亡羊補牢 と彼は言う
「出来とんか」

朝、挨拶も無く声をかけられる。
私はそれを合図に立ち上がりながら、爆豪勝己君に昨日指示されていた書類を上から順番に読み上げていく。
そのうち更衣室へと入って行った爆豪勝己君に付き従い、ロッカーを挟んで聞こえるように、もう少しだけ声を張り上げた。

「次に、先日のビル火災の件です!容疑者は捕まりましたので、この案件は対応不要です!」
「……」

ガチャガチャと、ベルトを絞めているような音が響いている。
本当はこんな所で、と言うのは聞き耳を立ててしまっているみたいで恥ずかしくなるけれど、効率を重視する爆豪君の要望でもあったから、仕方がないことだと思う。

「歯車の敵はいぜん逃亡中だそうですが、身元は割り出せました。……が、それは今朝未明よりヒーローショートがエンデヴァーとともに対応中である事を確認済みです」
「アホか」
「え、」

思わず声を止めると、爆豪君がロッカーの向こうから出てきて唸るように吠えた。

「緊急案件から言えや!!」
「あ、わ!!ご、ごめんなさい!え、っと!」

わたわた、と手元の書類を探していると、スッと書類をひっ掴み「他のことしとけ」と、爆豪君は一人、ベストジーニストのもとへと向かっていってしまった。
爆豪勝己君は、あれで私よりも二つ、歳下らしい。
情けなさに私はこれでもか、と下唇を噛む。
悔しい。
こうやって、機転が利かないからと秘書を降ろされたのに、爆豪君を相手にまた同じことをしようとしている。
そう思うとお腹の奥がぎゅっと締まって痛くなった。
顔をパチンと叩きあげることで気合を入れ直し、まだ朝早い為に人の少ない廊下で、いつもよりずっと速く足を動かした。
期待に、今度こそ応えたい。
そう思うのは、当然のことだもの。

□□□□■

そんなこんなを繰り返していると、それなりに身に付いてくるもので、今では爆豪君の足音が聞こえると同時に立ち上がる。
フロントドアを私が開けて「おはようございます」と迎えに上がることから一日が始まるようになった。

「今日は緊急案件は有りませんので、月曜に起こった事件の再確認分から宜しいですか」
「ん」
「あの日逮捕されたのは一人ですが、結論から言います。犯行人数は複数と確認が取れました」
「三」
「はい。恐らくは」

根拠と、犯人の目星、監視カメラに写った画像を印刷した書類を手渡しながら、その上に今朝方とある高等学校から取り寄せた書類をその上に乗せる。

「完全一致です」
「……学生かよ」
「一人は」

苦虫を噛み潰したような顔を一つ見せる爆豪君にはあえて何も言わずに続けていく。

「本命は、こちらの男です」
「だろうな」
「個性によっては……なんでもありません。次に……」

この学生が操られているかも、と言いかけてやめた。
本命の敵は、凡そ30代と見られる男だ。
その敵がこの学生を操っているだとか、そうであれば良いのに。
と思ってしまうのはいけない事ではないはずだ。
けれど、この場に於いてそれが相応しくない感情で、言葉だと言うことはわかる。
事実だけと向き合う。
最重要なことではあるのだろうけれど、多分、私にはこれが一番難しい。と、思う。

「以上です」
「ン。このまま見回り行ってくる」
「はい」

「お気をつけて」と頭を下げ、私は爆豪君に背を向けて事務作業へと戻る。


夕方には爆豪君は事務所に帰ってきていたらしい。
らしい、と言うのも、綾織さんが他の案件で外へと行ったものだから、私がベストジーニストに同行してインタビューに来た記者の対応をしていた為、気付くことが出来なかった。だから後から聞かされて知ったのだ。

いつも午後休憩が終わると、新しく未解決のままの過去の犯罪情報等を欲しがる爆豪君の為に、まだ加害者不明の捜査資料を警察から取り寄せたものを用意することになっていた。
例に漏れず、今日とてそれも取り寄せている。
ベストジーニストの付き添いが終わると、綾織さんの帰還も待たないまま、爆豪君の元へと向かう許可をベストジーニストから貰い、爆豪君を探した。
珍しくモニタルームへは居ない爆豪君を探し、辿り着いたのは給湯室である。

