不穏な空気が漂っていることを感じ取っているのは当事者以外というのがお決まりごとなのだろう。名前と青峰が相変わらず第三者からみたら口喧嘩しているようにさえみえそうな会話をしていたと思えば、お腹を抱えて笑い合っている。時折青峰が立っている台所の壁を叩くものだから響くから叩くなら床にしてよ、なんて名前が的外れなことを述べたりもしているのだ。
 何が問題なのか、眉間に皺を寄せた黒子と火神を他所に緑間は首を傾げたくなる。但し、ソファーで小説を読む緑間の横で膝を抱えている黄瀬を見れば何でも無いとは言い切れないのだろう。
 いい加減にしてくれないかと頭が痛くなる緑間を他所に箸が転がるだけでも楽しいらしい二人は会話が弾んでいるせいで周りの様子は視界に入ってなどいなかった。
 随分と時間の掛かる朝食の準備だ。

「だからあそこでへばるのが情けないんだよ、おめーは」
「昨夜頑張っちゃったから腰痛いんだけど、それまだ言うの?」
「なんだよやりたいって言ったの名前だろうが」
「それにしたって手加減してくれたっていいじゃない」
「へえ、手加減したら涙目で本気出してよって言うの誰だ?」
「私だけどさ、あんなに激しくならなくったって…」
「別に明日は土曜日だからいいって言ったのもお前だからな」

 二人が紡ぐ言葉の単語ひとつひとつを漏らさず反応して身体を跳ねらせている黄瀬はもう限界を迎えそうである。
 昨日夕方、用事があると嬉しそうに出掛けた二人が帰宅したのは深夜だった。腰を抑えた名前と満足そうに笑い機嫌がいい青峰。労わってやるから先に風呂に入ってろ、なんて青峰が玄関先で彼女に告げれば頬を赤くさせて意地が悪いとバスルームに向かっている汗で髪の毛が首についている女の子。わなわなと震える黄瀬が首を鳴らしてリビングでシャツを脱ぎだす彼に何をしてきたのか問いたらどうだ、秘密だと口角をあげて告げられたのだ。
 朝が六人をお出迎えし、黄瀬が黒子と火神に泣きつくように報告した後に朝が苦手な二人がぼんやりとした顔でリビングに顔を出す。腰が痛い腰が痛いと、ついでに肩も痛いと憂いた吐息を漏らす名前を鍛え不足だと笑う青峰、お前の体力と一緒にしないでよ、と腰に一発蹴りを入れた彼女だがどうやら満更でもなさそうで表情はやわらかい。
 偶然担当が重なった二人が台所に立つ中で空気の居心地の悪さは増していく。心底気づいて欲しいと思っているのは緑間だけで、後の三人は会話を聞き取るのにも神経を使っている。誠凛二人組みなんてほら、握り拳までとうとう加えられてしまった。

「ほら出来たんだから青峰も運んでね、私こっち運ぶから」
「腰いてぇとか泣きそうな顔してる奴が重たい方運ぶとかどーしたんだ?名前ちゃん?」
「調子に乗りすぎると青峰のサラダはなしにするよ…?」
「からかってるとか、本当のことじゃねぇか」
「だあもう!青峰っちも名前っちもいい加減にしてくださいっす!泣きたいのはこっちだから!」

 とうとう我慢ならなかった黄瀬がソファーの上に立ち上がる。その振動で緑間の身体が揺れてしまい不愉快そうに顔を歪めたが、周り三人の気迫に口は閉じておくことにしている。
 怒らせて面倒な、特に黒子の笑顔があまりにも輝いているのだから。

「昨日から何なんすか!腰痛いとか秘密とか!労わるとか体力とか!」
「きーちゃん…?」
「名前っちも満更でもなさそうに頬染めちゃって!青峰っちと何してきたんっすか!」
「えっと、それって昨日の夜のこと?」
「夜のこと?じゃないですよ名前さん、朝帰りしなかったことだけでも良かったものの」
「朝帰りは無理だよ、私がそんなに頑張れないもん」
「俺は別に朝になってもいいって言ったんだけどこいつが帰るってよ」
「帰ってきて正解だっての!お前等が起きてくる前の黒子と黄瀬の顔どんなんだったか知ってるか!?普通じゃなかったからな!」
「はあ?俺が起きてくる前とか無理だろ。名前も見れないっての」

