※漫画/アニメ未発表のゲームシャイン/ダークのネタバレを含みます。

 あの子はまるでいつかの自分のようだったと、基山は自らの傍らで忙しそうに働く緑川に向けてこぼした。
 あたたかな日差しが心地良い部屋の中、書類を纏める秘書を片目に色褪せない昔の記憶を辿る。あの頃は他人に背中を預けることも、肩を並べることもまた子供ながらに恐怖であった。一人の友人との出逢いから大切なことを学び、取り戻したのは自分だけで無く、此処で長い髪を結わく家族とも呼べる友もそうであっただろう。
 瞼を閉じて回想していた基山だったが、緑川のそろそろ休憩しようかとの一言で現実に目を向けて昔があったからこそ、今が幸せなのだと笑った。

「そういえば、さっき名前ちゃんから電話が来てたよ」
「俺じゃなくて緑川に?」
「ヒロトが会談中とかだったらどうしようと思ったらしいよ」
「名前ちゃんらしいけど、俺が忙しかったら秘書の緑川もそうだって考えなかったのかな」
「そこがまた、いいところなんだろ?」

 口元に手をやりながら笑う緑川に肯定してみればやっぱり仲がいいんだね、なんて珈琲片手に面白そうに言われてしまう。
 自分が淹れるより美味しい珈琲を飲みたいから秘書にならないかと、遠まわしの照れ隠しを伝えた日から緑川は毎日のように珈琲を淹れるようになった。もしたまには紅茶が飲みたいとでも口を尖らせれば、では秘書の椅子もついでに涼野か南雲にあげようかとからかわれてしまいそうなので黙っておこう。緑川が良かったのだとは、言えない。

「そうそう名前ちゃんだけどね、もうすぐ此処にヒロトを迎えにくるから」
「…どうして?」
「雷門に行ったからこっちにいるって言うから、ついでに会社においでって俺から言ったんだよ」

 名前ちゃんは雷門に狩屋を見に行ったんだって。姉さんもそうだけど、名前ちゃんも狩屋のこと人一倍心配していたからね。ほら、あの子は誰かさんによく似ているみたいだから。
 緑川の声が部屋に響いた頃に、部下の一人が訪ねてきてお客様がいると言う。最早誰とは聞かずとも相手が分かった基山が部屋に通して構わないと口を開くより先に、秘書は扉の前に立つ人に告げた。社長はもう今日は帰るから、お客様にはエントランスホールでお待ちして貰っていて、と。部下が頭を下げて此の場を立ち去ってから何時のまに帰宅になったのかと基山は嬉しそうな顔で帰り支度をした。
 人の好意は素直に受け取るようにと、口酸っぱく彼は名前から言われている。

「緑川がさっきまで忙しそうにしてた理由が分かったよ。何をそんなに急ぐのかと思っていたくらいにね」
「たまにはヒロトを早く帰して園に行く手立てでもしないと俺が名前ちゃんに怒られちゃうからさ」
「怒るのはそこじゃないと思うよ」
「何か言った?」

 続く言葉は今告げるべきではないだろう。含みのある笑みを浮かべたまま基山が部屋を出ていくのを、緑川は素直になったようなならないようなと思いながら彼が先程まで座っていた席に腰掛け、そっと瞳を閉じた。
 基山がエントランスホールに向かうとスーツ姿の彼女が一礼した後、ゆっくりと近づいてきた。此の場に数人いる部下の目には、あたかも彼女は商談相手か何かかと映るだろう。誰の入り知恵か、もしくは時間の流れが彼女をそうさせたのか、子供の頃は知り合いを見つければじゃれていた女の子は気がつけば大人の女性になっていた。
 肩を並べて会社から幾らか離れたところで、名前は基山が知る名前の姿に戻っていった。久々に会えたからだろうか、止まることを知らぬ話題の多さに口を挟むどころか頷く時間さえ与えないようにも見える。会話の最中に、踵を鳴らしながらリュウジにも会いたかったのに、とふてくされているようにも見えた表情に、変わっていく中でも失われない彼女らしさに基山はほっと息を吐くのだった。

「ヒロトにとっても、おひさま園はいつになっても帰る場所であって欲しいと思ってるの」
「俺にも、というのは狩屋もかな?」
「おかえりを言って貰える場所があるって幸せじゃない?」

 それにヒロトは前に園に来た時にいってきますと外に向かって行ったんだから、たまには帰ってきて貰わないとね。
 名前は嬉しそうに雷門で見た狩屋の姿を基山に伝えていく。いつしか流星ブレードや天空落としも教えてあげたいけれども、彼はポジションがヒロトとは違うから今は此処から飛び立った仲間という家族達に帰省して貰った日には、同じポジションでサッカーをしていた人に教えてあげるように言ってみよう。お礼に昔、お手伝いをした子へのご褒美にあげたお菓子でも準備をしないとね。
 街中を歩き、電車を乗り継いで我が家へ向かう。一人暮らしを始めてから基山はどことなく、あの場所に帰るのが恥ずかしくなってしまった。否、照れくさいのかもしれない。誰かが必ずいてくれる、会話のたえないあたたかい空間が恋しいと思う気持ちは他人には言えないものである。

「俺が園についたら一番におかえりって言ってね」
「扉開けたらお腹空かせた子達が、私が帰ってきたかと思って走りながらおかえりって寄ってきちゃうよ」
「なら園の門入ったらでいいからさ」

 基山の子供のような我儘に、名前ははいはいと言いながらも頬を緩めて幸せそうにしている。寂しかったとは言わないけれど、巣立っていく家族がひとりまたひとりと園から去るのはやはり心細いものはあった。
 今となっては、瞳子と名前だけが、昔の顔馴染みの中で園に残って生活している。そんな中に増えた家族の狩屋がまるで幼い頃の基山を見ているようで、瞳子も名前も気掛かりで仕方がなかった。
 雷門へ転校してみてはどうだろうか、いつだって自分達を変えてくれたのは雷門という場所で、円堂という人間だった。今日、名前が雷門を訪れた時には円堂の姿は見当たらなかったが、旧友の鬼道や春奈の元でサッカーする狩屋の姿はとても幸せそうで、笑顔を取り戻した基山のようだと名前は思ったものだった。
 狩屋が帰宅したら、基山が居ることに驚きながらも尊敬しているプレイヤーだった人が、兄がいることに憎まれ口を叩きながらも喜ぶに違いない。可愛らしい家族に今日見たプレーを褒めてあげたら、夕食までは基山と二人でサッカーをさせてあげよう。その前に、隣に並ぶ彼を抱き締めておかえりなさいと告げてあげないとね。
 名前と基山が楽しげに帰宅する姿を、会社に残る緑川は想像しながら笑っていることだろう。数時間後には、自分にも園に帰ってくるようにと、門限守れない子には食後のデザートは抜きですと連絡が来るとは知らぬまま。