main | ナノ
片道切符


3両目、優先席の斜め向かいの、扉のすぐ隣の席。通勤ラッシュで混雑している中でその人はいつもそこに座って本を読んでいる。こんなにぎゅうぎゅうな車内で乗りやすく降りやすい席を確保しているんだから、きっと遠くから来ている人なんだろう。見るからに分厚くて難しそうな本を読むその顔は、男の人に言うべきではないがとても可愛らしい。肌なんてとても白くて、少し長めの金髪が綺麗で、透き通った青い目が髪と同じ色の長い睫毛に縁取られている。私が意識してその人を眺めているからフィルターがかかっているだけなのかもしれないけど、美少年。まさにそんな言葉がぴったりな人だった。

ここでベタな純愛漫画みたいに、何気ないことから声を掛け合って知り合いになっていつしか恋に・・・なんてことになったらどれだけ嬉しいか。残念ながらそれは叶わないのである。理由は三つある。一つ目は、この時間の電車は混雑しなかった試しがなく、身動きがほとんど取れないくらい混み合っているから。二つ目、私は彼より遅く乗って彼より早く降りるから。三つ目、彼はいつも読んでいる本から目を離すことがないから。

はあ、と溜め息が漏れる。彼のことは見てくれと高校といつも読んでいる難しそうな本のことしか知らない。そんなことを考えているうちに、いつも学校の最寄り駅に着いてしまうのだ。




「ええと・・・あ、これだ」


帰り道、学校に一番近い本屋さんに行ってみた。いつも雑誌や漫画やエッセイなどのコーナーにしか行かないから、難しい本に囲まれた棚は立っているだけでくらくらとしてきそうだ。文字ばかりの本棚を指でなぞって、見慣れた背表紙を探していく。手に取ってみると、なんとまあ重たくて、いつもこんな重たい本を持っているんだと思った。裏返すと、いつも買っているCDアルバムくらいの値段でもっと頭がくらくらした。高校生の限られたお小遣いでこの出費は痛いけれど、仕方がない。なんだか私、ストーカーみたい。どうしよう。そう思ったときには既にお会計を済ませて、軽くなった財布と重くなった紙袋を手にしていた。

帰りの電車で、彼と同じ席に座ってみた。3両目、優先席の斜め向かいの、扉のすぐ隣の席。彼と同じように本を広げてみると、真新しい本の匂いが新鮮だった。どうやら彼が読んでいたのは長い長い物語のようで、表現が難しくて頭の足りない私はあんまり理解ができなかった。携帯を片手に、分からない言葉を辞書で引いては読み進め、引いては読み進め。いつもの降りる駅に着く頃には、分厚い本の5ページしか読み進めていなかった。でもその物語にはなんだか引き寄せる不思議な力があるのだろうか、はたまた彼が読んでいるという先入観があったからだろうか、分からない言葉だらけでちっとも先になんて進めないのに、私には面白くてたまらなかった。家に帰ってからもずっと読んでいて、ごはんを食べることも忘れてしまうくらいだった(お母さんがしびれを切らせて呼んだタイミングと、お腹が鳴ったタイミングが見事に一致して驚いた)。ごはんを食べて、お風呂に入って、お布団に入って、それでも私の頭の中は物語のことでいっぱいだった。




いつもの朝、彼はまたいつもの席に座っていた。私の鞄にも入っている分厚い本は、半分以上読み進められていて、彼はそれを辞書なしでペラペラと読んでいく。あれだけスムーズに読めたらもっと面白いんだろうなあ。彼は今どんなシーンを読んでいるのだろうか。彼のことだけでなく、彼の読んでいる本も気になる。彼がいつも本から目を離さない理由が分かった。自分も手に取って、初めて分かったこと。また少しだけ、話したこともない彼のことが分かった気がする。

学校でも、私は本を読み続けた。学校は携帯は禁止になっているため(みんなこっそり持ってきてはいるけれど)、私は電子辞書を机に置いて本を読むようになった。今まで活字ばかりで挿絵のない本なんて読んでいなかったのに、友達は人が変わったようだと口を揃えて言った。目の前で広げられるカラフルな雑誌より、何度捲っても白黒のページしかないこの本の方がよっぽど面白いと思うようになった。放課後、親友がチョコレートをくれた。普段しないことをした私が頭痛を覚えていたことを察知してくれたらしい。持つべきものは友達だ。口の中で溶けるチョコレートはとっても甘くて、頭の痛さなんて吹き飛んだ。その日は親友が部活が休みだったので一緒に帰った。重いバッグがなんだか心地良かった。


毎日、それの繰り返しだった。朝の電車で彼と彼の持つ本を眺めて、学校では電子辞書を広げて本を読んで、頭痛に見舞われて親友にチョコレートをもらって、帰りは彼がいつも座る席に座ってゆっくりゆっくり本を読む。以前見た彼と同じくらい、分厚い本を半分くらい、読み進めた。あのとき彼はこのシーンを読んでいたんだ。ページを指でなぞってみたら、するすると滑る紙の感触が人差し指を伝った。




