かわいい女の子になりたい。桃缶のなかにちゃぽんと足をつけたら、すこしはかわいくなれるのかも。チョコレートかじってぼんやり考えた。どこかでわたしの耳が拾ってきた魔法の呪文みたいなおはなし、うんと飲むとお水は女の子をきれいにしてくれるんだって!ふしぎ。あたまのなかで跳ねまわるなりたいわたし はもうひとつの秘密といっしょにして、しっかり鍵をかけてお腹の奥の方に畳んでおいた。まあるくなって、いつか出番だよって言われたらひっぱり出せるように。いつでもとなりでにっこにこ微笑んでいてくれる幼なじみにも、秘密にね。これはこっそりじぶんに課したこと。そんなことはない。フィディオだって秘密をお腹のなかにしまってるでしょう がほんとうのところ。わたしがお腹のなかでまあるくしている気もちを言ってしまったら負けの気がした。こういうところがいけないって、だれか指さして教えてほしかった。窓から入りこむ光が白いうちに、毎日お水をうんと飲むことを決めた。

「遅かったな」
「ごめんパンケーキがおいしすぎた」
「普通なら女の子がおれのこと待ってるけどなあ」
「でた そうゆう自慢」
「はは、冗談さ」

ぜいたくな朝陽を栗色の髪にすべらすきみは 星取ってきてってわがまま言われても取りに行けるつよさ持ってる。そのつよさは はたしてどこからやってくるの?「どうかした?」「ううん なんでもない」ちょっとだけ首をかしげて、こんなふうに夜みたいな色した目と目を合わせたら 女の子は心臓わしづかみにされちゃうんだろうなあ!何度かまばたきをして、やっとのことで目を逸らした。「…あ、でもさ おれ、きみを待つのきらいじゃない」フィディオは八重歯を見せてわらった。ひっそり手と手つないで。じんわりと手に歩みよるあたたかさにうれしくて、泣きたくなった。


▲ ▼


すてきな女の子になりたい。なにを落っことしても、きちんと拾えるつよさをほしいよ。

「あ、着いた ここ」
「わあ!」

ヴィヴィットカラーのお花があっちこっちで胸を張ってる。フィディオがロードワークの途中で見つけたというカフェからやってくる、おとななコーヒーのにおい。「こういうところ、すきだろ?」ゆっくり首を縦に動かす。となりにいるフィディオは、すこしだけ口元を上げて微笑んだ。ぱちぱち心臓の真上をはじけて歩いてく気もちもうなづく。「フィディオ、ありが…」あら、フィディオ!小鳥みたいな声。振り向くタイミングがフィディオとおなじだった。「チャオ、オリビア」「こんなところで会えるなんて!」女の子はほっぺたを赤くしながら、小鳥みたいなくちびるを動かした。わたしにはこんなこと、ぜったいできない。わたしがいままで歩いてきたなかで落っことしてきたもの、この子は持ってる。素直なくちびる、小花柄のハンカチ、思ってる気もちをくるくると表せることば…どれも落としてしまったものだった。フィディオと女の子がたのしそうにおはなししているその横で、いったいわたしはなにしてるの?見えない、高い壁を砕いてしまいたかった。うつむくばかりのわたしに、とどめよとばかりに飛びこんだふたりの、「ねえフィディオ、この子は?」「ああ、この子はおれの幼なじみさ!」…合ってる。まちがいじゃない。真っ暗闇が、心臓をひとつきした。めまいがしたのは漂ってくるおとなのコーヒーのにおいのせいか、それとも?


