短編 鬼 | ナノ

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初恋 3

情けない事なのかも知れないが、自分の事で俺は手いっぱいだ。
誰かの為に、と兄弟子である匡近のように考えられる余裕も、優しさも持ち合わせてなどは居ない。
少し前に会ったあの少女_名前の事も、すっかり忘れかけていた。__否、忘れようとしていた。
あの少女は、忘れてしまうには、あまりにも_不憫、いや、違う。
それだけではない。
それくらいの事は、わかっている。
兎に角、
気が向いた。
まさしくそうだったのだと思う。
鬼を共同の任務で、匡近と狩った後だった。
その時、俺も匡近も殆ど無傷だったのだ。それが行けなかったのかもしれない。
実弥、と匡近に名前を呼ばれ、指をクイ、と。つまりは挑発されたわけである。

「どれくらい強くなったか、見てやるよ!!」
「ハ!負けても、泣くんじゃねぇぞォ」
「あ、実弥ひっでぇ!」

血の気を冷ます為、と言えば聞こえはいいが、後から考えると確実に__まぁつまりは不発弾を抱えている様な状態だった訳だ。
お互いに__これ以上は、死ぬ。_そう思うくらいには生身の刀で『稽古』と称して、やりあった訳だ。
鬼を狩ったその山の麓でまぁ、やった。

「あ゛ぁぁぁぁあ!!くそ!!負けたぁぁぁあ!!!」
「……ハ、勝ちだ、なァ」

悔しい、と頽れたまま、土に塗れた兄弟子である匡近はごろごろと転げまわって、その悔しさをまるで駄々っ子よろしく体現していた。
それに倣うようにこちらも__いや、もう俺も限界だった。正直に言おう。立っているのも辛く、ただ倒れ込んだ。

そしたら、その視線の先にあった小さな花が厭に目についた。
__これ、確か食えたなァ
そう考えていたようにも思う。
緑に塗れて、その姿を隠すように小さく咲いた白い花弁が、まるであの少女の白い肌を思い起こさせたのだ。

手を伸ばして、ぐい、と力を籠めると、簡単にそれは手折れて、俺の掌に入った。
カァ、と頭上を旋回している俺の鎹鴉_爽籟に向けてそれを伸ばすと、嬉しそうにこちらにやってきて、手の中のそれを掴んだ。
特別に、何か意味を持っている、思い入れのある花などでは無かった。
幾度か湯がいて食ったことがある。
その程度のもの。
アイツみたいだ、とは思いもしたけれど、特にそれ以上の意味を持ってなどいなかったのだ。
その花を見て、思い出したから。__それだけ。

「行先は、わかるかァ」

匡近の前だからだろう。俺はどうにも口頭で爽籟には言いたくなかった。恐らく、からかわれたくなかったからだ。
その気持ちを汲んでか、少しだけ思案する素振りを見せた後、カァ、とまた一声鳴いて俺の手から鴉は飛んで行った。

「なんだよぉ、余裕かぁ?」

未だに息を切らしている兄弟子を笑い飛ばしてやりたかった。いつか、俺よりもっと強くなれよだなんて大人ぶって俺の頭を撫ぜたこの兄弟子に、お前より強くなったぞとでも、言ってやる。そんなふうに、思ったこともあったものだ。
だから、緩慢な動作で躰を起こしながら、

「余裕だァ」

俺はそう鼻で、笑い飛ばしてやったのだ。

そのまま、近くの藤の花を掲げた家がすぐそこに在る、と匡近は知っていたから、重たげな体を引きずるように俺を連れ歩いた。

そこの家は、名前の住んでいた藤の家よりももう少し大きかった。
まぁ、アイツの家には早々人は来そうにもねぇしなァ。広さなど、必要ないのだろう。
そんな事を思いながら、ぼう、と通された部屋で飯が運び込まれるのを見ていた。

