夕陽の光を浴びながら部屋で名前は自由な時間を寛ぐ。風通しをよくする為に開けたままの扉からはあたたかい空気と、同じように自室で過ごしている火神の部屋からこぼれ落ちている洋楽の音。耳を傾ければ流暢な外国語から単語が拾える。愛だ恋だ夢だ、恋人に囁くような言葉が幾つも聞こえるけれども、彼はそんな雰囲気に酔うことはなくバスケ雑誌を捲っていることだろう。名前もまた手にしている本はファンタジーもので、恋人同士の情熱的な恋愛事情は絡んでいないので、やはり背景音楽程度に聞き流す。
 ご近所さんの夕飯の香りがしてきそうな時刻がゆっくりと時を刻んでいる中、二人の意識を音楽よりも現実世界に引き戻す音が鳴った。
 インターフォンの呼び出し音だ。

「火神くーん!帰ってきたとき鍵しめちゃったのー!?」
「いや、閉めてねーよ!」

 大声を出せば会話出来るのをいいことに二人はその場で言葉を交わすが、どうやらどちらかが腰を上げなくてはいけないようである。玄関の距離からして名前の部屋の方が近いとなれば必然と動く人は決まるもの。
 重い腰を上げて玄関に向かう間考えるのは、すぐに黒子や青峰あたりが帰宅するだろうから鍵かけないでいいよ、と十数分前に火神に伝えたこと。
 こうなるだろうからちゃんと言ったのに。
 もう一度鳴る呼び出し音にはいはい、なんて返事をしながら扉に手を伸ばそうと視線を向ければ鍵はちゃんと開いている。
 身内ならばわざわざ呼んだりしないだろうし郵便物か何かかな。
 伸ばした手を引っ込めて、人前に出るのならと軽く身なりを整えていたところで何故か扉は勝手に開いていった。

「名前っちただいまー」
「えっと、おかえりなさい、きーちゃん…と笠松先輩…?」
「悪い、名字、その…」
「先輩が大勢で暮らすってどんな感じかって聞いたから連れてきちゃったっす」

 開かれた扉から顔を出したのは部活帰りの黄瀬と、申し訳なさそうな顔をする笠松だった。前者に限っては笑顔で二人の顔を交互に見ているときた。
 とりあえず玄関の扉を開けたまま会話するのも頂けないので名前は二人の荷物を此方に渡すよう声を掛け、外から帰ってきた者を洗面所へ行くよう促す。
 会話を聞き取れなくともインターフォンを押した人が一人でないことに気づいたらしい火神が二階から降りてきたので、笠松が来たことを告げてお茶をお願いする。名前が荷物をリビングのソファーの横へ置き、火神がお茶を準備し終えるとタイミングよく洗面所から二人がリビングへ向かってきた。

「笠松先輩、お話聞きますからまずソファーにでも。家での立ち話もなんですから」
「悪いな、気使わせちまって」
「此方こそ。なんだかきーちゃんが引っ張ってきちゃったみたいで済みません」
「火神っち俺のお茶は?」
「お前は先に荷物部屋に持っていくんだよ」

 女の子の手前、黄瀬を蹴るのを躊躇う動作をする笠松に、遠慮はいりませんと名前が笑顔で言ったことで一発の蹴りが黄瀬の腰に入る。涙目で眉間に皺を寄せる人を火神が引きずりながら二階へと連れていけば、リビングは何とも言えない顔で眉を下げる人だけが残った。
 笠松をソファーに座るよう勧めたのに自分が立っていては彼は座ってくれないだろう。低く小さな机を挟むようにして向かい側の一人用椅子のひとつに名前が腰を掛ければ、もう一人もゆっくりと腰を下ろした。
 無口ではない。女の子との会話が慣れていない彼だ。幾度か家に招いて夕食を共にするようになり、自然と会話が出来るようになったとはいえ、内容が内容なだけに此方から口を開かなくては気まずくて笠松は口を開かないだろう。手にしたお茶を机に置いたのを見計らって名前は視線を前に向ける。

