旅行鞄のキャリーケースは黄瀬と色違いのヨーロッパで人気のある革の生地で出来た洋書風のデザインの茶色のもの。お気に入りの鞄に着替えや洋服の他に申し訳程度の勉強道具と緑間から借りたバスケのコーチ用の雑誌とさつきのノート。
 旅行にいくとは違う荷物の並びが新鮮で踊る心はとめられないけれど浮かれているわけにはいかない。
 ショルダーバックの中身を確認したところで家を出れば自宅を出てすぐの十字路に伊月の姿がそこにはあった。

「おはよう名前ちゃん。昨日は眠れた?」
「寝かせてくれようとしないのが一人いましたが寝不足にならない程度には寝ていますよ」
「そう、ならよかった。荷物は貸してね?俺達の為に休日をくれたんだからそれぐらいはさせて貰わないとね」
「でも重たいですから…」
「重たいなら尚更ね。じゃあ行こっか、日向達は先に着いてるはずだから」

 そっと手を伸ばして微笑みひとつ目線を合わせて与えてから旅行鞄を自分のもとに引き寄せる。伊月の慣れているかに思える女の子への対処や仕草は名前にはたまに恥ずかしく感じてしまう。車道側を歩き、歩幅を合わせて尽きることのない話題。人を引き寄せるひとでもあることは考えようもない事実だった。
 いつかの屋上でのバスケ部からの相談から日を重ね合宿当日の朝、渋り続けた一年生二人に妥協案として名前をつれてくればいいとのリコに二人は賛成した結果名前はいま此処にいる。黄瀬には散々駄々をこねられ、緑間には母親のような心配をされたり。ただ青峰だけには、バスケ出来るじゃねえかと歯をみせて笑って貰えたから。行きたいと自分から言い出せたことを彼には感謝をしなくてはいけない。
 しっかりとした意志を宿した瞳で学校前に止まるバスを見つめる名前に、伊月はいつになく思う。可愛いや優しいなどの褒め言葉よりも、彼女には芯が強く儚くも誇らしい花のような子という言葉が似合うだろうことを。
 バスの座席もちゃっかり伊月が隣になり、黒子や火神は少しばかり不満そうだった。

「向こうついたら皆は合宿所の周りを走り込み、苗字さんはドリンクの準備をお願いね」
「つーか今までも流れで手伝って貰ってきたけど、苗字ってバスケとかマネの経験あったのか?」
「皆さん知らないで名前さんのこと了承してくれたんですか?」
「黒子や俺以外知らないだろ。名前いま言っとけばいいんじゃねーか?」

 誰もが思う疑問を日向が口にすれば名前のもとに一気に視線が集まる。前の座席に座っていた火神も行儀悪く乗り出してくる始末。黒子に助けを求めても、いい機会ですとばかりに微笑んでいる。

「…中学時代バスケやってました」
「ちなみに苗字さん中学はどこだったの?」
「えっとですね…その…」
「名前さんは僕と同じ帝光ですよ」

 躊躇していたひとの気持ちはお構いなしに黒子が公表したものだから合宿所につくまでの時間はほぼ名前のバスケのことになっていた。
 男子までとは言わずとも女子もまた有名ではあったのだから仕方がない。女子からの言い分としてはあまりに男子が有名になり過ぎてプレッシャーを良い意味でも悪い意味でも抱えていたので当然といえば当然の結果。
 勝つことにがむしゃらに、女子ならではのいざこざ。楽しかったのは嘘ではないけれど辛かったのもまた事実。黄瀬がバスケをはじめて一軍へあがったあたりからか、時期的に部内の雰囲気が悪かったのに耐えられなく青峰とばかり練習がしていたのも懐かしい。
 どんな練習をしていたかや、筋肉や体力をつけるのに必死だったこと。二年生の質問に答える名前がいい顔をしていたのを見た黒子と火神はつれてきてしまった事実に今更安堵を覚える。何よりも彼女がバスケに抱いていた想いを側でみてきた青峰から注意を受けていたから尚更に。
 ついた場所は山奥の空気が美味しい合宿所。窓から見えるリコの指示通り走り込みをはじめる選手を横目に、食堂のキッチンでドリンクの準備をする。青峰の案で久々に身に纏った練習用のシャツは現役時代の匂いさえしそうで。
 否めない高揚感に自分でも苦笑していれば、練習から外れてきたのか火神が窓の枠に肘をついて此方をみていた。

「カントクが練習まざってみっかって」
「流石に男子にはついていけないよ」
「でもたまに隠れて青峰とやってたらしいじゃねーか」
「知ってた?」
「バレバレだっての。やりたいならやればいいだろ」
「走り回れるかな」
「やるならゲームは俺や黒子のチームだとよ。カバーしてやるから来いよ」
「火神くんらしい誘い文句だ」

 でも、ありがとう。
 作り終えたドリンクを二人して体育館へと運べば、すでにチーム分けされて準備をしていた彼等がいる。一年生のチームだと渡されたゼッケンの懐かしさに湿っぽくなる前にシューズの紐を結びなおした。

「さあ、お手並み拝見よ!」

 リコの掛け声ではじまる試合を彼女の隣であの日々のように強い目でみつめる。試合は中盤、黒子の掛け声で降旗と交代して入ったコートは広く、凛々しくそこにあった。カバーは任せろという火神の後ろで黒子と目線を合わせる。
 この感覚、この世界を私は知っている。
 一瞬の隙をつき黒子から回されたボールを身体の記憶に任せながら走り込みいい顔をした火神の元へ。放たれたボールが弧を描き点数と共に地面に落ちればコート中の視線が名前の元へ。実力を知らぬとはいえ、強豪高と肩を並べる選手を抜いてみせたのだから驚きと、そして先程の火神のようにいい顔で息を吐いた。
 試合はまだ終わってなどいない。