目を閉じて浮かぶ最初の光景は、自分達を正面に捉えた不動さんの姿と、逃げろという叫び声だった。
 日本全体で宇宙人騒ぎが大きくなり始めた頃に愛媛では人攫いに合う子供が相次いだ。当然の対処なのだろう、中学校は休校になり、騒ぎが収まり事件が解決した今でも休みのまま、最後の一週間を迎えようとしている。
 真帝国学園が無くなり、不動の姿を最後に弥谷は自宅へ帰宅した。当たり前だが両親は自分が人攫いにあった一人だと思っているので、帰宅後一度たりとも外出などさせてはくれない。親の目から離れるだけで何処に行くのか、何をするのかと問われる毎日に嫌気が差してしまった。俺が悪い、そんなの分かってる。帰宅した日に強く抱きしめられたことで両親の愛情も、不安も、心配もすべて受け取った。もう二度と人攫いになどあって欲しくないと、それでもなくとも危ない目にあって欲しくないと過保護というほど心配をするのは理解しているつもりだけれど、弥谷にとってはその気持ちが、痛く苦しく、重かった。
 夕食を終えてリビングで編み物をする母親に近づく。どうかしたの剣ちゃん、そう首を傾げる母親の顔が数ヶ月前よりもはるかに痩せこけているのは見るまでもなかった。

「名前の家に、泊まりに行きたいんだけど駄目か?」
「…名前ちゃんのお家に?」
「あいつにも心配かけたから、暫く一緒に居たいと思って」
「剣ちゃんは昔から名前ちゃんと仲が良かったものね」

 お隣さんだから、大丈夫よねえ。隣に腰掛ける父親を覗き込む母親の顔は不安のそれと、父親に答えを預けているようでもあった。深く考え込むような動作をしてから、口を開く。
 父親も息子の心配をしているが、母親のものとも少し異なるものがあった。家に閉じ込めるようなことをしている。このままでは息子も、嫁も、参ってしまうだろう。苗字さん家に了承を貰えたら、好きにしなさい。やわらかい笑みで、子供を思う父親の表情で言葉を紡ぐ彼に、弥谷は敵わないと、頭を下げて自室に荷物をとりに行った。軽い足取りで自室に向かう息子を横目に、母親は暫くぶりに笑顔が見れたと零し、父親はすぐさま苗字家に電話を繋いだ。
 少しの荷物を詰めた鞄を肩にかけて家を出る。玄関先まで送ってくれる両親に、心が痛んだ。

「悪いけど一週間泊めてな?」
「弥谷くん、お家の人は?」
「許可貰ってる。お前の両親から何も聞いてないの?」
「聞いてない、けど、いいよ。おかえりなさい弥谷くん」

 インターフォンを押せば顔を出してくる幼馴染に一通り説明をして家に上げて貰う。ただいま、名前。自分より幾分か下にある頭を撫でてあげれば、帰ってくるのが遅いと言われてしまう。
 人攫いの事件が始まり、各家庭が子供を家から出さなくなるようになってすぐ会わなくなり、今日まで顔を合わせることすらなかった。帰宅した日に顔を出すべきだっただろう。心配を掛けたことを謝れば、帰ってきてくれたからそれでいいと、見慣れた顔で名前は笑った。
 彼女の両親も心配をしてくれていたからだろう、快く一週間の泊まりを許可してくれた。学校が始まるその日まで、俺は此の家に泊まらせてもらい、休ませて貰う。
 夕食を済ませてきたこともあり、今日はもう寝るだけだった。名前の部屋に案内されてすぐ押入れから布団を出してベッドの横へとひいてから、布団の上で荷物の整理をする。小さい頃は二人でひとつの布団で転がっていたことが、懐かしくなった。

「弥谷くん荷物此れだけ?」
「どうせ足りなきゃ必要な分とりにいくからいいよ」
「うちで洗濯しちゃう?」
「これ以上おばさんに迷惑かけらんないだろ」
「迷惑なんて思わないよ、だって弥谷くんだもん」

 うまいように言いくるめられて、洗濯までお世話になることになったのは思春期の男子としても気恥ずかしいものがある。きっと気が利く性格のおばさんだから、洗濯したものを名前に見られないようにもしてくれるだろう。
 寝巻きに下着に洋服二着。外泊時用の歯ブラシなどはタオルに巻いて枕元へと置いた。明日の朝になれば、名前のひと声で、これ等はこの家の洗面所に置かせてもらうことになるだろう。
 名前と交互に廊下に出たりしてお互い寝巻きに着替えたところで布団に潜る。慣れない枕も、人の居る空間も、考えてみれば真帝国学園で生活していたときも同じようなことを考えていた気がする。目的の為とはいえ、口にはしないものの仲間意識があったが故に、就寝前に交わす挨拶にどことなく安心したものだった。

「名前もう寝た?」
「まだ起きてるよ」
「声が眠そう、早く寝れば?」
「弥谷くんが寝たら寝るよ」
「じゃあ俺もう寝るから、早く寝な」
「うん。おやすみ、弥谷くん」

 おやすみ名前。自分のものでない布団が擦れる音がした。きっと寝る為に頭まで布団を被ったのだろう。彼女の小さい時の癖だ。今もそうかは、あくまでも予想でしかないけれど。
 見慣れない天井を見上げてため息を零す。両親も、警察も、攫われたとばかり思っているが、本当は不動に声を掛けられて自ら着いて行ったのだ。
 強くなりたいか、今のままで満足か、認められたいか。彼のどこか自分に言い聞かせるような問いに、首を横に振ることなく背中を追いかけた。実力を買われたことも、必要だといわれた事も嬉しかった。結局のところ試合に勝つことは出来ず、利用されたことを理解せざるおえなかったが、それでも自分達を選んでくれた不動は最後まで見放すことはなかった。
 自らが選んだ道を、例えそれが間違っていたとしても、決して自分では否定したくはなかった。あたかも無理やりその道を選ばされたかのように、優しい言葉を掛ける両親に、心配されたことが理解できていても、苛立ちを覚えてしまうのだ。
 考えるのはやめてもう寝よう。隣で寝息を立てる幼馴染のベッドを覗き、布団を掛けなおしてあげてから眠るために目を閉じた。日曜日の夜は、さみしくはなかった。