好きです好きです大好きです。どんなに言葉に出しても私の気持ちは過去形に出来そうにない。結婚式場の新婦控え室という場所で風介は深く息を零した。
 目の前に居る彼女はやわらかな笑みを浮かべている。此方の気持ちのひとうも知らないで、そう思えども彼女の前では泣くことは無理に等しかった。
 名前に惚れた日から現在進行形で終わりが来ない此の恋。否、そうではない。終わりなんか来るはずもないのだ。私は終止符を拒み続けながら、このもどかしい距離は時により絶対的安全圏なんだと、人知れず自己満足で安心しながら保ち続けていたのも、それもこれも私が君の一番で在り続けられると思っていたから。
 それなのに好きだという言葉はこんなにももろいものだったのか。

「紹介する、俺の婚約者だ!」

 先日聴かされた言葉が耳から離れない。何故、晴矢の婚約者が君なのか。いつの間にいつも隣に居たはずの彼女が自分の元を離れて居ただなんて気付かなかった。気付きたくも無かった。
 彼の隣で幸せそうに笑う名前の笑顔が、私に向ける笑顔とは全く異なるものだというのは理解はしている。それでも彼女は私に笑いかけてくれる。
 嗚呼もうそんな顔をしないでおくれ。また好きだと思ってしまうから。左手の証が嫌に輝いているように見えるのは自分だけなのか。その光が苦しいのは私だけなのか。どうか全てが夢だと言って、笑って欲しい。

「ねえ風介、聞いてるの?」
「私が君の言葉を聞き逃すはずなんか無いだろう」
「じゃあ、質問の答えを出してよ!もう南雲くんが来ちゃうじゃない!」

 残酷だよ、君は。好きな女のウェディング姿、本当は私の隣で着るものだと思っていたのに、私とは違う誰かの隣に並ぶ為のものだなんて。其れをどうかと聞かれたら綺麗だよ可愛いよ、ねえ大好きなんだ。そう言いたくなってしまうだろう。
 南曇くんって、君も後何時間で南雲さんになるんだからそんな云い方は止めて名前で呼んでやりなよ。でもそれなら、君がまだ晴矢を名前で呼ばないのなら、名前に名前で呼ばれるのって私だけだったりするのだろうか。

「綺麗、だよ。今の君も」

 その後に続かせたい二つの想いは精一杯の笑顔で隠して、隠して。
 ありがとう、何て滑稽な言葉だろうか。目の前で白を舞う女の姿は徐々に霞んでいく。其れが自分の涙が原因だなんて他人に指摘されなくても分かるよ私にだって。
 おめでとう、白を舞う女に一つのネックレス、結婚祝いの名前をつけた独占欲の塊を渡す私は君にどう映る。無垢な笑顔で首に巻き付ける君の姿は私には悪魔にさえ見えそうだ。其の笑顔は天使なのに。嗚呼首輪を渡してしまった感覚さえするのに化学元素の集まりの首輪は意図も簡単に君から外されて地に落ちて。笑う女を目の前に風介の脳内は最悪な事しか浮かんでこない。首輪は式が始まる前には外されてしまう。

「もし私が名前を好きだって言ったら、君はどうするんだい?」

 私も風介が好きだよ、今更なこと聞かないでよね。ああもう分かってたけどさ、そう言い変えされることぐらい。うん、分かってるよ。でも私は晴矢に向けられる女の瞳を私に向けて欲しかった。私の好きと名前の好きの違いはあれだろうか、ライクとラブ。いつかの中学時代の宿題でライクとラブの違いを完結に纏めなさいという無理難題な問題を、私の部屋で二人唸りながら解いていた答えは今になって解けたよ。今更過ぎる答えなど知らないほうが良かったな。
 ライクとラブは似ても似つかなくて遠くて紙一重の存在でありながらも背中合わせな言葉の寄せ集め。

「南雲くんも好きだけど、風介だって私の中じゃ一番なんだよ」

 笑顔の悪魔は風介を半殺しにする。ありがとう、と其の言葉で名前が南雲さんになった後でも隣に居られることは確かみたいだから。礼を述べる彼女は言葉に含まれた意味など知る由もない。
 晴矢に飽きたら私のところに来ればいい、そんな風に冗談混じりの本音なんか今の私には言えないけれど、もし君が笑えなくなる時が来たらもう一度苗字を変えさせてみせよう。三度目なんかは無い、涼野になったら私は二度と君を離すことは無く、誰かに渡すなんて此の世界が逆転するあり得ないことが起こるくらいにあり得ないと言ってみせよう。
 諦めたわけでもないと、何度も何度も自分に言い聞かせる私の姿は滑稽なものだろう。

「綺麗だし、本当に可愛いと思う」
「風介?」
「悪いね、先に式場行っているよ」

 こんな風に触れるのは最後かもしれないと。記憶に感触に鮮明に残るようにと名前を口に出しながら結婚前の彼女の頬に触れた。何か云いたげな唇はなぞりあげた指先で封じてしまう。大好きだと、此の指先から伝わればどんなに楽なのだろうか。言ってはいけない言葉を指先へと残したまま部屋を出た。
 式場まで歩く間に晴矢の控え室へと足を運んだが、其処からは物音一つしなかった。行き違いに、名前の控え室に向かったのだろうか。知っているか晴矢、私はお前より先に彼女のウェディング姿を此の目に収めたんだ。お前より先に彼女に出逢って、お前の知らない彼女を知っていて。全てが、彼女を知っていた、過去になる。此れからは私の知らない彼女が増えていき、晴矢に染められて私の知らない女になってそれでそれで、何時しか彼女の瞳に私が映らなくなるのだろうか。
 そして何時しか産まれる二人の遺伝子の混ざり合った子供はもう私を知らない子。