短編 鬼 | ナノ

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曇っている。

「実弘くん!!」

何度目か分からない声を上げるけれど、その男の人は一向に私を見る様子が無い。
門の前にぼう、と立ったままで、静かに空を見上げてから手の中に掴んだ白い紙を睨みつけるように見つめ、懐へとしまった。

そのままきょろきょろとあたりを見渡したかと思うとおもむろに口を開き、初めて声を出した。

「誰か居んのかァ……」

そう問う目は嫌に鋭く、私は背中に冷や汗をかく。
いっそ、冷や汗はこの男の目が鋭すぎるから、と言う訳では恐らく、無い。

見えていない。
けれどこの男の人は、空を見上げて手の中の紙を見ていた。
と言う事は目が見えない、だなんて事はありえない。とすると、見えないのだ。私が。
逆だ。
私の姿は彼が見る事は出来ないものなのだ。

雷に打たれた感覚、というのは分かりはしないけれど、それくらいの衝撃は走ったと思う。開いた口がふさがらない、どころではない。
息すらうまく出来なかった。

暫く、というのも本当に暫く。
一人でパニックを起こし、暴れまわった結果、私はその男の人に触れる事は終ぞ適わない、と言う事を知る。
けれどものに触れる事は出来た。
動かすことも出来る。

もしも。だ。
もしも私が幽霊と同じようなものの扱いなのだとしたら、つまりポルターガイストってこういう事かぁ。なんて事を考えることが出来るくらいには余裕が出来た。
というのも、ここまで落ち着くために私は丸二日を要したのだけれど、それと言うのも件の男の人があまりにも実弘くんそっくりで、隣に居れば落ち着くことが出来た。だからこそ、ゆっくりと事態を把握し、呑み込むことが出来たのではないかと思う。

正直、帰りたい。今すぐにでも帰って、実弘くんに抱きしめてもらって、「ンな事あるかァ?」なんて呆れた声で笑って欲しい。
そう思うけれど、ここ二日、何をするでもなくあの実弘くんのおばあさんの居たあの部屋の縁側。
実弘くんとおばあさんと、三人でこの男の人の姿を写真で眺めたその場所で、その男の人は静かに過ごす。

ご飯と、トイレと、お風呂。それ以外の時間は眠ることも無く、そこで過ごす。
手にはその真白な紙を握りしめて。

その紙が真っ白ではなく、文字の綴られた手紙らしい。
そう気が付いたのは四日目の昼下がりであった。
いつものように、縁側で日向ぼっこをするように足を放り出し、ただただ遠くの空を眺めるその後姿を私はぼう、と見つめていた。
そうしたら、その人は真っ白な紙をかさ、と乾いた音を立てながら開き、また静かに閉じた。
あんまりにも短い時間だったから、きっと中身を読んではいないのであろうことは容易に想像がつく。
一体何があって、その手紙を読みたくはないのか。
それ以前に、この人はどうして眠らないのか。
どうしてこんなに寂しげなのか。
私はただただそれが気掛かりだった。

だからぼう、とその背中を朝も、夜も見ていた。
私も、帰る手立てなんてわからないし、その上誰とも話すことは愚か、見えてすらいないと知ったのだから、どうすることも無かったのだから、ただこうして時間を潰している、と言ってもきっと過言では無い。
今日とて、いつもの通りにぼう、とその背中を見つめていた。
そうしたら、その男の人はなぜか指の欠けてしまっている右手で静かに首裏をかき、また小さい音で呟く。

「誰か、見てンだろォ」

「見てます」「います」そう、何度返したか分からない。
けれどあんまりにも伝わらないから、どうすれば良いのか分からなくなって、あと、この何にも変わらない日常風景も嫌になって、というのもあるのだと思うけれど、とにかく私はヤケを起こした。

すぐそばの障子に指を突き立ててやったのだ。
ぷすっ
と乾いた音を立てて、障子には私の人差し指サイズの穴が開く。

「……は?」

その隣に、私はもう一度、指を突き立てた。

「……………………ひゅ」

その男の人は、息を細く細く、いっそ細すぎて変な音が立つほどに細く息を吸い込み、そのままの勢いで立ち上がった。
立ち上がったと思うと、猛スピードで駆けだして凡そ人とは思えない動きでここを出て行った。

