短編 鬼 | ナノ

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降りしきる雨が

不死川さんの、どこか切羽詰まったような縋るような声を聞いてしまったから。
私はずっと、動けない。
視線が絡まっていたかのように勘違いをするほどには、動くことは愚か、息をするのすら忘れていたと思う。

「あ、えっと、……幸せ……え、わかんない……でも、え、だって……」

幸せだったかと問われても、私にはわからない。
それは、ゲンヤさんが、答えるべきことだ。

そのまま何も言わずに立ち上がり、胸元をまた一つ撫でて、乾いた音を響かせた不死川さんはそのままの足で屋敷を出て行った。

視界のずっと向こう側で、不死川さんが干していた洗濯物が揺れている。
風に揺らされて、いっそ飛んで行ってしまいそうだ。

まるで、金縛りにあったみたいに動かなかった体が、不死川さんが居なくなってはじめて大きく酸素を取り込めたことで、ようやっと、動くようになった気がした。


私はあたりを見渡して、それから頬を膨らましながら膝の上に肘をつく。

「…………わかんない、じゃない……ゲンヤさんが、幸せだったかどうかなんて。……答えられないじゃない」

私はそう溢しながら、ぼう、と空を流れる雲を見送った。

□□■■■

程無くして、ぽつぽつと雨が降ってきたから、洗濯物を取り込んでおくことにした。
適当に、取り込める分から順に取り込んで、実弘君のおばあさんが使っていたその縁側すぐの部屋に洗濯物を積み上げて、私も中に引っ込んだ。

「濡れて……ない!さすが私!」

適当に洗濯ものを畳みながら、「今って、どういう風に見えるんだろう。地味に気になる」なんて軽口を叩く。
そのうち薄手のタオルが積み上がり、適当にタンスの中の物の見様見真似で畳まれた着物が積まれていく。
出来上がっていく山に、どこか満足な気持ちが湧いてき始めた頃だった。


「………………まじかよォ……」

ごとん、
そう何かが落ちる音がして、私は慌ててその音の方向へと振り返る。

「お帰りなさい……」

聞こえる筈もないけれど、挨拶をしてしまうのは癖だと思っていただきたい。
彼の足元で、中身を吐き出していく酒瓶を立たせて、その辺の洗濯済みのタオルで上から抑えていく。
そうすると、あら、不思議。
手形にシミが、出来ました!

「………………ヒュッ」

細い音が、また不死川さんの喉元からして、数歩、彼が勢いよく後ずさったのをバタバタとした足音だけで理解した。

「…………もう、成仏しろやァ……拝みゃァ良いのかァ?……お祓い………………は、ちげぇよな……悪さしようってんじゃ、ねェ…………ン、………………だよなァ…………」

一度だけ、また床をとん、と叩いておいた。

「いや、やっぱ……お祓い、かァ……?」

これは悪さをしようってんじゃないですよ、の意思表示だが、伝わるのだろうか。
いや、もういっそ伝わらなくてもいい。
お祓いとか、そういうのだけやめていただければ、それでいい。
もし祓われたら、私ってどうなるんだろう。
帰ることが、出来るのだろうか。なんてことも考えたけれど、もし“浄化”とかって消されたらたまったもんじゃない。
実弘君に会えなくなるのだけは、なんとしても避けたいのだ。

使用したタオルを適当に端に避けてから、また洗濯の山を崩しにかかるために、白い布を引っ張った。
そうしたら、びろーん、と長い紐が絡まっていて、それを解しつつぴら、とその布を持ち上げたところで、隣にやってきて、私の頭をぶち抜いていった手がそのままソレをひったくっていった。

「…………あとは、……自分でするゥ」
「……はい」

あれがふんどしってやつか……
そんな感想は彼の名誉の為に、子供の代まで黙っておくことにしようと思う。
ふんどしって、……白かった。
あと、すごい柔らかい布だった。
アカフンじゃなかった……。



不死川さんの食事の時間には、何も入っていないお茶碗が向かいに置かれ、湯呑だけにお茶が入って並んだ。

「わ、……なんか、むず痒い……」
「…………いただきます」

礼儀正しく両手を合わせた不死川さんに倣い、私も両手を合わせて、それから湯呑を揺らす。
段々と減っていく不死川さんのお茶碗の中身を見ながら、思わずウンウンと頷いてしまうのは、出会った当初の顔色のすこぶる悪い彼を見ていたからだろう。
煮物をひとくち口に入れてから、ふ、と外を見た不死川さんの視線の先で、ざあざあと、音を立てて雨が降っている。

「続きそうだなァ」

さり気なく楽しみにしていた縁側で並んで空を見上げるのは、今日はさすがにできそうにないだろうか。
そんなことを考えながら、不死川さんが流しにお茶碗を下げていくのを見送った。
そのまままた一度ここに戻ってきた不死川さんは、私の前に並ぶお茶碗を眺めてから、先ほどと同じ場所に胡坐をかいて座り直す。
それから肘をついて、ただただ静かに私の方へと置いた空のお茶碗を見つめていた。

