曖昧模糊 と彼は言う
グズグズになった顔をどうにかしたいなぁ。と思いはするものの、体も重く、どうにも動く気にならない。
ぐり、と枕に顔を擦り付けるように寝返りを打ったところで、部屋の中に軽やかなチャイムが弾む。
1ミリたりとも明るい気持ちになることも無い、どころか、こんな時間に、よりによってこんな日に。
一体何の用事があるの。
などと、理不尽な怒りすら沸いてきそうなほどだ。

そのうち痺れを切らしたのか、ゴンゴンと、ドアを叩く音が響いた。

「……え、」

背中が嫌に冷え、耳の後ろまでぞわっと寒気がやってくる。
上手く動けずにいると、連動しているかのようにそのうちスマホがブルブルと震え始めた。

『クソが!!開けやがれ!!!』

電話に出た瞬間に耳元でがなり立てられたものだから、「ッヒ!」などと情けない声を上げ、私はなにかに弾かれたように立ち上がり玄関へと一目散に駆ける。

「……ぁ、は、はい!!す、すぐ!!」

慌ててドアを押し開くと「確認くらいしろや」とむすくれた爆豪君が立っていた。

「ど、どうし……」
「てめぇ、茶出すつったろが」
「え、」
「はよ入れろや」

顎をクイッとしゃくり「入れろ」と言う爆豪君に、戸惑いながらも、私は先程より玄関を大きく開く事で招く意志がある事を言外に伝えた。
私に視線を寄越しただけで何も言わない爆豪君は、静かに靴を脱ぎ部屋へと上がった。ガサガサと、爆豪君の腕に引っ掛けてあるコンビニの袋が揺れている。

「あ、あ、あの!……スリッパ、これを」
「ン」

戸締まりを確認し直し、身体の向きを変えたところで、さして広くもない廊下に立つ爆豪君が居ることに、私は驚きを隠せずにいた。
こうも不躾にやってきて、ズカズカと上がり込んだのだから、もうてっきり、この廊下とも呼べない廊下の向こうにある部屋の中に、入っているものだと思っていた。

「飯は」

そう短く声をかける爆豪君は、やっぱり、家主である私が動かない限りは動くつもりは無いらしい。

「……あ、……まだ、食べてない、です」

慌てて返事を返しながら、私は部屋の扉を開けて片付けきれていない部屋に通す。
突然訪ねてきたのだから、文句であるとか、感想は出来ればナシでお願いしたい。
爆豪君は特に何を言うでもキョロキョロするでも無く、まっすぐにローテーブルを目指し「だろーな」とだけ言いながら、テーブルの上に広がる置きっぱなしになっている書類をキビキビと纏め上げていった。

「あ、あの!や、やります!ごめんなさい!散らかっていて!すみません!」

その姿を見ると、私は一も二もなく飛び上がるように書類ケースを持ってテーブルへと向かう。

「風呂は」

なんて言いながら、私から書類ケースを引っ手繰るように取った爆豪君を非難の目で見ても、飄々と躱されてしまう。
言い換えよう。
視線を私から書類へとサッと移している。それこそ1秒も待たずに。

「あ、まだ……」

です、とだけ答えるけれど、やはり爆豪君がこちらを見る素振りは見せない。
それでも「行ってこい」とだけ告げられた言葉に、私の頭から色んなことが抜けていく。
例えば、今何時である、だとか、爆豪君は短気だから、早く答え無くてはいけない事だとか、それこそ、書類は終わっているのも混ざってしまってるかも、とか。
いつまで居るつもりなんだろう、とか。
そもそもどうして、来たんだろう、だとか。

「え」
「行け」

書類やら何やらへと向いていた爆豪君の真赤な目が、今度こそ私の方へと向いた。
それからどれくらい経っただとか、あまり経っていない、だとか。
わかることはないけれど、まだ12月も頭だと言うのに、私よりもずっと厚手のパーカーを羽織り、インナーも暖かそうなものを着込んで涼し気な顔をしている爆豪君が、ここには居る。

「……はい」

なんとかそう私は答えたけれど、答えてからも動けない。

「え、」
「はよ行け」

そう言って片付け終えた爆豪君は、腰を下ろしてコンビニの袋を漁り始めた。

「あの、でも……」
「もう言わねぇぞ」
「……はい」

私から視線を外した爆豪君は、それからは私を見ることもなく軽やかな音を立てて開封したミネラルウォーターを喉に流し込んでいった。
返事をした上、ああ言われるとしつこく立ち惚けるわけにも行かないから、脱衣所に来たは良いものの、私は頭を抱えた。