給湯室をノックしようと腕を持ち上げたところで、室内から
女性スタッフの声が聞こえた。
その声は、一階フロントの受付嬢の声と一致する。

「お食事にでも、行きません?」
「行かねぇ」
「ならお出かけでもしませんか?」
「……てめぇ、何しにここに来とんだ。下らねぇ。メーワクだわ」

あまりにつっけんどんに返す爆豪君の声が酷く鋭くて、私まで挫けてしまいそうだった。

「そんなとこでボサッとしてんなや!!ノックくらいできんだろが!!!」

張られた爆豪君の声に、私は慌ててノックをしてから声を出す。

「す!すみません!!あの!資料纏めてます!……後にします……!」

そこまで言い終えるよりも速くに給湯室の真っ白なドアは開いた。
私は即座に視線を手元の書類へと落とし、意味もなく資料の文字を視線だけで追った。

「アホか。ソレ以上に優先なモンはねぇわ」
「はい……読み上げはしま……」
「しろ」
「っはい!……三ヶ月前の事件の確認からです……」

給湯室の中に居た女性スタッフに、まだ口もつけていなかったらしいコーヒーを「やる」と腕を伸ばして手渡しながら出てきた爆豪君は、前髪を抑えるように上げていたマスクを引っ張り、目元を覆い直す。
その仕草が実は私のスイッチにもなっている事は暫くは秘密にしておきたい。
私から説明を受ける間、余計なリアクションの一つもせずに、爆豪君は事務所のドアを開く。ジーニストの常駐している事務所の奥へと向け、クイッと顎をしゃくりあげてからフロントへと歩を進める迷い一つない爆豪君の姿には、いつも背筋が伸びる。
いつかは、私もこうなりたい。
なんて言うのは烏滸がましいのだろうか。

「今日は、」
「こんまま行くぞ」
「……キーを取ってきます」

爆豪君は、必要な言葉も端折ってしまう人であるから、読み解くのがたまに難しい。
この間は「行くぞ・・・つっとんだろが!!」と叱られたのだ。
同じことを二度したときの爆豪君の怒り方はまぁ、それはそれは恐ろしいから、そうならないように私はただただ気を付けている。
フロントをほとんど滑り落ちるみたいに駆け下り、駐車場まで向かうと、既に爆豪君は到着して車に体を預けている。

「っ、は……ふ、お、待たせ、しました……ッ」
「……」

チラッと私の足元を見てから何も言わずに助手席へと乗り込んだ爆豪君は目的地をサッとナビへと入力し終えると、手渡していた書類をペラペラと捲っていく。

「そんなんで」
「え、あ、ごめんなさい!な……なんですか!」

ウィンカーの音がカッチカッチと無言の空間に響き渡っているから、爆豪君の言葉を聞き逃してしまっていた。
思わず爆豪君の顔を見ると、「前見ろや」と叱られてしまう。

「すみませ、」
「イチイチ謝んなやうぜぇ」
「は、はいっ」

グイ、とハンドルを切り、右折しきったところでまた爆豪君が言葉を紡いでいく。

「そんなんで良く走れんな」
「え、あ、……あ!ヒール!……ずっと履いてると、慣れますよ」
「へぇ」

そう言った爆豪君の視線は変わらず書類にある。

「気合を、入れるために履いてるんです……」
「へぇ」
「…………え、……ん???」
「おい、前!」
「え、あ、っ!!!」

隣でブルブルと振動する爆豪君の方を向かないのに、私は必死であった。
事故はしていない。
ギリギリ。
赤信号に突進しかけてしまったが、なんとか急ブレーキで踏みとどまった。
けれど、爆豪君の怒号はアクセル全開になる。
当然だ。
殺してしまうところだった。恐ろしい。

「……っめェ!!!俺を殺す気か!!ァア?!!前を!見ろ!!つっとんだろがぁ!!!!」
「ひ、ひぃん!み、見てました!見てましたぁ!!!」
「ならなんっで!突っ込んでんだ!アホか!!アァ?!バカか?!!自殺なら一人でやれやァ!!!」
「ま、まだ突っ込んでませ、じゃ無くて、うわぁん、ごめんなさいぃ!!!」
「ッチ!……」

