急に声を掛けられたのだから、驚くのは当たり前だろうなあ、私がライナーの立場でもびっくりするだろうなあ、と、呑気に考えた。ライナーは隣にいたベルトルトと一度顔を見合わせ、そして私に向き直し、「どうした?」と言った。「うん、ちょっと」そう言ったら、ライナーは何かを察したように、「とりあえず、出よう」と言って食堂を出た。私もライナーと一緒に、正確に言えばライナーと2m程の感覚を空けて、食堂を出た。


「何だ?何か話でもあったのか?」


食堂の扉を閉めて、みんなの声が遠くなったのを確認してから、ライナーはそう言った。あまり知らない人にいきなり呼び出されて少し戸惑っているようだったけれど、こうしてちゃんと話を聞こうとしてくれているあたり、彼は本当に優しい人なのだと思った。


「ライナー、あのね、私、あなたとあんまり面識ないし、成績悪いし、体力ないし、筋肉だって全然ないし、おこがましいんだけど、まあライナーよりムキムキな人なんていないとは思うんだけどね。でもさすがに立体起動の訓練で顔面ダイブするのは自分でもまずいなって思ったんだけど」

「ちょ、ちょっと待て。話が見えないんだが・・・」

「ああ、うん、そうだよね。こんな話がしたいんじゃなくてね。ええと、なんて言えばいいのかな」

「落ち着いてゆっくり言ってみろ。ちゃんと聞くから」

「うん、ありがとう。えっとね、余計なお世話なのかもしれないけど、」


そこで言葉を切った。うん、冷静に考えたら本当におこがましい話をしようとしているなあ。でも言いかけてしまった次の言葉を、ライナーは急かすことなく待ってくれている。ここで話を止めてしまったら、それこそ耳を傾けてくれている彼に失礼ではないか。足りない頭を目一杯回して、口を開いた。


「ライナー、ちょっとそこの階段に座ってくれない?」

「え、は?」

「いいから、お願い」

「あ、ああ・・・」


さらに戸惑ったような表情をしたものの、ライナーは階段の砂を軽く払った後、素直に腰掛けた。


「長い話なのか?だったらここより部屋の中の方が冷えなかったんじゃ」

「いいの、長くするつもりはないから」


私はライナーの隣に足を運び、膝立ちをした。ますます分からないというような表情をしたライナーの後頭部を両手で包み、そのまま引き寄せた。


「えっ・・・は!?ちょっ、と待て!」

「ライナー、あのさ、」


無理、しなくていいと思うよ。


焦ったように身じろぎしていた彼は動きを止めた。暫しの沈黙が、距離のない私達の間を流れていく。本当はこの役は、私じゃなくて良かったのかもしれない。私じゃない方が良かったのかもしれない。でも、見ていられなかった。たったそれだけの、私のエゴ。短い金髪の髪は思ったより柔らかくて、抱えた彼の頭は私のそれより大きい。目の前の肩だって遠くで見るよりがっしりとしていて厚みがある。私なんかに抱かれなくても、誰もが強いと思う彼の身体。でも、その中の彼の精神は、同じように強いのだろうか。そうとも、限らないんじゃないか。それは私には分からない。ライナーにしか分からないことだ。だから、本当に余計なお世話なのかもしれない。違ったら違ったでいい、それでいい。違ったら、お友達としてのステップすら踏んでいない私達の関係が少しだけ気まずくなるくらいで済む。でも、もし、違わなかったら。そっと彼の頭に添えた手に力を入れ、さらに引き寄せた。彼はその厚い肩を微かに揺らした。

・・・冷静に考えてみた。そう、足りない頭で。私はなんて大胆なことをしているのだろうか。私がしていることはまさに恋人同士のそれではないだろうか。第三者から見たら明らかに勘違いされる光景だ。そう考え始めたら、壁一枚で挟まれた食堂からの声がより鮮明に耳に飛び込んでくる。冷たい汗が背中に流れた。まずい。この光景を見られたら、私はともかくライナーまで。身体を離そうとした。離そうとして、そこで止まってしまった。ライナーが、私の背中に手を回していたから。


「・・・うっ、」


食堂からの声より小さく、聞き逃してしまいそうな声を上げて、ライナーは静かに泣いていた。太い腕は、その大きさに見合わない力で私の背中にしがみついていた。私は片方の手をずらし、大きな肩をぽん、ぽん、と、母親が子供にするようにリズムをつけて叩いた。これほど対格差があるのに、子供のような扱いをして怒ったりしないかな、と場違いなことを考えたが、彼はさらに涙を流して、わたしの背中に回した両手に力を込めた。ライナーは何も言わなかった。何も言わず、ただただ涙を流して私にしがみついていた。私はただただ、彼の肩を叩いて頭を優しく包んだ。彼が苦しんでいる理由は分からない。たったこれだけで解決できるのかも分からない。でも、これが少しでも彼を救うのなら。食堂の向こうの仲間達に、もう少しだけ、ライナーを泣かせたままにしてほしいと願った。



彼が戦士になったのは、それから数年後だった。



なぜ裏切った。なぜ多くの人を、仲間を殺した。そんな言葉が交わされる中、私が思ったのはただひとつだった。彼は、もう上手に泣けるようになっただろうか。声を押し殺して、大きな身体を微かに揺らし、気付かれないように、気付かれないように泣いていた背中を思い出した。私はもう、彼を抱きしめて泣かせてあげられる腕はない。でも、何も私じゃなくてもいいのだ。ただ、ちゃんと、泣いているだろうか。泣く場所はもう見つかっただろうか。頭が痛い。ないはずの腕が痛い。目が霞んだ。最後に目に映ったのは、壁から離れていく大きな背中だった。



(どうか、)



20140404
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