3両目、優先席の斜め向かいの、扉のすぐ隣の席

私は、帰りの電車でその席に座れなかった。


「こんにちは」

「こ、こんにちは・・・」


朝と同じ光景。彼が座っていたのだ。

彼の膝にはいつもの本。私の手元にも同じ本。彼は特に驚く様子もなく、むしろ昔からの知り合いだと言わんばかりのにこやかな笑みを私に向けてきた。え、何これ。状況を飲み込めない私の頭が悪いのだろうか。


「とりあえず、座りなよ。電車もうすぐ出るから危ないよ」

「あ、は、はい」


彼は自分の隣の席に置いていた荷物を足下に置いて、ぽんぽんと隣を叩いた。私はぎこちない動きで、彼と少しだけ、ほんの少しだけ、距離を開けて座った。膝に乗っている重い本を今だけ恨む。いつも電車のホームで本を鞄から出して待っているものだから、隠しようがなかったのだ。彼の笑みとか、本について何も触れないところとか、諸々含めて私が彼を見ていたということを彼は知っているのだと、頭の悪い私でも理解できた。穴があったら入りたい。寧ろ埋めてほしいとさえ思った。漫画のような展開を期待していないと言えば大嘘になる。だって期待していたから。同じ本を読むことで、彼のことを知れるかもしれない。この本を買ったきっかけはその不純な気持ちからだったのだから。ぷしゅ、という音がしてから扉が閉まり、やがて電車が揺れ始めた。がたん、ごとん、揺れる電車の中で、彼がページを捲る音だけが鮮明に聞こえてくる。やっぱり、読む速度が私よりずっと速い。電車に乗ってから、もう家の最寄り駅よりずっと遠くまで行ってしまったのではないかという時間の錯覚に陥った。膝に置いた本の表紙ばかりを見つめていると、隣の彼は本をぱたん、と閉じた。


「どれくらい読んだの?」

「・・・え?」

「その本。どれくらい読んだ?」

「あ、えっと、第7章まで」

「ああ、そこ面白いよね。その次の章からもっと面白くなるよ」

「ほ、ほんとう?」

「本当さ。僕も気になって気になって、学校でも家でもずっと読んでいるんだ」

「わっわたしも!ずっと読んでるの!学校でも家でも!」

「あ、あっははははは!」

「・・・え?え!?」

「い、いや、ごめ、はははは」

「え!?な、なにかおかしなこと言った!?」

「いや、そうじゃなくて、ふふ」


見た目通り、素直な子だなって思って。笑いながらそう言った彼の言葉を飲み込んで、消化して、顔がありえないくらい熱くなるのを感じた。また膝に置いた本しか見れなくなった。彼は笑うことをやめず、続けた。


「いつも朝の電車で一緒だろう?視線は感じていたんだけど、どうにも立ち上がって話しかけられるほどの余裕がないからさ。それに君、僕より早く降りちゃうし。最近帰りの電車で君を見かけることがあったんだけど、本と携帯とにらめっこしてる姿見たらなんか話しかけるのがもったいなくてね。いっそ、この席に座っていたら話ができるかなって思ったんだけど、時間帯までビンゴだったみたいだ」


ああ、もう、なんという恥ずかしさ。全部見られていたらしい。朝も放課後も。思わず顔を覆ってしまった。きっと顔が今までの短い人生の中で一番熱を持っている。彼はそのまま、顔を覆ったままの私に言った。


「よかったらお友達にならない?学校は違うけど、せっかく同じ電車なんだし、同じ本も読んでるし、帰りだけでもこうして話せると嬉しいんだけど、どうかな」


ちらり、と指の隙間から彼を見ると、先程と同じ笑みを浮かべて、左手を差し出してきた。暫く見つめて、私も左手を差し出した。「よろしくおねがいします・・・」思ったよりか細い声しか出なかったけれど、「こちらこそ」と返事が返ってきて、恥ずかしいような嬉しいような、訳の分からない気持ちになった。握手をした彼の左手は可愛らしい顔立ちとは違って、手の皮が厚くて意外にもゴツゴツとした男の子の手だった。その後はあんまり覚えていなくて、家に帰ってベッドにダイブしてから、今の今まで本を抱いたまま帰ってきたことに気付いた。本を抱いたまま携帯を開くと連絡先に見慣れない名前が増えて、急に今まで持っていた携帯じゃないような気がしてきた。どうしよう。お友達に、なっちゃった。嬉しいんだけど、どうしたらいいんだろう。ぼんやり眺めていたら、メールが来た。「明日も同じ時間の電車で帰る?」たったそれだけのメールに、またくらくらした。



(ベタな展開、それもありかも)



20140416
アルミンならベタな展開と思わせつつすべて策士だったりして
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -