誰にでも影はある。ひととして持つ、他人に見せたくない内面だ。上手く隠す人もいれば、あえてさらけ出すことで其れをまるで影でないように見せる人もいる。
 大半は前者であるが、隠すのが上手か否かはまた人次第。黄瀬もまたその一人であり誰よりも影を見せないことに長けていたのだ。そういう人程気づかれていることを知らない。

「青峰!私きーちゃん迎えに行ってくるね」
「は?黄瀬?」
「さっき迎えこれるってメールあったの。珍しいよねー」
「…名前、それ俺も行くわ。ちょっと待ってろ財布とってくるから」

 平日の帰宅が早い名前と、些か自主早退が目立つ青峰。夕食の買い出しも昨日のうちに終えてある為、リビングで足を伸ばしていた名前の携帯に一通の連絡が届いたのがそもそもの始まりだった。
 モデルという肩書きを持つのもあり、人に囲まれることが多い黄瀬は学校に名前を近づけようとしなかった。勿論バスケ部の手伝いとして付き添いで来ること自体には何も言わないが、それ以外は悉く遠慮している。彼女が他の人の好奇の目や嫌悪の感情に当てられないように。二人の間に特別な関係の名が与えられていなくとも、他人から見ればそのようなもの知ったこっちゃないのだから。
 そんな黄瀬からの連絡に彼が今まで学校に来るなら俺が行きたいと言っていた理由を知らない名前は首を傾げるだけだが、青峰ばかりはそうでなかった。長らく一緒にいるからこその些細な変化に気づきやすい。朝方彼の俯き加減、握り締められた携帯。目からにじみ出ていたあれは、嫌悪だった。

「県外とはいえ近い方だよね、一時間ぐらい?」
「電車はそんぐれーだな。駅からはバスか?」
「歩いてもいける距離だけどどうしよっか」
「黄瀬が迎えに来いって言ったんだろ、早く行ってやれ」
「行くのは青峰もだよー」

 そういえば青峰と二人で電車乗るのは久々かもしれない。随分と上にある顔を見上げれば、息苦しいのかと勘違いしたのか額を叩かれた。大丈夫かとの意味だろう。扉を背に吊革に捕まる青峰とのスペースは幾らか広い。
 女性物のバックを手にしながら会話をする姿がどこか面白くて笑えば身体を倒してふざけてくるので硬い腹部を手の甲で叩く。ここまで背が高いなら人の背に挟まれて息苦しいなど経験したことがないのかもしれない。
 後十分くらいで目指す駅に着くというあたりで目を擦る名前の手を引き、空いている席に座らせ青峰は彼女が眠る間黄瀬に何もないといいと心配をしながらその寝顔を眺めていた。

「…何分くらい寝てた?」
「十分やそこらだろ」
「青峰に手を引かれたのはなんとなく覚えてるんだけどな」
「ゲームして夜更かしするからだろ」
「それだけは青峰に言われたくないや」

 欠伸をしながらも着いた海常高校では此方を待つ黄瀬が門に腰掛けいた。勿論ひとりではない。女子生徒に大勢囲まれながらも上手くあしらい、先輩である笠松と会話をしている。
 少し遠くからだからか表情までは見えないが、どこか黄瀬の表情がいつもと違う。疲れているのかと心配する名前を余所に、青峰は彼女を住宅街の角に隠す。
 今まで黄瀬がしてきたことを無駄にしないように。今日を振り返った時に彼が後悔しないように。

「俺が彼奴連れてくるから此処くる前にあった駄菓子屋の前にでもいろ」
「…青峰?」
「いーから俺の言う通りにしろ。すぐ黄瀬つれてくっから」

 頭を二、三度叩いて足を動かす青峰も珍しく迎えを呼んだ黄瀬のことも名前にはよくわからなかった。ただ、彼等二人だからこそ分かることが気づけることがあるならば青峰の言う通りにした方がいいだろう。名前にだってなんとなく黄瀬の雰囲気が違うことぐらいは分かるのだから。
 駄菓子屋まで歩き、適当にお菓子を買おうとしたところで鞄を預けたままなことを思い出し仕方がないのでお店の外で待たせて貰う。ああ見えて、誰よりも気を回せて行動に移せるのは青峰なのだ。悔しいけれど幾度となく名前も助けてもらっている。
 空が青い。あの雲はきりん、くま、かめ。
 ぼんやりとしながら空を眺めていれば横から近づいてきた人が名前の肩に顔を埋める。何があったかは聞かない方がいいだろう、見上げた先は既に青峰の姿になっており誰かを想うやさしく難しい顔をしていた。

「今日はパスタにするんだけど、きーちゃんはソース何がいい?」
「…名前っちと青峰っちと同じやつ」
「青峰は?」
「俺ミートソース」
「じゃあ私達三人がミートで、他三人がカルボナーラね」
「デザートうさぎの林檎がいい」
「うんうん、なら明日のお弁当には林檎のコンポートいれてあげるから」

 帰りはバスでゆっくり帰ろっか。都内まで出ているバスに乗り込んだ三人は一番後ろの席に腰掛ける。他にいる客は仲がよさげな老夫婦だけ。窓際に座る名前の肩に顔を埋めたまま眠る黄瀬の足を、母親が幼子を眠りにつかせるようにそっと叩く。次第に再び睡魔に襲われる名前に、電車の時のように着く時起こすと告げた青峰により二人が夢の中へ。
 黄瀬は滅多なことがないと愚痴のような悩みを口にしない。今回もきっとそうであり、帰り際笠松から耳打ちされた青峰は考える。女の子に付きまとわれるのも泣かれることも、しつこくされることも彼には珍しくないだろう。優しい黄瀬だから悩むことも多いだろう。いないとは言わないが、名前のように黄瀬をモデルとしてでなくひとりの友人や仲間として付き合ってくれる女子は多くはないはずだ。名前こそ中学からの仲間であるからこそで、同じ高校にモデルで普段から雑誌で見てる人がいれば騒ぐ人がいてもおかしくはない。
 ただ、たまに辛くなるだけ。切なくなるだけ。悔しくなるだけ。
 自分が思っているより黄瀬を理解出来ている名前が甘やかしてあげれば明日にはまた笑えるから。
 青峰の携帯に届いていた一通のメールは、彼女が駄菓子屋前で待っていた時に彼に送ったもの。
 私に何が出来るかな。
 そう想ってあげることが黄瀬には十分であることを知らない女の子の膝に自分の上着をかけてあげて。次第に眠くなってしまった青峰が目を閉じてしまった。
 三人の会話を微笑ましく聞いていた老夫婦が運転手に三人が降りる停留所を告げ起こしてさしあげてくださいね、なんてやりとりをしていることは仲良く夢の中でバスケをする三人は知らない、やさしいお話。