古時計が時を刻む音と台所でする音。静かな空間に流れるものに耳を傾けながら名前が縫いものをする隣で千夜は人型をとり、床に転がりながら彼女の手元を見続ける。
 時折お菓子をつくる優羽に手伝って欲しいと呼ばれればどこか嬉しそうに、それでものんびりとした性格からかゆっくりと歩いて近寄ってお願いを聞く。千夜くんにお願いしたいのです、兄のような人に言われるその一言が嬉しくてこくこく頷きながら生クリームを泡立てたり、クッキーの型押しをしたり。
 決して失敗することは与えず、出来たことに満足感を、自分と名前に誉めてもらえるよう計らうのは甘やかしだろうか。
 今は名前の手先を不思議そうに眺める千夜をみながら、優羽は兄よりも父親か何かになった気分を味わっていた。

「名前ちゃん何つくってるの?」
「ポロックを入れる巾着。新しくしないとなって」
「水色なのは優羽くんのだから?」
「うん。これ綺麗な色だよね、ブリーの実とチーゴの実で染めた布なんだって」
「…僕のはないの?」
「ちゃんと千夜のも作るからこの箱から好きな布選んでて?」
「はーい。僕ね巾着の中の色は優羽くんと一緒がいいな」

 二人の会話を聞いていた優羽は照れくさそうに笑う。どちらかといえば千夜に年が近い名前だが、彼といるときは大人っぽく見える。最も自分からすれば、とこれは人型をとったときの外見年齢に過ぎないが、二人よりは大人になるのだからしっかりしなくてはと思う節もある。
 そうこうしている間に優羽の巾着は出来上がり、彼のものと同じ内側の布が使いたいと言った千夜の希望を叶えるべく、千夜と名前は箱から布を取り出して比べあう。

「でもさ、ポロックって本当は専用の箱があるんでしょ?」
「ホウエン地方の文化のひとつらしくて、イッシュや他の地方じゃ入れ物売ってないみたいなの」
「ってことは名前ちゃんホウエン出身?」
「違いますよ、千夜くん。名前さんはカントー出身ですから」
「あれ?カントーってチルタリスいたっけ?」
「僕はタマゴとしてカントーに渡ったんです」
「なら名前ちゃんと優羽くんは生まれ育った場所一緒なんだね」

 感情が表に出やすい千夜が頬を膨らまして、おもしろくなさそうに、それでも悔しそうにもさみしそうにもとれる感情を見せる。大方仲間外れにでもされた気分なのかもしれない。優羽と同じを好むくらいだ、好きで仕方がないのだろう。
 先程は照れていた優羽だったが、この不意打ちには少し顔を赤らめて手で頬を触っている。ひやしているつもりだろうがあまり効果はなさそうだ。
 対して名前はといえば、仲が良い二人が嬉しくて鼻歌まで歌って作業を進めている。上機嫌な意味を理解できないのか千夜は首を傾げて彼女に話かけたりしているが、台所のお兄さんはまだ手元が動かせそうにない。
 カントー地方にある実家で育ち、どうやら名前が生まれた日にタマゴとしてやってきたのが進化前のチルットだった優羽らしい。彼女が片言にも言葉が喋れるようになった日に殻を割った彼が、チルットから優羽と名をつけてもらえたのはもう数年先の話。
 旅をして、成長していく。手持ちは優羽だけでいいと家から駆け出した彼女が様々な土地を旅して、このイッシュに落ち着く少し前にフワンテの千夜を見つけて仲間にしたのだ。
 千夜は二人が旅をしてバッチを取得していたことを話には聞いていても一緒に体験は出来ていない。だからだろうか、好奇心もあって旅の話を聞きたがることも少なくはない。名前も求められた分は答えるが、触れられたくない部分に千夜が触れようとしたときは優羽が決まって話題を上手く逸らす。
 その度に彼女は申し訳なさそうに笑うから、自分から外へ連れ出すのを優羽は躊躇ってしまうのだ。

「ほら、千夜の分も出来たよ」
「ありがとう!じゃあ僕ソーコのおばちゃんに見せてくる!」
「マスターにちゃんと挨拶してお姉さんって呼ぶようにね?」
「あと千夜くん、人型でお外に出るならポケモンの姿に戻らないこと守ってくださいね」
「名前ちゃんも優羽くんもそれ口癖になってるよ、ちゃんと守るから心配しないで!」

 飛ぶように軽い足取りでカフェソーコに向かう背中を見送り、二人はゆっくりと息を吐く。口癖になっているのは分かっていても言わずにはいられない、本当に親か何かになったようだ。名前に関してはトレーナーとして親であるのは確かだが、それは決してこどもとしてみていくという意味ではないのだから複雑だ。
 おそらく優羽との約束は守れるだろうが、嬉しさのあまり名前の忠告は忘れておばさんと叫びながら店に入るのは予想出来なくはない。彼がポケモンであることを知っているマスターは他のお客さんに正体が見破れないよう気を使い、一人の少年として接してくれるはずだからこそ頭が痛いのだ。

「お菓子が焼けたらマスターさんのところに差し入れにいきますか?」
「そうしよっか。どれぐらいで出来上がりそう?」
「四十分くらいでしょうか。千夜くんが頑張って型抜きしたクッキーですから褒めてあげてくださいね」
「優羽は千夜に甘いんだから」
「名前さんほどではないですよ。それに私は貴女にも甘い気がしてます」
「そういう意地悪言わないでよ」

 頬を膨らます名前の姿が先程の千夜の姿と重なり、くすくすと笑ってしまう。ピンク色のパーカーを見に纏う彼女が一時間後にはカフェでエプロンに着替えきっと手伝ってしまうことを考えながら、先に出来上がったマフィンに合う紅茶を淹れる。
 優羽の気遣いをそこまでは読み取れなくとも、今日もおいしいマフィンと紅茶が飲める。多少散らかった周りを片付けて名前は伸びをした。