え、

の一言だ。
一体全体、彼はどう言うつもりなのだろうか。
時計の針はもうすぐ、と言っても後1時間もしないうちにてっぺんを超える。
もしかして、そう言う・・・・つもりなのだろうか、彼は。
慰めてやる、みたいな?
だめだ、想像できそうにない。
なんてことを考えている間にも、私は一枚、また一枚と服を脱いでいく。

どうすればいい。
は、もうわからないから、シャワーで全部流れてしまえ。
本気で嫌だ、と言えば、まさか無理矢理に迫ってくるなんてことも無いだろう。
ただ、
ただ問題なのは、私が拒否出来るのかどうか、と言うところだ。
シャワーを頭からかけ続けても、どうしよう、と言う言葉と、悩みは流れていってくれることは1ミリとして無かった。

□□□■■

「あの、……お先、でした」

流石にパジャマを着込む、と言う訳にもいかず、手近にある部屋着として使っているすっかりと毛羽立ったロングパーカータイプのワンピースに袖を通し、髪の毛を乾かす。
それも終えると、とうとう部屋に戻らなくてはならなくなる。
どうしよう、そんな言葉を打ち消すことも出来ずに部屋へと戻ると、テレビをつけ、ぼぅと眺めている爆豪君の姿があった。
そこに向けて、出来るだけ小さな声で伝える。
もしかして、寝てる?
なんて思ったからだ。
寝てる?寝てるのかな。
それなら嬉しい。これ以上考えなくてすむ。
そんな甘い考えは、爆豪君の「ン」と言う、短すぎる返事で打ち砕かれた。

「え、と……」

どうされたんですか?とか?
何しに来たんですか、とでも?
それとも、もしかして、心配してくださってるんですか。とか。
聞きたいことはたくさん出てくるのに、私を見た爆豪君と視線が絡まってしまうとどれが正解なのか解らなくなってくる。

「……」
「……」

沈黙が流れている。
けれど、それを打ち消すかのようにかつてのNo.1ヒーローの声がナレーターの声をもかき消してしまうほどに高らかに笑った。
私は弾かれたようにピンと背筋を伸ばし、爆豪君は視線をそらす。

「飯食うぞ」
「はいっ」

そう言って、トンと爆豪君の指が落とされたローテーブルには、コンビニの物ではあるが、美味しそうなお弁当が2つ、積んであった。



「あ、レンジは使いますか?」

なんだか、元No.1オールマイトの声を聞いていると、不安も何もかもが吹っ飛んでいってしまった私は、すっかりいつもの調子に戻ろうとしている。
キッチンでお湯を沸かし始めた私の問いかけに「ン」と答えた爆豪君は、その大きな体をのっそりと起こし上げ、私がコップを取り出しているキッチンへとやってくる。

「好きな方選べ」

その手に持たれていたお弁当がさして広くもないキッチンのほとんど中央に鎮座している電子レンジの上に積まれた。

「……あの……ありがとうございます」

上にあった方のお弁当を手に取ると、もう一方を爆豪君はそのままレンジへと突っ込んだ。
その横顔を眺めながら、私は適当に戸棚に仕舞われている紙コップを取り出す。

「コーヒーと、お茶、どっちにしましょう」
「茶」
「はい」

ピーッと音を立てて薬缶がふく頃には、爆豪君のお弁当も私のお弁当も温まっている。
薬缶の中にお茶の葉のパックを入れ、ローテーブルに紙コップと一緒に運ぶ。
まだハッハッハと声を上げるテレビを二人で眺めながら、「いただきます」なんて手を合わせた。

「ん、おいしいですね」
「……普通だろ」

狭いローテーブルだ。
気を付けなければ、肘だって当たってしまいそうなほどに近い。
それでも、すぐ隣りにいる爆豪君は何も言わない。
たとえば「怖かったんだろ」とか「泣いてたろ」だとか。
何も言わない。
無言で、コンビニのお弁当をつつく爆豪君は、普段のギラついた目でもなく、ただただ静かな顔をしていた。
なんだか知らない人のようで、落ち着かない。
落ち着かなかったから、話しかけてみたのだけれど、それでもやっぱり、いつもの爆豪君じゃない。と、思う。

