雨露霜雪 と彼は言う
コンビニのお弁当を食べ終え、爆豪君の紙コップの中身がすっかり消え失せてしまっている。
敢えて何も聞かずにお茶を足し入れた私に、爆豪君は何も言わずに視線をテレビへと戻した。
とうとうテレビから流れていたオールマイトの銀時代シルバーエイジの特集は終わってしまっていて、明日の天気予報に姿を変えている。
明日の、と言ってももうあと数分。
数分後の天気の話しが始まっていて、お天気お兄さんの深夜に丁度良い、眠気を誘う柔らかな声がこだましていた。

「もう……帰るんですか」

ふにゃふにゃになった紙コップが頼りなさげに私の手の中で形を変える。
並々と注ぎ直した自分の紙コップに口をつけながら、私はチラッと爆豪君を見た。

「……」

信じられない。
爆豪君の顔には多分そう書いてある。きっと。
鼻筋の上のあたりとか。もしかしたら、珍しく伸び切ってしまった眉間の間だとか。そのあたりに。

「あの、本当にそういう・・・・意味ではないんですが、……泊まっていってもらっても……」私は慌てて言葉を付け足した。

「アホか、……てめェ」

変わらず驚愕している、というのが間違いなく正しい顔を作った爆豪君の食い気味に発された震える声が、煩いくらいに耳につく。
夜が静かすぎるからだ。
爆豪君は怒鳴っていない。
気を使っているのか、それとも「怒り」より「呆れ」の方が色濃いからか。

「え、……と、」

素直に何かを言えればいいのだろうけれど、上手く言葉を出せそうにはなかった。
きっと月も一番高いところを迎えている。
だから、終電終わってるんじゃないですか、だとか。
お疲れなんじゃないですか、とか。
きっと色々言い訳に出来そうなことはあるんだろうけれど、私はカラになった薬缶を持ち上げ、キッチンへと引っ込むことでそれを飲み込む事にした。

「……はぁ」

私の背中に向けてなのか、爆豪君の口から吐き出されたため息が、グッサリと胸を貫いた。
情けない。
わかっている。
もしも爆豪君が来てくれていなかったら、今頃私はどうしていたのだろうか。
まだ、泣いていたのかもしれない。
お風呂にも入らず、ご飯も食べずに涙でどろどろになって、疲れて寝ていたのかも。
いずれにしても、こうして何かを考えられる状況にはなかったんだろう。ということは想像できる。
適当に水を入れた薬缶を火にかけた。
しゅうしゅうと水を入れていた薬缶が沸き始めた頃に、爆豪君はキッチンスペースまでやってきていたらしい。
すぐそこの床が、ギシッと鳴いたから、きっとそうだ。

「居てほしいなら、そう言えや」

思ったよりもずっとずっと近くからかけられた爆豪君の声に、私は思わず振り向いた。
そのあたりの壁にでももたれて居るんだろうか、と思っていたのに、すぐそこ。流し台が、丁度腕を組んだ爆豪君の腰骨あたりでその体を支えている。

「あ……」

などと、意味のわからない音だけを漏らした私の方へと、爆豪君はもしかしなくとも、ベストジーニストよりも太いのかもしれないゴツゴツとした腕を伸ばしてコンロの火を消していった。

「ありがとう……」

真っ赤な目が、じ、と私のなんの変哲もなく、特筆すべきところもない目を見ている。
私はやっぱりそこから視線を逸らすことなんて出来なくて、息がうまくできなくなっていく。
そんな私を見越したのか、爆豪君は私から目線を外して、玄関の方へと向けて顎をクイッと持ち上げた。

「あっち居る」
「え、!!そ、れは!それは申し訳が!!ソファにでも……」

慌てて引き留めようとするも、私の言葉を聞きながら眉をグイグイと引き上げられていかれると、それ以上言えなくなってしまう。

「てめェの貞操観念どうなっとんだ」
「え、と……でも、……もう、来られてますし、」
「それと一晩中居るんとは違うだろうが」
「……」

そうかも知れない。
そうかも知れない。とは思うが、それでは爆豪君は一晩中外に居る、居てくれるつもり、と言うことなのだろうか。
そんな事はさせられない。
爆豪君はヒーローで、事務所のルーキーで、大事な人なのだ。

「だ……でも……」
「あっち居る」

もう一度、そうしっかりと告げられてしまうと、今度は私はそれ以上言えなくなってしまった。
さっきから、こんな事ばかりだ。
玄関が閉まる音がして、扉の向こうから少しだけ、扉と何かが擦れる音がしていた。

「……ど、どうしよう…………」

きっと、玄関前に爆豪君は座っている。
きっと、外はすごく寒い。
私は適当な上着を引っ掴み、インスタントのコーヒーを煎れてから爆豪君を追いかけた。

玄関を開けようとすると、扉に凭れて座っていたらしい爆豪君は立ち上がり、私を見て舌打ちする。
紙コップに入ったコーヒーを引っ手繰るように取ると、「はよ入れ」と顎をしゃくった。

「ちょっとだけ……」

おずおずと申し出る私に、爆豪君はため息を落としながら体を避けた。
やっぱり帰って。って言えばよかった。
申し訳無さでいっぱいになりながら、爆豪君が腰を下ろし直した隣に私も腰を下ろす。
然程家賃の高くないマンションだ。
決して豪華な作りではない。
マンションの各家を繋ぐ外廊下は、外からの風だって普通に受けるし、エレベーターなんてリッチなものは備え付けられていないから、風を遮ってくれるものも少ない。
でも、爆豪君はああ言ったし、きっと部屋にはもう今日は入ってくれないのだろう。

