「あんた、明日誕生日だからね」

 右耳に当てた携帯の機械越しに電子音へと変声を遂げた彼女の声は蓄積された為あえなく俺の耳には直に届くことは無いが、声色から生み落とされたであろう落胆にも似た感情に心臓を締め付けられたのは他者に刺激されなくとも分かり知れた事。帰る場所を作るのよとばかりに自分の家を売り払い俺の部屋に住み着いた彼女のお陰で今はもう部屋は彼女の趣味で染められてしまった。
 目に宜しくないようなピンクのスリッパから迎えられる俺も相当彼女色に浸かっている。揃えた生活用品に何時しか居場所を覚えたのも確かで、考えてみれば其の居場所に数ヶ月も戻らずに仲間と寝食を共にしていたかもしれない。只今仮住宅と成された部屋にある白いカレンダーにしつこい程に赤丸が付けられた日にちを此の後数時間で迎えるとならば一つ希望は彼女の元への安全且つ早急に帰らせて貰いたいくらいで。耳から離す携帯に彼女の声を聞けないもどかしさを感じながらも事後承諾を得るということで仮住まいからの逃亡。気付かれたところで獄寺相手ならば彼女の名前を口にすれば皮肉ながらも行かせてはくれるんだろうけれど。

「用は何?」
「先に電話してきたのはそっちじゃん」
「あたしは用があったの」

 電話越しでありながらも今度は直に聞く彼女の声は留守電よりは少し落ち着いている。大して用は無く声を欲しかったと女々しい一言でも云えば瞬時に滅されるだろうから云うに云えない。後ろから聞こえる掃除機の音に生活感が見い出され早く帰りたいな、柄にも無く呟いて。
 男だけの部屋は埃臭かったからか外に出た途端に俺も二つの肺も気分が良くなり会話の合間に十分な程酸素を含んだ。
 そんなことをしている間に小さな花屋が目に止まる。表に並ぶ花は後幾日の寿命かとか考える時点で俺は職業病。吸い込まれるように開かれた自動ドアはイタリア人特有の柔らかな風気を纏った貴婦人を視界へと招く。

「お前って何の花が好きなんだっけ?」
「いきなり花の好み?」
「思い浮かばなきゃ色でいいから」

 女をなめるなよとばかりに次々に好みの花の名前をマシンガンを思わせるぐらいに連打で吐き出す辺りやっぱり彼女も女で、俺なんて彼女が云った花の名も大半が脳内で記憶にある形と重ならないのだからどうにもならず貴婦人相手に流れるように花の名を告げる事で土産の花束はお任せにする。
 十数分の会話の役割を終えた携帯を無造作に上着に入れ込み預かった花束を胸に抱き煙草を味わう姿は周りから見たら可笑しいのかもしれない。黒いスーツも今では愛着も湧いてるし、だからと云えど煙草で穴の一つでも空けたら脱暗部隊の俺の帰りを待つ女に自分の身体に穴を空けられる。
 思い考え行き着く先が必然的に彼女へと繋がるのが嬉しくなり小走りになった足のお陰で既に俺の居場所を造った部屋の扉の前。捻るだけで開いてしまう扉に無用心を問うところで意味は無く、逆をつけば無断侵入を法に触れる事で此の部屋に行う人物の命の方が危うくなる。包丁の一つや二つ、飛んで来ても文句は云えないだろうから。

「やっと帰ってこれたな」
「無断でね、獄寺さんからうちに電話あったからね?」

時間が夕方を刻む事から此の鼻を擽る匂いの要素は夕飯か。奥から淡い桃色のエプロンを着た彼女がおかえりを呟いた事で俺の居場所への帰還は無事に終了。
 手渡した花束には無駄金とも怒られつつも花に隠した唇が緩やかに微笑んだ不器用な表現を知っている。肩を抱き台所を四本の足で進めて此のまま朝を迎える事が出来るなら平凡且つ穏やかな誕生日を迎えられる、と。