湯浴みも終えて、そろそろひと眠りさせてもらうか、と同じ部屋に敷かれた布団の一つに匡近が転んだところで、爽籟が帰ってきた。

「オゥ、ご苦労さん」

一つ撫ぜつけると、嬉しそうに首を傾けやがるその動物らしい仕草を、俺は存外気に入っている。


部屋の外にやってきた気配に、俺も匡近も、何方ともなく目が覚めた。

「鬼狩り様」

そうしわがれた声で部屋の外から語り掛けてきたのは、間違えようもなく、ここの婆さんだ。

「ん、はぁい」

間抜けな声で匡近は返事を返しながら、ぼりぼりと頭をかいて。
俺は手早く隊服に着替え直していく。

「もうそろそろ、日暮れになりますが、」
「ありがとうございます。出ます」
「あい畏まりました。何か、必要なものは、」
「あ、大丈夫です!世話になりました!」

歯切れよくこなされる会話に耳を傾けながら、着替え終え、顔だけ洗いたくなったから、匡近よりも先に部屋を出た。
外に出る前に、婆さんが着物の綿を抜いているのを見た。__もう、そんな季節かァ。
遠いところで、そんな事に想いを馳せてから、顔を洗いに今度こそ外へ出た。

戻る頃に、丁度匡近とすれ違ったため、「ちょっと挨拶してくる」とだけ告げて、また婆さんの所へと戻った。

婆さんは、こちらを見ることも無く、まだ綿を抜いていた。

「それを、一つまみ貰えますか」
「真新しいものがあれば、それを出すんですけどもねぇ、」
「いや、それが良ィ」

思わず口調が戻ってしまい、あ、と思ったけれど、婆さんはそんな事には気にも留めず、

「いくらでも、」

とこちらに向けて綿を押し出してくる。

「ありがとう、ございます」

小さく頭を下げてから、ほんの一摘まみだけ貰い、「世話になりました」とだけ言って家を出た。
門戸を潜るよりも少しだけ速く、匡近がやってきて、それと同時に婆さんもやって来る。

「どうぞご無事に」

そう言って、火打石を幾度か叩き俺たちが見えなくなるまで見送っていた。

丁度、婆さんが見えなくなってから、匡近の鴉が、また匡近と共に任務だというのだから、爽籟に仕事はない。
だから、また名前に向けて、その綿を送った。
何度も言うが、そこに意味などは、無かったのだ。
__そういう季節だな。と今度はそう思っていた。ただそれだけで。


任務も終えて、爽籟が帰ってきた際にその嘴には真新しい白い紙を咥えていた。
匡近がこちらを見ていないのを確認してからその紙を開くと、ただの文字。
白い紙に書き記された、ただの記号のようなもの。
だのに、それに胸が締まるのを、俺は感じていた。__文通みてぇな、真似事をしているからだ。
こっぱずかしいだけだ。
そう、思うのだけれど、もう一度開き直した紙に書かれた文字に、俺は確かに暖かなものを感じていた。

『ありがとう。とても素敵な贈り物でした。ハコベ私も好き。』

胸の中が、やたらとむず痒く、口を引き結ぶことで俺はそれ以上何かを考えることを耐えようとしていた。_のだと思う。
そんな俺を見ていたらしい匡近は、いつの間にか俺の真横に並んでいて、

「ハ、ァ!?フッザケンナァ!!見てんじゃねェ!!!」
「実弥ぃ、静かにしようぜぇ、うるさいぞぉ」

にやにやと、何か言いたげにこちらを見るその面が、どうにもこうにも腹立たしかった。


匡近の事は、まぁこの際今回の話には関係が然程ないから、置いておこうと思う。
匡近の面倒くささはいずれ、誰かに話せれればと、思うのだ。

兎に角、
その一言に、俺の中でこの珍妙なやり取りは今後も続けることに決められた。
次は、きちんと意味のあるものを渡したかった。
あの少女の頬が綻ぶので、あろうもの。
あの少女、名前が喜ぶのであろう、見たことの無いようなもの。そんなものを、送りたかった。