「あの、爆豪君、……もう、大丈夫になったので、……その、」

帰ってもらっても大丈夫なんですよ。
爆豪君なら、個性でも使って終電なんて気にしなくても帰れるだろう。
ヒーローライセンスも有るのだから、何ら問題に問われることもないはずだ。
もしかすると、そっちの方が速く帰れたりするのかもしれない。
ここにとどまる理由なんて、どこにあるのだろう。

「帰れっつうならそんな顔すんな」

真っ赤な目が私を捉えて、ぎゅ、と窄まってから、また正面を向いてしまった。

「はい」
「……」
「……」

コーヒーで冷え始めた指先を温めて、そのうち飲み終えた紙コップが重ねられて私達の間に置かれる。
本当に時折、爆豪君の方をチラッと見たら、真っ赤な目が見えてしまったから、私はスウェットに包まれた膝で顔を隠す。

「見とんじゃねぇわ」

時間を考えられた静かな罵倒に「はい」とだけは返したけれど、目があった瞬間の、爆発的なまでの心臓の音が鳴り止むまでには、暫くはかかってしまいそうだった。

どれくらい経っているのか。それすらももう解らなくなってきた頃に、どこか遠くからバイクの独特のエンジン音が響いてきた。
空気は一際キンと冷えていて寒い。
ポケットからスマホを取り出して、働ききらない頭と目で時間をチェックした。
思わず、私はぼぅっとしたままの頭で呟いた。

「朝です……」
「見りゃわかる」

フン、と鼻息とともに返された言葉に「そりゃそうだ」と相槌をうちそうになった私達の前。そこを、スニーカーよりも分厚い、安全靴に包まれた足が通っていって「あ、おはようございます」なんて言っていった。
お隣さんだった。

「……ッス」
「……オハヨウゴザイマス……」

爆豪君とその背中を見送ってから、やっぱり働かない頭で私は立ち上がる。

「……」
「……」
「入りません、か」
「……ン」

家の中に入って適当に口を濯いでから、爆豪君にブランケットを渡して、スマホのアラームをいつもよりも早い時間にセットする。
時間はまだ朝の4時を過ぎたところを指し示している。
何をするにも早すぎる時間だった。
ローテーブルの足元に避けられた書類を私はテーブルに乗せて、一枚、また一枚と仕上げていって、死んだように直ぐ側のソファで眠る爆豪君を、またチラッとだけみた。
いつもよりもずっと幼い、眉間にシワひとつない顔がそこにはあって、なんだか変な気分だった。
爆豪君が、部屋にいる。
今更なことだけれど、私の部屋に、居る。

□□□■■
頬がブルルッと揺すられる不愉快な感覚で、私は自分がテーブルに頬をくっつけて眠ってしまっていたことを知って、その直後にけたたましく鳴り響いたアラームで、飛び起きることになった。
それは爆豪君も同じだったようで、すぐ後ろがモゾモゾと動く気配がしている。

「お、おはようございます」
「…………ン」

顔をゴシゴシと手で擦る爆豪君は、未だ眉間が穏やかだ。
そうしていると、昨日の、ただただ格好良かった爆豪君は別人なんじゃないだろうか。
もしかすると、私は迷惑なんて一つもかけていなくて、だとか。ありもしない妄想にふける暇はない。
残念ながら、ない。
のそっと立ち上がった爆豪君に「あ、戸棚の中に予備の歯ブラシが」と、歯ブラシの在処を伝えて、シャワーを促すことにする。

「ン」
「タオル勝手に出しててください!シャワー終わったらご飯食べててください。何か用意しておきます」

いつもよりも、もう少し忙しい朝が幕を開けた。


それぞれに支度も終え、玄関を開ける。
さっき見たよりも、ずっと明るい空が夜明けを知らせていた。


「あの、……オハヨウゴザイマス」
「……」

私を一瞥してから先に玄関を出た爆豪君は、振り返る素振りすら見せずに「行くぞ」と歩き始めていた。



いつもよりも二本後の電車は、ギュウギュウにひしめき合っていて、目的地でところてん宜しく爆豪君とともにひねり出された。
けれど、それにブツクサと文句を言う権利もなければ時間もない。
いつもよりもずっと速く脚を動かして爆豪君の背中を追いかけた。

「ギリギリとは珍しい。……それも、二人して」

事務所に着いてすぐ。コーヒーを淹れるつもりなのか、マグを手にしたベストジーニストからかけられた声に、思わず爆豪君をチラッと見てしまう。「見るな」とでも言うように、舌をうち、顔を顰めたままジャケットを脱ぎ始めた爆豪君は踵を返してロッカールームへと足を向けた。けれどそれも、ベストジーニストの続いた一言に舌を打った。

「寝坊だわ」
「ね、寝坊です」

やってしまった!
思わず爆豪君を伺い見ると、今朝までの穏やかな眉間は消え去っている。

「真似しとんじゃねぇわ!!」
「り、理不尽じゃないです?!」
「ほう」

なんなら、ブルブルと震えている。
そんな私と爆豪君を見てから、ベストジーニストはサッと片手で髪を整え、櫛を爆豪君へと向けた。

「向けんな」

ペッとそれを弾いてドスドスと歩き始めた爆豪君を、マグを持ったままの手で腕を組みながら眺めたベストジーニストは、またそっと呟いた。

「……ほう」
「本当にやめてください、なにも無いです」


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