本日は太陽と月の双方が迷うこと無き夕月夜。制服姿のまま田んぼ道を走る名前と、隣を走る狩屋。普段は口煩い相手が今日に限り静かであることに、様々な不安を覚えながらも名前は夜道を疾走する。時折聴覚を刺激する生きた蛙の鳴き声はなんだか心地良くて、蛙の姿をふと思い浮かべれば何とも憎らしい顔が隣を走る人に重なる。「狩屋、弟達が呼んでるよ」そう言うと無表情ながら道端の仲間を手に取っては弄ぶ。其の光景をとりあえず覚えていなくてはいけない。些細な事も後には振り返る事を望むものとなるだろうから。
 時刻は太陽が眠る二十五時、子供はもう寝る時間。卸したてのスニーカー、汚れていくスカート。視野の片隅に追いやって名前は泥道を抜けていく。思考を重ねれば重ねる程に比例する不安定感を、息を切らして肺を苦しめることで紛らわらす。狩屋とのたわいもない日々は何時の間にか気にも止めない内に刻々と、削られ続けていた。

「何時になったら其の面白い場所とかいう所に着くんだよ」
「文句言わないでもう直ぐだから後ついて来て」

 背丈程ある草むらを素手で掻き分けながら求めた先はやはり何も無かった。此の場では何も無いのは名前にとっては好都合だった。
 狩屋は状況判断を出来ずにただ広がる田舎ならではの草原で蛙と遊んでいる。何故、此処に連れて来られたかを問うことさえもせずに。聞いたところで曖昧にしか返答されないと分かっているんだろう。其れぐらいに、言葉を繋がなくても大概の事は互いを理解出来る二人だった。
 過去形、私の方は如何して彼があの様な事を言い出したかは理解出来ずにいる。今も其れを私が問いたく、準備を整えて家を飛び出し、街を散策していた狩屋を半ば無理矢理付き添わせてきた。おひさま園では、瞳子さんが遅い帰りを待っていることだろう。どうしても今日の夜、狩屋と出かけたいのだと伝えると母親のようであり、姉のようでもある彼女は仕方がないと、気をつけなさいと言ってくれた。今頃、遅くなると分かっていても起きていてくれるだろうことに、我侭を言ってごめんなさいと、浮かんでくる涙は無理やりに引っ込めた。
 目を閉じても刻々と進む秒針を体感しながら着々と準備を進めていく。教科書さえも自宅へ放置してきてまで持ってきた物体は待っていたかのように空へ頭を差し出した。

「今日の目的ってまさかこれ?」
「大当たり。今から天体観測するんだよ」
「如何してまた突然そうなるんだよ」

 あまり乗り気で無い狩屋も言葉とは裏腹に、此処だからこそ見ることが出来る星座の観測を始める。名前が見たかったのは星じゃない、所詮此処に何時でも来ることが出来る名前なら特別価値を感じる事はまだ無い。頭に焼き付けたかったのは観測している狩屋そのものだった。彼が此処から離れる時に記憶に染み付いて貰えるよう、敢えて空気が済んだ田舎でしか見れない澄んだ夜空を選択した。
 明日彼は此処を離れる。都会への転校らしい。瞳子さんも、狩屋も口を開かなかったので私には何故違う土地に移るのか、そんな事知りもしない。知ったところで状況は変わらないのだから知ろうとも思えない。離れるのが寂しいと、最後の最後まで素直になれない私を理解する彼は背中を叩きながら観測を続ける。
 私と居た街を忘れないでいて欲しい、生活の一部となった学生服姿のままの悪足掻きを私も振り返る時が来るのだろうか。好きだと言われた数時間前、そんなことを思いながら望遠鏡を部屋の奥から引っ張り出した。今の私もまだ其の言葉の意味を問えずに唇を噛みしめている。