上機嫌のリコの隣で苦笑交じりに名前は目の前の学校を眺める。体育館の出入り口付近を覆いつくす程の観客の数、勿論言うまでもなく女生徒ばかりで入り辛さが増した。
 練習試合の申し込みに行くということで偶然帰宅する時に彼女に遭遇した名前もご一緒することになったのだが、この雰囲気には苦笑いしかでてこない。中学時代を思い出します、とリコにもらせばそんなものなのかと問われる。男女バスケ部合同で練習する時に練習の邪魔にすらなりそうな黄色い声援に主将の眉間に皺が寄り、なんとかしてこいと1on1で負けてしまった名前は繰り出されたのだが結果は失敗に終わっている。傍で見られるなんて卑怯だと言われたのには流石に腹が立ち、帰宅の際に仲が良い青峰につい愚痴をこぼしてしまったこともあった。
 体育館の中へ足を運ぶのに誠凛バスケ部のものですと名のならなければ視線が痛いだなんて、相変わらず黄瀬の人気の高さには驚かされる。

「こんにちは、先程お伺いすると連絡させて頂きました誠凛バスケ部の監督の相田です」
「そっちの彼女は?」
「マネージャーの苗字名前です。監督の同行を申し出たのですがお邪魔でしたら体育館の外へ出ています」
「構わん。見て盗めるようなものじゃないんでな」

 相手校の監督の挨拶も済ませ、名前は二人から一歩後ろへと下がる。部外者が一緒では相手方に失礼だろうと付いた嘘だったが、どことなく響きがくすぐったくて仕方がない。今までも数度、合同練習や練習試合の手伝いでマネージャーのような役割をしたことはあったが、自分から名乗ったのは初めてだったのだ。
 休憩の指示を出された選手がコートの外へ出てくるのを目線を合わせてお辞儀をしていけば、少し驚いたように、それでもやわらかい笑みを黄瀬は此方に向けた

「誠凛バスケ部のマネージャーの苗字です。何かお手伝いすることはありますか?」
「主将の笠松だ。その、なんだ、何もしなくても大丈夫だ」
「いいじゃんいいじゃん、手伝って貰おうよ。苗字さんだっけ?俺、森山ね。よろしく」
「おい森山!彼女はうちのマネージャーじゃないんだ!」

 たどたどしく握手を交わしたと思えば、先程から一度も目線が合わない笠松と名前。そいつ女の子得意じゃないんだよ、と森山が名前の肩を抱いて説明すれば彼は頬を赤らめて森山に蹴りを入れようとしたが目の前に女子がいては振り切れず、どこか悔しそうな顔をしながら踵を返す。
 背中を向けながらも彼女に失礼がないようにと口にするあたり、愛も変わらず不器用ではあるがやさしい人だ。名前が意図的に初対面を装ったのに気づいて話を合わせてくれてもいる。名前と黄瀬がルームシェアをしていることを海常の人間で知っているのは笠松だけで、刺激をしてはいけない観客が大勢いるのだから。
 横目で話し合いをする監督二人を盗み見る。お互いの学校のスケジュールや選手の調整もあるのだから簡単にこの日にしましょうとは言えないのだろう。合同練習が目的だと強い目で此方に向かいながら語っていたリコは出来るならば合宿、無理でも続けて数日は時間を貰いたいと交渉をする気でいるらしい。

「じゃあさ、苗字さんドリンクお願いできる?女の子が作った方が俺、気合入るからさ」
「大丈夫ですよ。お話まだ時間かかりそうですし」
「ん、俺が一緒に行くって言いたいんだけど笠松の視線が痛くって。黄瀬でも連れていく?」
「場所を教えて頂ければ一人でも大丈夫ですよ?」

 ベンチ横で話をする二人が話題に出た黄瀬に目をやる。笠松や他の部員たちと休憩時間だというのにコート上を走り回っている彼を引っ張り出すのは申し訳ない。此処でのバスケが楽しいと笑うようになった友人の、普段は見られない姿はモデルの時の笑顔より輝いてみえる。
 やはり邪魔をするのは申し訳ない。一人でも構わない意思を随分と上にある森山の目線と交差させて告げれば彼は面白そうに笑って、頭をやさしく叩いた。

「黄瀬が気にしてるんだよ、君のこと。知り合いか何かじゃないの?」
「私も黄瀬くんと同じ帝光中出身で女子バスケ部だったんです」
「へー、バスケ経験者か。なるほどね、友達だから騒がねえんだな」
「騒ぐ、ですか?」

 顎の先で示されたのは声援を送り続ける女子生徒たちの姿。少ない方だと言うが入り口を埋め尽くす程の人数は視認出来る。大半が黄瀬目当てなのか森山と話をする名前には目もくれず、彼の名をひたすら呼び続けていた。

「モデルの黄瀬がいるってのに駆け寄ろうともしないどころか、安心した目で見てたよ、さっき」
「なんだか恥ずかしいです。でも、彼が楽しそうで安心したのは本当です」
「まーキセキの世代の黄瀬が海常バスケ部の一員になろうってしてるから俺等も認めたんだ」

