息苦しさに目が覚めれば視界には毛布が掛けられていた。窒息するんだけど、第一毛布なんて被っていた覚えないよ。
 弥谷が上半身を起こし、両手で毛布を外そうとしたところでどこからか枕が飛んでくる。何事かと今度こそ視界を妨げるものをどかせば顔を膨れさせて些か頬を染めた名前が居た。

「なんで枕投げるの。その前に何で毛布掛けたんだよ」
「着替えたかったから目隠しにしたの」
「窒息するんだけど。俺が起きるまで待てば良かったじゃん」
「弥谷くん起きたら意味ないもん」
「何でよ。そしたら廊下出るとか、昨日みたいに出来ただろ」
「だから弥谷くんが目覚まして、寝起きの姿見られたくなかったの」

 俯いたまま、此方にもう一度投げるつもりだったのか、視界の先にいる名前の手には枕が握られている。昨日の夜も寝巻き姿を見ているのだけれど、どうやら寝起きの姿を見られるのとは別らしい。今の彼女は髪を整えて私服に着替えている。まるでそれが女の子の事情だとばかりに主張する名前に、彼女がひとりの女の子であることを実感させられた。
 部屋の明るさとあたたかさ加減からして、もう昼近くだろう。名前がご飯を作ってくると下の階に降りていく後ろ姿をぼんやり眺めながら弥谷もまた支度を始める。自分達は学校が休みとはいえ、彼女の両親は仕事に出かけなくてはならないだろうから此の一週間は彼女の手作りのご飯を何度も食べさせて貰うことになる。
 着替え終わり携帯に手をかければ、名前の母親より、着替えたものは洗濯機の上に出してあるネットに入れておいてという連絡が入っていた。昨夜思った通りに、彼女はとても気が利く母親だった。右手にワックスを、左手に着替えを持って食卓へ向かえば和食の昼ご飯が名前の手によって準備されていた。

「あのね、夕食のお買い物お母さんに頼まれてるの」
「じゃあ夕方?ぐらいに行くか」
「ちなみに今日の夕飯はシチューだよ」
「久々に食べるかも、それ」
「お母さんのシチュー美味しいよ。パンも買ってこなくちゃね」
「荷物持ちぐらいするから連れて行けよ?」

 昼ご飯を食べて名前の部屋で二人して学校から出された課題をこなす。苦手分野を二人で補いながらの勉強は思っていたよりも捗った。ただ、学校が休みになってすぐに課題に手をつけた彼女と、真帝国学園でサッカーをしていた時間がある弥谷とでは残りの課題の量があまりにも違っていた。仕方がないね、なんて言う名前に、自分であそこに行ったのだから自業自得だとは言えなかった。
 夕飯の買い物をしている最中も、昼間の時間も、穏やかに過ぎていくことに安堵を覚えつつも拭えない不安感と苛立ちが弥谷にあった。風呂を借りて湯船に浸かりながらも思い出すのは過酷な練習をこなして来た日々と、仲間の顔ばかり。俺はあの日々に戻りたいのだろうか。幾日も触れていないサッカーボールと、得体の知れない宝石を身から離した後から痛み出すようになった脚。不動さん、風呂場で呟いた言葉は思いの他反響して耳に届くのに涙を誘われたが首を横に振り、無かった事にして早々と部屋で待つ名前の元に向かった。

「読み終わったらお前のそれ、貸して」
「此れ先月号だよ?」
「先月は忙しくて読んでなかったの」

 忙しい、弥谷はサッカーの練習で、という意味で言ったのだが、名前の脳内では彼が先月真帝国学園で何をしていたかまでは知らされていなかったので想像が出来ずに困ってしまった。忙しくなるほどに、毎月買っているサッカー雑誌すら読めないほど暇のない日を過ごして、何をしていたのかな。サッカーが上手な子が集められていたことは知っていたものの、だから何をしていたのかまでは分からない。サッカーをしていたのだろうが、普通に考えて朝から晩までサッカーだけをして過ごす毎日を想像が出来なかったのだ。
 どう返していいか分からず、何度も目を通し終わっている雑誌を無言で弥谷に差し出せば、難しいこと考えるなと笑われてしまう。彼は名前が何を思っていたのか、きっと想像が出来たのだろう。彼女がそれを知りたいと思っていることも。
 特に何をすることもなく夜も過ごして布団に入る。弥谷にとっては、身体が休まる気分はしても、どうしてかうまく眠れずに何度も何度も目が覚めてしまう月曜日だった。