「え、でもこれすんごいおいしいから、食べてみてください」

お弁当を差し出してみる。
いっそ「食わねぇわ!」とか、「キメェ」とか罵ってくれたらいい。

「……ン」

なんて素直にお弁当のおかずを持っていかれると、私はもっとどうすれば良いのか解らなくなってくる。

「ど、うですか……」

うぜぇって、怒ってくれればいい。
優しくしないでほしい。

「……普通」
「えぇ、……舌が、肥えてるんですね……」

出来れば「てめぇとは違う」って、突き放してほしい。

「普通だわ」

思い通りにいかない全部が、お腹の中で巣食っていく。
ぐるぐると、よく分からないものになって、とぐろを巻いていく。

「てか、なんで紙コップだ」

紙コップの上の方を摘むように持ちながら傾けた爆豪君は、
「客用のくらいあんだろ、普通」そう言って私を睨むように視線を寄越した。
私はやっと息ができた。と、思う。
やっと「いつも」がやって来た。
そんな気がして、唇を噛んだ。

「ふ、普通じゃなくてすみません!だ、だって、呼ぶ予定も無かったんです!」
「スリッパはあんのにかぁ?」

バカにしたように鼻で笑い始めた爆豪君に、私も少しだけ口角を上げた。と、思う。

「あ、あれは!私が冬に使うように買ってたんです!」
「ハ、ツレの一人も居ねぇンか」
「し、失礼ですね!」
「本当のこったろが」
「そ、そっちこそ居ないんでしょう!!こんな時間に来るくらいだもの!」

売り言葉に買い言葉で、熱いお茶を啜りながらギャンギャンと言い合う。
私は決して普段通り、では無い。
こんなに話しをきちんとしたことは無いからだ。けれど、爆豪君は、いつものように居てくれている。
ともすれば、お腹の奥でモヤモヤとしたものを融解してくれると思っていた。

「居るわ!腐るほど居るわ!!!」

ただ、ギャン!と吠えた爆豪君を私は怪訝な目で見ることになった。

「それは…………多分嘘……です……」
「どーだっていいわ」


また、シンとした空気が訪れる。
先のような気まずさは無い。
なんとなく。
なんとなく、私は認めざるを得なかった。

「本当は、ちょっとだけ、怖かったんです」

私の手の中で、すっかりとぬくもりを失っていったコップの中身を揺らす。
ちゃぷ、ちゃぷと揺れるものには既視感がある。

「たりめーだろ。あれで怖くなかったら太ぇどころじゃねぇ」
「でも、大丈夫だったんです」

焙じ茶の琥珀色を睨みつけたまま、私は言葉を続けた。
「あ?」爆豪君の顔が、また私の方を向いたのが、視界の端で確認できた。

「あなたのすごさは、わかって……大・爆・殺・神ダイナマイトの姿は、ここ最近……私が一番近くで見てきたから。
わかってました。きっと来てくれる。って、思ってました。信じてました」
「……そうかよ」

今度はテレビへと目を向け直してしまった爆豪君を、私は見る。
その視線はこちらを向くことはない。
それで良かった。

「だから、大丈夫でした」
「可愛くねぇヤローだわ」
「ヤローじゃないです!」

私はワザと語気を強めながら、手の中のお茶を飲み干す。

「そうじゃねぇわ!」
「わかってて言ってます!」

新しいお茶を目の前の薬缶からそそぎ、爆豪君の手の中のコップにも入れる。

「あの、あと、……大・爆・……っていう……長いです。」
「死んでも略すな」

私は彼を、彼とどうありたいのだろうか。
どうしたいのだろうか。
答えはうまく、出せそうにない。

「んふ、……ね、ありがとうございます」
「……お前を守るんは、俺の役目だわ」テレビを見る爆豪君の耳が赤い。
「なんで照れるんですか。……やめてくださいよ」
「うっせぇ、喋んな」
「照れてる……やだ、照れてるんですか……!」

つん、と服にしっかりと包まれた彼の肩を突くと、くわっと目を釣り上げた爆豪君が私を見る。
いつの間にか、爆豪君を部屋に上げる前のえも言われぬ恐怖心も、爆豪君がここに居ると言うことに対する戸惑いも、私の中からは消え去っている。

「黙れ!ぶっ殺すぞ!!!」
「……ふふ、……爆豪君、ヒーローみたいでした!」
「ヒーローだわ!」

舐めんな!と咆えた爆豪君は、まごう事なく私のヒーローだった。
それだけは間違うことは無い。


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