薄い寝間着だけを身に纏い部屋を訪れてきた名前に寝台に放り投げてあったジャージを取り無造作に投げた青峰はまたか、と目を瞑る。眠れないの、と自分では気づいていないだろう泣きそうな顔で声を紡がれては突き放せやしない。今も昔も。
 あの日は確か男女合同で中学バスケ部の合宿をした夜だった。与えられた練習量に満足出来なかった青峰が暗い夜を走っていた時に、合宿所から出てくるひとりの女の子を見つけた。寝間着のまま、先にある木の下に座り込み夜を見上げる。少なくとも表情が確認出来る距離まで近づいて見た顔は、泣きそうなものそのものだった。
 眠れないなら眠れるまで付き合ってやるからひとりで外に出るな。
 いつかの約束の通り、一緒に暮らすようになった今、まだ前例は一度しかないとはいえ、つめたい夜に外出はさせず此の部屋に招くようになっていった。

「うとうとし始めたら担いで部屋に持っていくからな」
「ごめんね、青峰に甘えてばかりで」
「これぐらい甘えてとか言わねーから。いいからこっち来い」

 雑誌を読んだりゲームをしたり。深夜で他の同居人が寝静まったとはいえ、個人の時間を楽しんでいた青峰には彼女の甘えを鬱陶しいと思うことはなかった。却って玄関の扉が開く音がしてみろ、引きずり出された昔の記憶に血相変えて飛び出していくに違いない。同じ心配ならばそばにおいておきたいもの。朝方泣きはらした顔で顔を合わすのだってもってのほかだ。
 腰掛けていた寝台の隣に手招きをして座らせる。俯く彼女の頭をいい加減に撫でて。口を開くまで待つのが青峰の中で決めたことであり、夜中に男の部屋にいるという恐怖を抱かせないようにそれ以上の接触を自らは行わないのも揺るがない事実である。

「なんで眠れねーんだろうな」
「分かんない。たまに、なのが幸いだよ」
「ばーか。たまにでも問題だろ、夜がこわいって悪いが俺には理解出来ねえ」
「いや私も理解出来ないから何も言いかえせない」

 ごめんね。一言吐いた名前。泣くな、と思った時には既に遅く膝小僧にその顔を付けている。なんてことないのだ、彼女の場合襲い掛かる恐怖に大丈夫大丈夫だと落ち着かせて少し泣かせてさえあげればまた笑える。それでも泣かなくては越えられない恐怖を持っている。
 肩を震わす女の子が言う頭を撫でてという願望は、幼子が母親に求めるものに似ているのかもしれない。自分より大きくやさしい手が頭を撫でて名前を呼ぶだけの、何にも代え難い安心感。

「大丈夫だ、俺が居るだろ」

 二人の息だけが聞こえること十数分の時間だっただろうか、漸く顔を上げた名前は青峰がよく知る顔をしている。目元だけは少し下がった状態で。
 落ち着いたのだろう、握り締めていた拳も今は着せたジャージをそっと握っていた。

「担いで持っていってやろうか?」
「平気、歩けるよ」
「なら他の奴等起こさねーようにしろよ」
「うん、ありがとう」
「あとそのジャージ、今日そのまんま着て寝とけ」
「皺になるから流石に返すよ?」
「着ると安心するって言ったのどこの何奴だ。俺がいいって言ったらいいんだよ」

 眉を下げる彼女の肩を叩いてもう一度だけ大丈夫だと口にする。まるで魔法の言葉のように身体に沁みるなにかに名前は笑顔で礼を言い、青峰の手を取りお辞儀をする。握られた手が震えていないことを確認できれば、青峰はそのまま顎で部屋の扉を指す。明日も学校だ、極力夜更かしは避けた方が懸命だろう。
 音を立てないようゆっくりと階段を下る名前を見送り、深く息をして寝台へと身体を落とした。これで彼女の夜は長いものではなくなった。
 誰よりも不器用なやさしさを持つ緑間あたりは彼女の悩みをどこかで気づいているのかもしれないが、干渉すべきでないと黙っているのだろう。彼の夜は短いのだから知っていても不思議はない。
 共同生活を送る上で、誰が誰を、何に対して頼るのか。甘えていくのか。それが自分でないなら脚は動かせない。それでも思うのだ、何かあれば自分だってその人を支えていきたいと。
 黄瀬や名前が青峰を頼るように、黒子が火神を頼るように。勿論名前が緑間に寄りかかる部分があるように。誰かの何かでありたいと、誰しもが思っている。