小刻みに揺れる車体は貧乏ゆすりをする爆豪君の仕業である。
妖怪車体揺らしだ。
嘘です。ごめんなさいすみません申し訳ございません。
まさか爆豪君が、私のなにかに一ミリでも興味を持つだなんて思わず、放心してしまったのだ。
言い訳にもならないが。

「気をつけろや」
「……ごめんなざい、」

鼻を啜りながらも、青信号で車を走らせた。

□□□■■

目的地の近くのフラット式の立体駐車場に車を停め、私はそこで待機する。

「ン」
「あ、ありがとうございます!」
「今からつけてろ」
「はい」

渡された無線機を耳へと引っ掛けてから、私は爆豪君の背中を見る。
車のフロントガラス越しに見えるその景色は、多分いつまでもきっとずっと、慣れることは無いんだろう。
爆豪君の背中が立体駐車場の吹き抜けから消える。
有り体に言ってしまうと、とても綺麗だと思うのだ。
とても、素敵な光景だと思うのだ。

「……ふぅ、」

パチンと両頬を弾き飛ばしてからノートパソコンを広げた。
「トン」と、耳元で鳴る音に思わず口角が上がってしまう。
無線機のボタンを押しつつ、二度、トントンとマイクを叩く。
それに返される反応は無いが、きっと爆豪君の事だ。
もし彼に音が届いていなかったとすれば、私のここにあるスマホが鳴り響くに違いない。
爆豪君の事は怖いと思うし、意地が悪いと思った事もある。私の得意な人と言うわけでもない。
あまりに真っ直ぐすぎるその熱量が、時には暴力的な迄に降り掛かってくる事もある。ただ、私はそれでもその背中を一番近くで見て、今一番側に居る。
誰よりも彼の真っ直ぐさをわかっている、と、思ういたい。
誰よりも彼の凄さを知っている。と、思いたい。
誰よりも、信じている。
彼なら、大丈夫だ。
そう思わせるものが、爆豪君にはある。

コンコンと叩かれた窓を振り返ると、ガッと口元を抑えつけられた。

「ん゛んぅ!!」
「しーーっ」

細く長白い人差し指が、目の前の少年の薄い唇にピトリとついている。
血色がお世辞にも良くないのだろうと思わせる程に白んだ肌に、嫌に映える淡色の髪が揺れることは無い。
何故か。
彼の上半身が、車内に有るからだ。
車のドアを物理的に無視して、少年は車内に侵入した上で私を覗き込んでいるからだ。

「っ、ふ……」
「そう、静かにして」
「……ッ」

コクコクと私は頷くことしか出来ない。
背筋がキンと冷えて、耳の裏まで肌は泡立ち、手の中はぐっしょりと濡れる。

「そう、良いね。……さ、降りてきて」
「……」

コクコクとまた頷きながらパソコンを助手席へと置き、振り返ると、淡色の髪の隙間から覗くくすんだ緑の双眸が私の耳を見据え、短く「外して」と言う。
彼の言葉に従うように、つけたばかりの無線機をはずす。
けれど私も、伊達にヒーロー事務所の所属ではない。
こういう時の対処法を全く知らないと言う訳ではない。
まずは、誰かに知ってもらわなくちゃ。
誰に。
爆豪君に。
無線機の音声をわざと入れて、切って。
それをあえて繰り返しながら外す。
とにかく、異常を報せなきゃ。
外す直前に爆豪君の声が聞こえた気もするけれど、それを気にする程の余裕は無かった。
パソコンの上に無線機を置き、また少年へと向き直る。

「……」

クイッと顎で「出ろ」と指示をされるがままに、私はヒールを脱ぎながら車を降りた。

「行くよ」
「……あの、」
「次、喋ったら刺す」

背中に付き当てられる尖ったものが引っ込むような玩具だ等とは思わない。
私は静かに口を閉じ、じん、と冷えて、小石やらで痛む足の裏を出来るだけ気にしないように振る舞いながら、事務所所有車を後にした。

きっと、気付いてくれる。
爆豪君なら、大丈夫だ。
私はそう、信じている。


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