「……あ、あれ???」

あんな見た目だったし、何なら隈も酷いし、病人一歩手前、みたいな見た目だったのに。
そんな私の心配を蹴り飛ばすように駆けて行った。

する事も無くなった私は、その男の人の腰を下ろしていたそこに腰を下ろし、同じように空を見上げる。

「別に、何もないよね……」

現代とさほど変わることの無い、青い青い空が広がっていた。
そこには別段特筆することも無い。
少し白んだ青空に、雲の隙間から差す光。
そこを横切って、鳥が飛んでいく。
ただそれだけだ。
やっぱり手持無沙汰だったから、私は投げ出していた足を静かにぶらん、と揺らした。

空がオレンジがかってくると、なにやら表が騒がしくなってきて、家の中がドタドタと大きな足音でにぎわった。


「……気配はあんだよ、でも、やっぱ何もいねェ」

そう言うのは、実弘君に似たあの男の人だ。
件の部屋に、とても大きな、これまた色素の薄い大きな男の人を招き入れ、ぐる、と首を回しながらあたりを見渡している。

「確かに、なぁんか、居そうだなぁ」

口元に手を当てて、天井やらを眺めるその大男は、とても綺麗な顔をしているというのに片方の目を装飾たっぷりの眼帯で覆っている。
どこかで絶対に見た顔だ。
そう思って、私はよくよく目を凝らす。
多少近付いたところでどうせ見えないんだから。って、私は腰を上げて、彼らと同じ部屋に入った。
そうしたら何がどうしてか、近くにあった床に置くタイプの照明を軽く蹴ってしまった。

「あ!!ごめんなさい!」

聞こえる筈がない、と言う事はわかっているのに、思わず声を上げていた。

「……居る、なぁ」
「…………」
「帰って来い、不死川、ほら、こっち居ろって、」

にや、と笑いながら部屋から飛び出た「不死川」と呼んだ実弘くんそっくりの男をその大男は呼び戻そうとする。

「…………い、かねェ」
「ブハハハ!てんめぇ、っくく、ユーレイが怖ぇってかぁ?あの、天下の風柱様がぁ?っくくく、」

身体をくの字に曲げてゲラゲラと笑う男に、顔を真っ赤にしながら「不死川さん」は怒鳴りつけた。

「怖かねェわァ!!!」

そうは言いつつも、彼の背中は部屋を出て直ぐの廊下にぴったりと張り付いている。
いや、怖いんじゃないですか。そう言いたいのは、きっとこの大男も同じであろうことは息をするよりもずっと明らかだ。

「風かなんかだろぉ?誰もいやしね……」

そんな事を言われたから、思わず存在感を示しておこう。なんて世迷言を思い至ってしまって、外廊下に面した障子を閉めた。
そうしたら、びゅっと、何かが私の顔をすり抜けていって、庭にぷすっと刺さったらしい。

「……へ?……っきゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」思わず叫んだ。

「「ぎゃぁぁぁぁぁァア!!!!!」」彼らも叫んだ。

「塩!!塩持ってこい!不死川ぁ!!!」
「てめェが怒らせたんだぞォ!!責任取りやがれェ!!!!」
「しおッ!!!」

思う存分に私は塩を振りまかれ、気持ちの問題だけで身体についてもいない塩を払っておくことにしたけれど、何がどうなってこうなったのか。
もう暗くなり始めた空を見上げながら、私は「早く帰りたいなぁ」って願っていた。

「宇髄、今日泊ってけよォ」目を血走らせた「不死川さん」が静かにそう告げる。
そのことばに、ようやっとデジャブの謎が解けた。
そうだ。宇髄天満選手に似ているんだ!オリンピックにまで出たあの人!!!そんな事を考えながら、私は「不死川さん」に倣って「宇髄さん」へと視線を向けた。

「勘弁しろぉ、絶対ぇ帰る」
「……今日お前ン家行って良いかァ」
「ダメだろ。憑いてたらどうすんだよ」
「……憑いてンのかァ……」

その時の血走った目をこれ以上ない、ってくらいに大きく見開いて、震える声を出していた「不死川さん」の声があんまりにもおかしくて、私は少しだけ笑って、それからあんまりにも実弘君にそっくりだったから、やっぱり帰りたくなった。

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