安直だとは思う。
たまたま、次に就いた任務地がほどほどに遠かった。
だから、列車に乗り込んだ際の、乗車券。
それを送った。__聞けば、持ち帰らせてくれたのだから、送らない、という選択肢は無かった。

爽籟が帰った際に咥えていた紙には今度は、

『ありがとう。私もそろそろ、綿を抜かないといけません。もうすっかり暖かくなっていますね。』

そう、書いてある。

鬼殺の世界は、廻るのが速い__と思う。
毎日が、まるで駆けるように去っていくのだ。まぁ、自分が他の同期程の人間よりも、より駆けまわっているから、というのも理由の一つではある。
それを辞めるつもりも無い。
だから不満がある訳でも、ましてや辞めたい、だとかそういった気持ちは一切ない。一塵も、だ。

ただ、この一拍遅くに、遅れてやってくる返事のような『ありがとう』が、存外、心地よかった。のだと、今ならわかる。
俺の駆ける時よりも、ずっと遅くに廻るこのやり取りだけが、この世界と俺の歩調を調整していた。
そんなように、思う。


草木の生え放題に荒れた、廃寺の軒先で、雨をやり過ごした。蜘蛛の巣には雫が落ち、重たそうに垂れ下がっている。表の砕けたり、欠けたり削れたりと目も当てられない石畳に打ち付ける雨が跳ねっ返り、俺の足袋を濡らして、気持ち悪い。
にわか雨だろう。
じきに、止みそうであった。
ぼう、と門を見ていると、その脇に打ち捨てられている、ぼろの唐傘が落ちている。
じきに、ぽちゃ、ぽちゃ、と水滴が落ちるのみになった頃に俺はその唐傘の和紙を小さく千切った。
桐油の塗られたその和紙は、未だ綺麗に水を弾いている。

爽籟に千切ったそれを持たせ、「頼んだァ」と。
もしかしなくとも、俺は返事を待っていた。
あのやり取りを、どこかで欲していたのだと、思う。

『ありがとう。私も、遠くに行った気分になれました。あなたはどこまで行かれたのかしら。』

返ってきた返事に、頬が緩むのを、俺は確かに感じていた。

たまたま浜で見かけた、貝殻を送った。

『ありがとう。新しい傘を、ご用意くださいね。紫陽花が、綺麗に咲く季節ですね。』

あの廃寺に、新しい傘をわざわざ置きに行った。__これは、恥ずかしすぎるから、誰にも言いたくはない。
貝殻は、なんてことの無い、普通の貝殻だ。
けれど、きっと喜んでいるだろう。どこかでそう、確信していた。

たまたまだった。
たまたま、次の任務として言いつけられたのが、名前の住む家の近くだった。
何かが起こる前には退治をしなくては。
そう、息巻いていたのは、事実。
聞き込みなんぞをしながら、目に着いた本を買った。
今回の任務を終えたら持って行ってやろう。確かにその時に、名前の微笑む顔を想像していた。

その日、結局鬼は見つからず、酷い焦燥感に苛まれた。
また、失う。__それを想像するのが怖かったのだろう、と思う。
結果として、鬼はその翌日には狩り取ることが出来た。隠れるのが上手い鬼だったのだ。_そうきたか、といっそ感心してしまいそうになったことを覚えている。
それはもう、恨みがましく報告をした。_それも、まぁ、良い。
兎に角、鬼を狩る事が叶い、俺はどこか安心して名前の顔を見に行ったのだ。

いつかのように、切り株に座り、じぃ、と空を見上げているその姿を見た時には、声をかけるのを戸惑った。
綺麗、だとか、美しい、だとか。_そんな言葉では言い表すことは出来ない。
そうでは、無いのだ。
呂色の髪は、光を反射して、いっそ虹色に見えた。
髪の隙間から見える白い肌が、長らく陽を当てていたのか、赤らんで以前見た時よりも血色が良いようにも思う。
薄い着物が、陽に透けてその細い体を強調するようだった。
降り注ぐ木陰だけが彼女をこの世のもの足らしめているような。