「きーちゃんがさっき言っていたことなんですが、先輩を無理に連れてきちゃいましたか?」
「いや、俺が彼奴に大勢で暮らすってどんな感じだって聞いたのは本当なんだ」
「それで泊まりに来てみれば分かるってなったんですね」
「ああ…。押し掛けになっちまって悪い。泊まりとなると夕飯食わして貰うとは訳が違うってのに」

 頭を掻きながら笠松が正面にいる女の子へ目線を移せば、困ったように眉は下げてはいるものの、その目はやさしく、迷惑だなんて思っていないことを物語っていた。
 実際に謝る彼に対して名前は大丈夫です、寧ろ大歓迎ですと、気にしていないような言葉を発している。続くように、着替えはどうしようか尋ねてくるのだ。問いに対していいか悪いか部活でシャワーを浴びる為に一応持っていたと返せば、良かったとまで言うのだ。
 此の場所に突撃訪問する人が普段より居るのかと思えばそうではないらしい。彼女が安心したのは、笠松が一度帰宅して荷物を取りにいくようなことにならずに済んだこと。笑顔なのは、人と自分の間に線を引くことがある黄瀬が友人、ここでは相手は先輩になるが、人を自宅に連れてきたことが嬉しいからだ。
 話に聞いてもいる、幾度と顔を合わせている。二人で話することも話題が黄瀬なのもはじめてではないというのに、とても優しい顔で言葉を紡ぐ名前に、黄瀬が連れてくることに躊躇しない理由も分かる気がした。
 彼女が自分の友人の仲間を嫌がるはずも、拒むはずもなかったのだ。

「寝る部屋はきーちゃんの部屋でいいですか?」
「他にねえだろうし、リビングに居て邪魔はしたくないな」
「ご希望なら青峰や緑間くんの部屋でもいいですよ?」
「…遠慮させて貰う。黄瀬の部屋借りるわ」

 体験をするなら一週間ぐらいは居てくださいとの黄瀬の要望もまた笠松を通して名前に伝わっている。寝間着などの着替えは男ばかりの此の家ならばどうにでもなるし、しっかりとした性格の緑間のおかげで生活必需品の予備もある。歯ブラシ等の心配も無用だ。
 話し込んでいるうちに時計の針も進み、夕食の準備に取りかかる時間だ。本日の当番は名前と火神の二人。買い出しもこれからだ。リビングに人が来ていることを考えて止められた音楽があったとしても、おそらく今も部屋の扉は開けたままだろう火神を名前が大声で呼ぶ。足音が二つなのは自分もと黄瀬が降りてきたのだろうが、笠松一人残して家を出るのは流石に意地が悪過ぎるので彼にはお留守番していて貰おう。
 自分達が出掛けている間に大方知っているだろうけれど笠松へ改めて家の案内をするよう黄瀬に頼み、名前は火神と買い出しに行く為にソファーから立ち上がった。
 笠松と視線が交わる。

「一週間、笠松先輩も私たちの家族ですね」
「その言い方くすぐってえんだが…」
「慣れますよ、きっと。改めてようこそ我が家へ。明日からはただいまって帰って来てくださいね」
「分かった。家族ってんなら家事も手伝わせて貰うからな」
「はーい。じゃあ帰ったら当番練り直しますね!」

 鞄を持たなければと振り返ったところで、リビングと繋がっている自室の扉を開けたままだったことに気づき名前は苦笑する。暗くなってきたことで影から部屋の中が見えにくくなっているのが助かった。
 憧れているバスケ選手の笠松先輩が、黄瀬の仲間が、泊まりにくる。本人の前では顔に出さないようにしていた感情が表にでそうになるのを必死に抑えて小走りで火神のもとに向かう。隣に並んだ女の子の唇が力んでいるを見て、つい笑いそうになるのを火神も抑えながら家を出た。
 此処で笑ったら開けっ放しの窓に声が届くから、もう少し、もう少し我慢しようよ火神くん。
 服の袖を引かれて小走りになった火神と笑われるのを分かってその場を離れようとする名前とが声を出して笑い、顔を真っ赤にしたのはスーパーに着いてからのことだった。