 あくまでも二人セットだという言い方に黄瀬は今にも泣きそうになり、机の上に全員分のサラダを運び終わった名前の腰に勢いよく抱きついた。痛いよきーちゃんなんて、辛そうに言われても辛いのは此方だと離す気などない。状況が読めない名前が顔だけ振り返り、今も尚傍観を続ける緑間に説明を求めてみるものの、彼も分からないのだと首を横に振る。眉を下げて青峰の方に視線をやれば、彼はすでに黒子と火神に壁に追いやられている。
 朝食は出来ても食べるまでにも時間が掛かりそうだ。
 頭が痛くなりそうになり、緑間は捕獲されてしまった二人を他所に運び終えていないものを準備に掛かる。口も出さない手も出さないという選択肢は状況を理解出来ていない人間にとっては正しい選択だが、捕まえられてしまった側からすれば助けて欲しいので二人して彼に視線を向ける。但し長くは続かない。一人は腰を掴まれて喚かれてしまうし、もう一人は笑顔で追いやられているのだから。

「青峰くんは黙っていてくださいね、昨日のことは名前さんに説明をお願いしますから」

 黒子の決してやさしくはみえない笑顔での一言によって隠せないことを知った名前は、深い吐息を吐いた後に説明しようと口を開いた。とりあえず冗談なしで刺激を与えて欲しくない腰からは離れて貰い、彼の横に腰掛けて。
 陽も沈み掛けた昨日のことだ。ふとバスケがしたくなった名前が帰宅する前の青峰にバスケがしたいと一言メールをしたのが事の始まりだった。彼女にとって一番多くバスケをする機会が多かったのが青峰だったこともあり誘いやすさもあったのに加え、その夜の家事の分担も彼にはなかったのだ。
 私服に着替えて笑顔で近所のストリートバスケが出来るコートへ向かう。先に熱くなってしまったのは名前で、ゾーンに入るという面倒でも嬉しくもある青峰に対してもう動けないという程にまで身体を駆使していた。休憩を挟みつつも時間を確認できるのは鞄の奥底の携帯か公園の時計くらい。二人が我に返り今は何時だと時計に目をやった時にはすでに遅く、深夜となった中に帰宅したのだ。
 青峰と名前が一緒にいることは全員が知っていた為、女の子が夜一人になっているだとか、手の付けられないものが一人夜の街に繰り出した、なんて心配はしなくて良かったものの、帰宅した二人の火照った身体と会話、今朝からの会話の数々。バスケをして遅くなっただなんて知られたら怒られちゃうと名前が今夜のことは秘密にしようと提案したことが誤解を生み、男女の仲を疑われ、今に至ったのだ。

「それでは名前さんと青峰くんはバスケに夢中になりすぎたのが全ての原因だと」
「ついでに言えば青峰っちはゾーン?名前っちは我を忘れる程の本気プレイっすね?」
「ったく、二人共随分とバスケ馬鹿じゃねーか」
「火神くん、君は少し黙っていてください。それにその台詞を君だけには言われたくないと思います」
 誤解は解けた。とはいえ、誤解した者の機嫌はそう簡単にはよくならない。随分と此方が間違った考えをしてしまう程の発言をしておきながら、原因はいつもの如くバスケだ。
 黒子と火神の拳は緩んだものの腹立たしいです、と青峰の腹部に一発ずついれられていた。名前とはいえば黄瀬がぐずりながら誤解させないでくださいと下を向いているのを懸命に宥めている。二人もそんなつもりは全くなかったのだから理不尽だと言いたいが、言ってはいけないことぐらいは理解しているつもりだ。もし口答えをしてみろ、何を言われるか分からない。おそらくは暫く二人でストバス禁止だろうがそれは勘弁して欲しい。月明かりと電灯の淡い光の下で、静かな場所で息だけが聞こえるバスケを二人は好きなのだから。

「とりあえず誤解は解けたことだ、朝食にしないと時間だけが過ぎるのだよ」
「緑間っちは呑気っすね…、危うく狼と赤頭巾になるところだったってのに」
「何を言っているのか分からんが、前もあったことなのに今何故問題にする」
「ちょっと待ってください。緑間くんそれどういうことですか?」
「あ!待った!緑間くんそれ駄目!今言っちゃ駄目!」
「先週だったか、青峰が友人家に泊まりにいくと言った日に名前の帰りが九時近いことがあっただろう。あの日は俺も少しだけだが学校を出るのが遅くなってな、暗い中こどもがまだ公園にいるのかと目を向けた先には名前と青峰がバスケしていたがな」

 空気を読まない人の発言により、再び空気は悪化する。不穏な空気を漂わせた原因を当事者は分からないというのは本日で二度証明させられた。
 青ざめる顔の名前と、引きつった顔をする青峰。喚く黄瀬と頭を抱える火神。黒子の手は近くにあった壁を勢いよく叩き、大きな音を部屋中に響かせる。温かいスープも淹れたての珈琲も焼きたてのパンも、もう意味などない。萎れていくサラダの葉っぱが黄瀬の気持ちと連動しているようにさえみえる。
 時刻は既に全員の起床時から二時間経ち、午前十時。また二時間同じ事を繰り替えしたら朝食は昼食の役割を果たすことになるだろう。

「青峰くん、名前さん。今すぐそこに正座してください。口答えなど許しません」