 先輩の顔で本心を告げた森山は気持ちのいい顔をしている。黄瀬が変わろうとする姿を見ていてくれる人がいて、受け入れてくれる人がいる。自分のことのように嬉しく頬が緩むのを抑えながらコートを見続けた。
 そんな名前の表情を見て、随分な子がいると思ったのは森山だけでなく休憩に入っていた笠松もであった。夕飯に招かれたりしながらも多くは会話をしたことがない彼女のことを、後輩の友人として、ひとりのバスケ少女として、関われば関わる程認めざるを得ない。最も、怒らせると手がつけられないと黄瀬がもらしていたのだけは疑問として残っているが、あの緑間が口を挟めず、青峰と口喧嘩ではよい勝負なのだと教えられているので確かめようとはしなかった。
ミニゲームに集中しているようで此方を気にしている黄瀬の視線に理由を知る笠松はわざとらしく溜め息をつく。仕方のない後輩だ、と。

「黄瀬、誠凛のマネージャーが手伝いを申し出てくれた。同じ一年だ、ドリンクをお願いしたから案内してこい」
「了解っす。こっちにあるんで付いてきて貰える?」
「練習中にわざわざすみません、ありがとうございます黄瀬くん」
「…いーえ、笠松先輩の命令っすから」

 いまだ話し合いを続けるリコに此の場を離れることを告げる。笠松に手渡されたドリンクボトルを二人で手分けして抱えてその場を後に。女子生徒の間をくぐっていくときは沈黙を突き通し、部室へと向かいその扉の中へ入れば、黄瀬は安心したように深い息を吐いた。

「名前っちが来るとか聞いてなかったし、笠松先輩と二人初対面ですって顔するし、おまけに黄瀬くんって呼ぶしさ。流石に最後のにはむすっときた」
「せっかく笠松先輩が話し合わせてくれて、きーちゃんも私を知らないふりしてくれていたから。ここできーちゃん、って呼んだら意味なくなっちゃうじゃない」

 それもそうだ。だからといえ、普段呼ばれるあだ名とは違うもので名前を呼ばれたのだ。どこかさみしいものがこみ上げてしまう。きっとあの場で挨拶でも交わすことになり、自分の口から苗字さんと彼女を呼ぶことになったら更に心の中は荒れてしまうだろう。
 自分の立場を考え、彼女を意図的に此の学校から離しているのを彼女だってもう気づいているかもしれない。口にしないのが優しさなのは、彼女もまた女の子だからだろう。事情は分かるよ、なんて目が伝えてくれているのにわざわざ問う必要はない。
 人数分のドリンクを準備していく。あくまでも此処にいるのは誠凛のマネージャーと海常の選手。時と場合により変化する二人の関係も、根本にあるのは友人という絆だ。

「きーちゃんが楽しそうにバスケしてたの見れたから、今日は来てよかったよ」

 最後のひとつのドリンクの蓋を閉める。本数を確認して腕に抱えて、休憩時間が終わる前に戻れそうなことを時計で確認してから部室を後にする。

「誠凛と海常の合同練習の時もお手伝いするつもりだから、その時もよろしくね」
「また他人のふりって俺たえられっかな…」
「あのね、黒子くんと火神くんが私のこと部員に全て話してあるみたいだから」
「ルームシェアのこととか、名前っちがバスケやってたこととか?」
「バスケのことは前の合宿のときに。だから他人のふりはしなくていいのかもね」

 此方へ向かうときの森山の台詞を黄瀬に伝えれば、演技は上手いほうなのにと苦笑している。出身中学が一緒だっただけでもあだ名で呼び合うことに不思議はない理由になる。他校生がいるならば家の話題を誠凛二人も自ら持ち出そうとはしないだろう。
 他人のふりが気持ちよくないのは何も黄瀬だけではないのだ。誠凛はもとより応援してくれる生徒を体育館には入れてはいないので、ここまで気を張る必要はないだろう。ある意味、あのバスケ部だって大家族のような雰囲気をだしているのだから。
 漸く息を吐けた黄瀬は気持ちが軽くなったと次にコートに戻るときは悪戯な笑みを浮かべていたので、本当に張り詰めた肩の力は抜けたのだろう。自分の我侭で此処に来てしまったことを申し訳なく思うので帰宅したらもう一度謝らなくてはいけない。話が終わったらしいリコの元へ名前も駆け寄り、二人が学校を後にしたのは訪れてから一時間後のことだった。

「話し合いの結果ね、二泊三日の合同練習を合宿でもぎとったわ」
「さすが先輩です。宿泊施設はどうしますか?」
「当てがあるから安心して。暇だったらまた手伝ってもらいたいのだけどいいかしら?」
「勿論です。だって、仮にもマネージャー名乗っちゃいましたから」

 此方もまた悪戯な笑みを浮かべて返す。似たような笑みをみた覚えがあるなあ、とリコが先程の黄瀬の表情を思い出すのには時間は掛からず、さて、うちのバスケ馬鹿たちに報告しにいきますかと踏み出した足はとても軽いものだった。