生暖かい室温の病院の独特な匂いはどうしても好きになれなかった。
 警察からの指示で定期健診に行かなくてはならない弥谷に自分も着いていくと後を追いかけた名前は、彼が診察室から出てくるまでの間を誘われる眠気に耐えながら待合室のソファーに座っていた。常備されている雑誌や新聞にも手をつけることもなく、音楽プレイヤーも、携帯ゲーム機ですら暇を潰す道具にもせず、ただひたすら彼が入っていった部屋の扉を見続ける。
 診察に来なくてはいけない身体なのだろうか。病気でも痛む箇所もないと笑っていた弥谷の姿に、何かを隠されているようで哀しくもなる。家に来るぐらい頼ってくれるのなら、私を支えにしてくれてもいいのに。頼りにならないかな、睡魔と戦うために頬を抓れば痛みよりも先に、濡れていることに気づきそのまま数度叩いては、彼が帰ってくるのをひたすらに待った。
 弥谷といえば、診察室で前回と同じように痛むところはないかなどを聞かれていた。警察も病院の関係者も、どうやらエイリア石のことは知らないらしい。知っていたとしても、自分達が使用していたことは、知らないのだろう。彼等の口からその言葉が発せられるまでは黙り通すつもりで、痛む足を練習のし過ぎだと口にし、決して石の副作用だろうことは口を閉ざし、診察が終わり次第待っていてくれている名前の元に向かった。

「もう終わった?」
「おう、悪かったな待たせて」
「何ともなかった?」
「結果はまた後日だよ。でも何ともないから心配すんな」
「そっか、ならよかった。帰る?」
「帰る前に寄りたいところあるんだけどいい?」
「いいよ?」
「お見舞い。仲間が、此処に入院してるんだ」

 心配要らないと言っても尚浮かない顔をする名前に、弥谷はどれだけ心配をかけたのかと、何も言わない彼女の手を引きとある病室へと脚を進める。
 唯の一度も、心配したとも、何処で何をしていたかとも、言ってはこなかった。おかえりなさいと、それだけを帰宅した自分に告げて笑って見せた顔の裏に何を思い、何を考えていたのだろうか。その思いを口にしないのは、告げる思いが迷惑だと捉えられるとでも思っているのか。弥谷には何一つ分からず、繋いだ手に恥ずかしさよりも増して伝わるあたたかさに力を入れて握り返す。咎めず、受け入れてくれる優しさに甘えているのは十分に理解していた。

「仲間っていうのは、真帝国で一緒にサッカーしてた奴な。真帝国のことは、話さなくても分かるよな?」
「うん、弥谷くんがサッカーしてた場所でしょ?」
「そうだな、サッカーしてた場所だ。そこの仲間で佐久間って奴と源田って奴が入院してる」
「…サッカーで、身体痛めたの?」
「結果的にはそうなるけど、あいつ等は後悔してないみたいだし、これで良かったんだよきっと」

 怪我を負ったことが良い方向へ向かうということでは無い、そこで得たものが何かに繋がるということを指し示している。彼等二人が何故、不動に連れられて共にサッカーをしたのかは、彼から聞いていたからこそ、弥谷は良かったと思うのだ。名前からすれば彼等の事情は知らないが故に、言葉に隠された深い意味までは読み取れなかったが、見上げた弥谷の顔がやさしい顔をしていたので、それでいいと頷いてみせる。
 六階の廊下の突き当たりの二人部屋、佐久間と源田の名前が記されたネームプレートを確認して弥谷は部屋の扉を叩いた。