決して広くはない家の前の道路、此処でサッカーをするのは小学生以来かもしれない。弥谷にとってのサッカーは年を重ねるにつれて、好きだという単純な想いよりも、競争の手段になってしまっていた。
 何かひとつが上達するごとに手を上げて喜んでいた時期がひどく懐かしい。今こうして目の前でリフティングをする名前が、一回目よりも二回目の方が数が増えたと笑顔で報告する姿が、楽しんでいた頃のサッカーをしていた自分に見えてしまった。
 予想もしない方向へボールが飛んでいく度に上手く出来ないと口にする。それでも尚、ボールが一度足に触れれば表情も笑みへと変わっていく。アドバイスをすれば真剣に受け入れてから再挑戦をする名前が微笑ましくて、切なかった。
 お前みたいな気持ちを持ち続けてサッカーをしていれば、少なくとも誰かを哀しませるような結果を生むことはなかったかもしれない。自分の怪我も不動達との出会いも、弥谷にとっては得られえたものの結果なので後悔はないものの、やはり誰かを哀しませることになってしまった事には、後悔の念はあるのだ。
 弥谷がサッカーをしようと名前を外に連れ出してから既に三時間が経過しようとしている。

「そろそろ家戻るか?」
「じゃあ最後に弥谷くんとサッカーしたい」
「パスってこと?」
「うん。やっぱり誰かとやる方が、楽しいでしょ?」

 真っ直ぐ弥谷くんの元に蹴られないと思うけど。期待の眼差しに含まれる不安の気持ちは、断られるかもしれないというところからきているのだろう。サッカーをしようと連れ出して貰ったのはいいものの、名前にリフティングをさせるだけで弥谷は今まで一度もボールには触れていない。彼の目的は名前がするサッカーを見てみたかったというものなのだが、名前はそれを知る由もない。弥谷とて、恥ずかしくて言えたもんじゃないと口を閉じているのだから、余計に不安は募るばかりだ。
 弥谷の胸の前にボールを差し出す。触れることに躊躇したのか、伸ばす腕を引っ込めてしまったが、名前の目を見て決心がついたのだろう、今度は両手を伸ばしてボールを受け取った。
 確かに彼女のボールは真っ直ぐには弥谷の元へは向かわない。力を込めれば畑の方に向かうし、かといえ力を抜いても変な方向へ向かってしまう。本当に、始めたばかりの自分をみているようだ。弥谷は久々に楽しいだけのサッカーをしたと、家の中に向かった後にそう零した。

「俺、やっぱりサッカー好きで、学校の部活も好きだけれど、彼奴等とまたサッカーしたいんだよな」
「佐久間くんと源田くん?」
「二人だけじゃなくて、不動さんとも小鳥遊ちゃんとも、暁達も全員でさ」

 ぽつりぽつりと、本音を漏らす弥谷の言葉をひとつも取りこぼすことのないように耳を傾ける。外に居た時間が多かったせいか、早めに布団に潜り込んだ二人には昨晩やその前のような日付が変わるまで話をする体力は残っていない。スポーツマンの弥谷は体力こそあるものの、日頃の疲れが未だにとれていないのだろう。
 仲間とサッカーがしたいという話をしたところで、彼は眠りについてしまった。
 息を潜めて、十数分くらい経過しただろうか。名前は彼を起こさぬよう気を配りながら携帯を片手に部屋を後にする。肌寒い廊下に座り込み、愛媛の人攫いの件でお世話になった鬼瓦へ電話を掛けた。呼び出し音が鳴っている間に、鬼瓦に説明しようと思った内容を頭で繰り返しておく。冷える手を擦り合わせ、弥谷が目を覚まさないよう小声での会話を心がけた。

「鬼瓦さん、苗字です」
「どうした嬢ちゃん、何かあったか?」
「お願いがあるんです」
「何だ、言ってみろ」

 駄目だとは言わなかった。鬼瓦は名前の要求に、君には出来ないかもしれないがとは言いながらも、願いを笑うことも、叱ることもしなかった。唯一度、今回限りだと告げた鬼瓦は嬉しそうにお礼を述べる名前に、もう夜は遅いから眠るようにと言葉を加えて電話を切っている。弥谷は良い友人を持ったな。今回の事件の調査資料に目を通しながら熱い珈琲を片手に鬼瓦は思う。
 とても後味の良い事件だとは言えなかった。全てを知り、全力を尽くした彼でも腑に落ちないところさえ残っている。哀しい、事件だった。
 電話を終えた名前は、布団に潜り携帯を握り締めて眠りについた。どうか、弥谷がまた笑ってサッカー出来ますように。願いはひとつであり、行動を起こすきっかけも、弥谷の笑顔の為だった。