「……わ、ぁ!!」

一つ、足を踏み出したことで、鳴ってしまった砂利の音に、洗いざらしの長い髪を揺らして名前は、こちらをようやっと振り返り、花開くようにその頬を綻ばせた。

「また、来てくださったのね!」

パチン、とその小さな両手を合わせて既に細めていたその両目を更に綺麗に細める。

「会えると良いなぁ、って、毎日お願いしていたのよ。叶えてくれたのね!」

ふふ、と笑う名前に、「誰がだァ」と、呆れた素振りを見せた。けれど、腹の熱さまでは、熱まではどうにも隠せそうにない。

「あなたが」

この少女は、こんなだったろうか。
初めて出会ってから、さして日は経っていない筈で、見違える、だとか、綺麗になったな、だとか。そういった感想を抱くのはきっと正しい物ではなくて、恐らく会っていなかった間に名前の姿を頭の中で変えてしまっていたのかもしれない。
多分、そうだ。
あなたが、と俺に向けて笑う名前に確かに胸が痛んだ。

「不死川、」
「不死川、さん。不死川さんって言うのね。」

嬉しそうに笑う名前に、彼女はこんなに笑う人間だったのか、と知った。

「あの貝殻!素敵だったわ!!潮の香りって言うのかしら、とても独特の香りがするのね。私、初めて嗅いだかも知れないわ!どうしたらあの香りがずっと残るかしら?
勿論切符も素敵だったわ。私、本当に遠くに行った気になってしまったのよ!きっと、不死川さんと一緒に行ったのよ!
不死川さんが、連れて行ってくれたのよ!」
「そ、かィ」

それだけを返すのにいっぱいいっぱいだたように思う。
喉がつっかえて、上手く言葉が出なかったのだ。

「いつも、ありがとう」

こんな顔で、そんな言葉を吐いていたのか、と。
胸が焼け焦げた。

「……やる」

そう、一言だけ落として、差し出したのはここに来るまでに買った本。
本当は、少し草臥れてしまっていたから、もうやるのはよそうと思っていたのだが、自分の行動一つ、たったの一つでここまで名前が喜んでいる事をなど、知らなかった。
嬉しそうに顔を綻ばせている事をなど、こうして、来るかもわからない鴉を、俺を切り株の上に一人腰かけて待っている姿をなど、知らなかった。
だからだ。

「わぁ、素敵!!これを読む度に、私きっと、不死川さんを思い出すわ。」

なんてことの無い、本。
今では、何を贈ったのかなど、もう覚えても居ない。その程度の物だ。
名前の事となると、いつも渡したもので後悔をしていたように思う。
俺の手に、名前の指先が触れた。
どうと言う事は無い。ただ、受け取るときに、少しばかり指先が触れた。名前が思っているよりも、俺の指が少しばかり長かった。
ただそれだけの事だろう。
だのに、予想していたよりもずっと熱かった名前の指先に、情けない程に身体が揺れ動いた気がした。

「ごめん、なさい。……また、お手紙、送っても、良いかしら」
「……好きに、しろォ」

大切そうに胸に本を引き寄せて、また頬をきゅうと持ち上げた彼女は涼やかな声で言葉を紡ぐ。

「無事を祈っているわ!」
「……アァ、」
「行ってらっしゃい」
「……」

がり、と頭をかいた。
その言葉に、俺は何も返せなくて。
またその細い背中が、小さく咳を落としながら、木漏れ日の中石畳を踏みしめていく姿を見る事だけしか出来ずにいる。
その背中が家屋に消えてから、ようやっと、足を動かすことが叶ったのを、俺は鮮明に覚えている。
名前の触れた左の手の熱が、暫くの間燻ぶって、指が爛れるのではないか。そう思う程に、熱かった。
だからだ。だから、あの日、そこに、温度を確かめるかのように、自身の唇を押し当てた。
燦々と降り注ぐ陽の下で、林立した木だけが、そんな俺を隠していた。


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