▲ ▼


ぜったい来て!きらきらした目で言われたら断れるわけ、ないよ。どんな女の子だって。怪獣だってそうかも。
くるんと体を翻して、相手チームのひとからボールを取ったフィディオはぐんぐんゴールへ向かって駆けていく。草原を走る流れ星みたいだ。真っ青なユニフォームの背中にまわりの女の子たちのうっとりした目は釘づけ。フィディオったら、なんて罪なやつなのかしら。こんなにたくさんのかわいい女の子をとろんとさせて、神さまにいじわるされたって知らないよ。…持ってきた紙袋のなかの、いっぱいキッシュが入ったタッパーは部室の取っ手に引っかけて もう帰ろう。フィールドのあっちこっちを駆けまわる幼なじみにそっぽ向いたら、なんだかわたしが神さまにパンチされた気ぶんになった。お花を避けて歩けるような器用さを、わたしは持っていないのだ。
走って逃げ帰ったおうちのベッドでだいすきな音楽おっきな音で流して ちょっとだけ泣いた。



思いきり走って駆けた先にいて、走っているうちにいつの間にかパンプスは脱げてしまっていた。待ってくれてたのは、きのうまでのことなの?フィディオは眉を下げて困った顔をしていた。

「もう、待ちくたびれたよ」
「…ごめん」
「おれは先に行くから」
「!」
「待ったりしない」
「…わたし、は…」





ばちっと瞼をひらく。見上げた天井に映りこんだのはきみだった。しばたくわたしの目は、たしかにあの栗色の髪の毛を、夜みたいなふたつの目を、やさしい視線を、見てる。「フィディオ、どうして…」「ごめん、起こした?」まだまだとろんとしてるあたまを起こすために。からだを起きあがらせると、ばらばらになったおっかない夢がひとつになって近づく。フィディオがジャージでここにいるということは、どうやらあの練習試合は終わったらしい。

「キッシュたべたよ、おいしかった」
「よかった」
「ありがとう」
「うん」
「…なんで途中で帰ったの?」

いやな子になりそうだったからだよ。ベッドにすわるわたしに、目線を合わせるようにしゃがんでるフィディオには、言えなかった。ずっと 幼なじみでいられるためのこと。お腹でまあるくしてたことを言える勇気、なかった。

「きょうの試合、ハットトリックで勝ったんだ」
「…すごい」
「きみのために」

そっとつぶやくフィディオの手が、つかむわたしの手。まるで決まってたみたいよ。高い高い壁の前でうろつくわたし、踏みだしてもいいの?

「…なあ、なに隠してるんだ」
「隠してなんか、ない」

夜の色した目は、なんでも見やぶる。神さまの嘘だって 悪魔の本当だってわかってしまうよ。むかしから、わたしが適うはずもないのだ。

「それじゃあ、秘密を交換しよう」
「秘密を交換するの?」
「ああ」

わたしの秘密をひとつ、フィディオの秘密をひとつ。おたがいのことをひとつずつ知る。きゅっと口もと上げるフィディオはどんなときより凛々しい。

「きみは女の子で、」
「…うん、?」
「おれは男だ」
「??」
「いつだってきみの手を引っぱりたい」
「…!、?…??」
「試合も見にきてほしいし、かっこいいとも思ってほしい。きみは、おれのとても大切な女の子」
「!」
「…言ってる意味、わかるよな」
「わ、わかんないよ…」
「うそつかないで、わかっただろ」
「!…、」
「なあ…そんなおれ、いや?」

おっきなハンマー持って、きみは高い高い壁打ち砕いてやってきた。星もつかんでこれる、つよさを手に持って。お腹のなかのクローゼット、がたがた揺れた。出番だよ。

「…いっ、いやじゃない!」

子鹿みたいにお花畑をとびはねる女の子になりたいと思ってた。かわいい女の子になりたいと思った。つよい女の子になりたかった。高い壁のむこうを行けるように。すべてはお腹のなかで泣いてた、ぐるぐるの気もち。ようやくまんまるになって、外へ出られる。やっぱりちいさな八重歯見せてわらったフィディオが、わたしのほっぺたに手のひらをすべらせた。

「きみの秘密、おしえてよ」

いまこそ言ってやろう。得意げにわらって壁をフライパンで崩してあげよう。世界の真ん中が、フィディオとわたしであるうちに!





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