次の日には、少しだけお茶碗にお米が入っていた。
最後には不死川さんが、それを食べる。
その次の日には、おかずがほんの少しだけ、入った。
それも、不死川さんが食べる。
その様子を見ていたら、あんまりにも寂しくなったから、その次の日は、私が配膳をする事にした。
彼が朝の食事の支度を終えて、少し姿を消したすきに、不死川さんの使っていたお茶碗にお米を装い、おかずを入れる。
お味噌汁が手にかかっても熱くなかったのは発見だ。
それをいつものローテーブルに置いて、
向いにお茶だけを置く。
不死川さんが戻ってきた頃には、不死川さんはほんの少しだけ息を呑んで、私の方へと視線を向けた。
返事をするみたいに湯呑を揺らして、ここに居る、と伝えた。

「……うめェ」
「でもそれ、あなたが作ったんですよ」
「…………米、入れ過ぎだろォ」
「いっぱい食べてください」
「味噌汁もかよ……加減を考えろよォ」
「温まりますよ」

くそ、なんて言いながら目元を拭ってご飯を食べる不死川さんを見てたら、やっぱりちょっと、寂しくなった。


表に出て、洗濯物を擦る不死川さんにならって、私も洗濯物を擦る。

「ンなんじゃ汚れ落ちねェだろォ」
「……そんなに汚れてないと思うんだけどな」
「…………」

バシャバシャと、水の音が響いている。
あと、着流しの奥が見えている。

「何が、心残りなんだよ」
「別にそういう訳じゃないです。私も、帰れるなら帰りたいです」
「言いたい事あんなら、言えェ」
「ずっと言ってますー。」
「……」

ギュウウウ、と不死川さんの手の中で絞られている布を見て、自分の将来を見た気がして私は閉口した。
閉じても開いてても聞こえていないんだろうけど。
とにかく閉じた。


夜にはやっぱり二人で、人一人分の隙間を開けて縁側に腰を下ろして空を見る。
どこで見るよりもずっとずっと星がキラキラとしていて、どこよりもずっと近い。
余計な街灯やらなんやが無いからだ。
そう解ってはいるけれど、なんだか不思議な気持ちになった。

「実弘くんにも、見せてあげたいな……」
「……」

ず、とお茶をすする音がする。

「じき梅雨になんなァ」
「雨かぁ……」
「梅雨んなる前に片付けねェとな」

そう言って、私の手がもて遊ぶ湯呑を、不死川さんは長い睫毛の下で揺れる目で、静かに見下ろした。

「……え、ちょっと待って……片付ける……?片付けるって、…………私を?!」
「……」

そのうち隣から静かな寝息が聞こえてきて、今何事かをされる訳ではないのか、と、ほんの少しだけ安心したことは秘密にしておく。
不死川さんの寝所から、申し訳無いけれど適当に羽織れそうなものを引っ掴んで、不死川さんの元へと向かう。
そうしたら、不死川さんの胸元からぽと、っと落ちた真っ白な紙を私は見つけてしまって、思わず拾い上げた。
拾い上げて、すぐさま後悔した。

多分、これは"ゲンヤ"さんから不死川さんへ宛てたものなんだろう。
弟だと言った。
不死川さんは、ゲンヤさんを、弟だと、言ったのだ。
遺書
角張った字でそうなぞられたものをどうすべきか。
わからないまま私は立ち尽くしそうになる。

何があれば、遺書なんて残す事になるんだろう。
不死川さんの上に羽織物をかけながら、おばあさんの部屋だったそこに、遺書、と書かれた紙を置き、風で飛ばないようにと扉を閉めた。

翌朝に、縁側で目を覚ました不死川さんは、上にかかった羽織を不思議そうな顔で退けてから、台所へと向かう。
いつもみたいに朝ご飯を作ってから、少しだけ席を外す。
そのすきに、私がご飯を装って、「多い」って文句を言われながらも食べている不死川さんを眺めた。

食事を終えたら、不死川さんは家の中の片付けを始めて、不用品やら紙やらを庭へと持って行っては一塊にして、そこに火をくべた。

「う、わ……すご……まぁまぁ燃える……」
「……」

無言で見守る不死川さんの隣で、それなりに大きくなった火を見ていた。

そのうちどこかに行った不死川さんがまた戻ってきて「芋ォ」なんて言いながら中にサツマイモを入れて、菜箸でつつく。

「え!!?危ないでしょ!菜箸って!?……短、え、?!」
「……ッチ、アッチィな」
「あ……当たり前でしょ!なにしてんの!?」

そんな不死川さんを止めるべく、熱さを一ミリも感じない手で、中のサツマイモやらなんやらを転がす。

「……………………熱ィだろォ」
「熱くないです」
「……わぁった、わぁったから……見てるこっちが熱ィわァ」
「こ、こっちのセリフです!!」

そのうちサツマイモが柔らかくなった頃合いで取り出して、伸びてきた不死川さんの手に乗せた。

「アッチィ!……やっぱ熱いンじゃねぇかァ!!」
「あ、当たり前でしょ!!」

やんややんやとやりながら、私は半分になった焼き芋を今度は手元で弄ぶ。
あぐ、と大きな口でかぶりつき、はふ、はふ、と熱気を逃しながら食べる不死川さんがとてつもなく可愛く見えることは内緒にしておく。

「……あっちィ……」
「えー……美味しそうー……」

良いなぁ、なんて言いながら私はそんな姿をじ、と見ていた。

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