旅の終わりを迎えたのに特別な理由はなかった。図鑑を埋める為に傍に置けない程のポケモンを捕まえることも躊躇い、とはいえバトルが嫌いかといえばそうではない。ジムバッチを幾つか所有するのには積極的だった。優羽の実力を試したい、彼がポケモンとして強いことを示したい。証となったバッチも持ち歩いているぐらいには大切にしている。
 ただ、目的がないのに飛び続けることに疑問を持ってしまったのだ。リーグ優勝を夢見たトレーナーにもなれず、どちらかといえばブリーダー気質だったのも理由のひとつになり、此れ以上の意味を見出せなくなった時に名前は優羽そして最後の旅で出会った千夜だけを連れてひとつの地に留まることを決めていたのだ。
 新しいことにも挑戦したいという気持ちもあり、いつかやってみたいと思っていたカフェのアルバイトをすることにしていた。
 ぼんやりと空の向こうを眺める名前の傍らでボールの中に居る優羽は彼女が考えている全てを理解することも、読み取ることも出来ない。唯一、彼女が日に日に目に見えて増えていく空を眺める行為の現実を、分からないふりをする名前に代わって口にするのだ。
 此処から出して欲しいと優羽が動いたことに気づいた名前はボールに手を掛けた。

「どうかした?休憩時間だったし外に出たかったの?」

 ポケモンの姿のまま彼女の首筋に顔を寄せれば、くすぐったいと身をよじられてしまう。人型になりたくても今は人が行き交うカフェソーコの入り口から少し出た道、人目に付かない場所ではないのだからよしておくのが懸命だ。
 顔を離して優羽が空へ目線を向ければ言いたいことが伝わったのか、名前は苦笑しながら口を開く。

「旅をやめてからの方が空を恋しくなるの。きっと今の方が好戦的で、好奇心旺盛にどこにでも向かって行っちゃいそう。目的がないのが不安で旅をやめたのも理由のひとつだったのにね」

 眠るのが好きな千夜のボールを名前が撫でる。無いに等しい戦闘経験の子でさえ今なら戦う為にも育てられそうだと呟いた顔は切なく、憂いたものだった。傷つけたくはないけれど、互いに高みを望むのがポケモンとトレーナーの性だ。ブリーダー気質、そう言ったところで一度旅した人間ならではの勝負への好奇心はなくせない。
 より深く気持ちを伝える為にも優羽は彼女のエプロンの端をくちばしで掴み、背中に乗るようにいう。少しだけ飛んで夢の跡地まで進んでしまえば姿を変えても大丈夫だろう。自分にしがみ付く主人の手が震えているからこそ、早くその手を自分の手で包んで上げる為に速度を上げる。
 夕方に近づく森は人気も少なくポケモンたちも羽を休めていたからかとても静かな空間になっていた。名前の為にゆっくりと地に降りて羽根を地面へと向ける。彼女が降りたことを足音で確認し、周りをよく見渡してから優羽はその姿を人型へと変えた。

「大丈夫ですよ、名前さんが空を恋しがることを僕も千夜くんも悪くは思いません」
「だって、私もう此処でずっと過ごすって二人に言ったのだもん」
「いいのです。僕たちは名前さんの傍に居られるなら、どこだって居場所には変わりませんから」

 震える名前の手をとり、優羽は静かな場所でカフェソーコの主人とサンヨウの三つ子が行っていた秘密事を語り始めた。
 彼女が空を見上げていることに気づいていたのは優羽でなくもうひとりの母親もであったことを、バトルに高揚している姿を育てたいと思うトレーナーの純粋な気持ちに気づいた彼等がいたことを。その四人が名前の為にも、出張版カフェソーコという仕事の名目上、自分たちの背中を押して旅に出かけさせようとしていることを。

「何もずっと旅に出ているわけではありません。お仕事の為に地方を回り、此処に戻ってくるのです。名前さんが此処に居たいと思うひとつの理由に、ソーコの主人のおかえりが嬉しかったからでしょう?」

 周りの方々が自分よりも、名前のことを考えていてくれたことを知り、とうとう抑えていた涙がぽろぽろと名前の瞼から零れ落ちていく。目が覚めた千夜が慌ててボールを揺らしているのを、優羽が開放してあげれば、すぐさま人型をとり小さい身体で彼女に抱きついた。話の全てを聞いていたわけではない彼は事情が読み込めなくて掛ける言葉が見当たらないからこそ、抱きしめて温度を分け与えてあげるのだ。ひとりで悩み震えていたこころを落ち着かせてあげる為に、自分が傍にいることを知らせる為に。
 草むらにいたポケモンたちも人間の鳴き声を聞きつけて心配そうに三人を覗いているが、毎日散歩をしている優羽を知っているから口は出さずに見ている。おろおろしてしまう幼いポケモンと目があった優羽は、名前に見えないように唇に人差し指を付けて何度も頷いてあげる。大丈夫だと伝わったのか、その子も他のポケモンと同様に落ち着いて、でもまだ心配そうに顔を出すことにしたようだ。

「旅に出てもいいのかな」
「誰も名前ちゃんに駄目って言わないよ。僕も優羽くんも、おばちゃんたちも」
「目的がないってまた旅をやめたくならないかな」
「そのときはまた此処で暫くゆっくりしましょう。それに、目的を探す旅というのもありだと私は思いますよ」
「千夜のことも、バトルさせて経験値積むと思うの」
「いいよー?だって僕、名前ちゃんを背中で守って戦うなら嫌と思わないもん」

 落ち着きを取り戻した名前から千夜を離した優羽はもうすぐ休憩が終わることを告げる。そしてもうひとつ、仕事が終わったら旅のことの話をしようということも。彼女が仕事をしている間に大方自分から伝えておくことを述べれば、名前は甘えてごめんね、と頭を垂らす。
 甘えて欲しいぐらいですよ。ひとりで強がるくらいなら、その方が嬉しいですから。
元の場所に戻る為にも千夜をボールに戻そうと名前が彼のボールに手を掛けたが、いやいやと首を横に振られてしまう。離れたくない、そう言う彼は自分が甘えているのだと名前に示そうとしているのかもしれない。彼女ばかりが甘えているわけではないよ、と。
 人型から元のポケモンの姿に形を変えた二人。名前は優羽の背中に乗り、千夜は彼女の腕に巻きついて。風の抵抗を受ける子が一緒ではあまり速くは出来ないことを理解した優羽が空へ飛んだと同時に、名前のありがとうという声が風に乗り二匹のもとに流れついた。