短編 鬼 | ナノ

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初恋 2

ごうと燃えてくゆる煙が、目に染みた。
だからだろう。
青い空に滲む錫色を、目を細める事で何とか見送ることが出来ていた。
別段、そうしなければ、、、、、ならないだとか、そういったことは無い。
このまま燃え尽きたら、どうせ下は砂地なのだから、燃え移る、だなんて心配も無し。
水だけ念のために、桶にもう一つくらい溜めに行っても良いのかもしれない。その為には動かなくてはならないのだけれど、先ほどから、どうにもここを離れる気にならないのだ。
まるで、地に向かって根っこが生えてしまったかのようだ。__否、自身の意志でここに居る。俺は、ただこれが燃えるのを見届ける必要があるから、そうしているだけだ。
別に意地を張っている、__というつもりはないが、兎に角すべてを誤魔化すように、すぐそばの縁側、天井を支え立っている柱に背中を預けて、着物の両の袖口に自分の手を仕舞った。
ぱち、と音を立てて矢張り火が爆ぜた。





目を開くと、真っ先に視界に映ったのは天井の木目の模様だった。
__あァ、気をやってしまっていたか、
そう頭が回ったのは、もう暫くしてからだった。随分と長いことそうしていたのかもしれない。

「失礼しますね、」

声をかけて入ってきて座したのは、先ほど山中で会った、壮年の女性の方であった。
_どうなりましたか、
と口にしようとしてやめた。
自分には関係のない事で、自分が気にかけてやる必要のない事である、とそう思ったからだ。

「あら、気が付かれましたか、良かった。……先ほどは申し訳ございませんでした。……言う事を聞かない娘なもので。
お恥ずかしい。」

首を小さく、静かに横に振りながら、垂れてきた頬の横の髪を綺麗な所作でかき上げたその女性は、目をきゅうと細めてから、こちらを見た。

「医者を呼びに行きたいのですが、生憎ここには今は私と娘しかおりません。
藤の家紋を掲げておりながら、あなた様方の身の回りの世話を碌すっぽできずで、申し訳ございません」

そう頭を下げられた。
__そうは言っても、切創は自分で縫い付けた。
そこに今清潔な包帯が巻いてあることは、こっそりと布団と、自身にかけられた着流しの隙間からなぞったことで知っている。
じゅうぶんだ。

「……いや、」

緩慢な動作で躰を起こしながら、漏らした自身の喉から出た音はひどく擦れた音であった。
何かに気が付いたように、女性は腰を上げて部屋を出て行った。

直ぐに戻ってきたその女性の手には、なみなみと茶の淹れられた湯呑がある。
渡されたそれは、熱くも無く、喉に入れやすい温度であった。その気遣い一つ一つに小さく感動を覚えながら、

「ありがとう、」

と、やっとこさ張り付かなくなった喉に空気を通してまともな音を落とす事が叶った。
また、手を伸ばしても届かなさそうな場所に座し直している女性が口を開き直す。

「今はもう正午になろうかという頃合いです。
お食事をお持ちいたしましょうか」
「あァ、頼めますか」
「あい畏まりました。_他に何か必要なものはございますでしょうか?湯浴みなど、必要でしたら、」
「……いや、来る前に済ましてきた」

にこ、とようやっと笑顔を見せたその女性は頭を一つさげて部屋を出て行った。
もしかしなくとも、壮年、と言うには、いささか若いのかもしれない。
かと言って、壮年、という言葉の意味を自分が正しく理解できているのかは、_怪しい。
もうそれは良い。
ゆっくりと起こした体を持ち上げながら立ち上がり、部屋に備え付けられている窓を開け放った。

ひゅるりと、どこか刺すような冷たさの風が室内に入り込んだ。
それでようやっと、随分と部屋が暖かかったことに気が付いた。
きっとこれも、何かをしてくれていたのだろう。

窓の外は、矢張り山。
木が幾本も折り重なった、山そのものの姿が見えるだけで、特段変わった様子はない。
ただ、二階に位置しているらしいこの部屋から下を見下ろすと、少しこの建物とは離れた所に、離があるらしい。
その屋根が見えていた。

そこから出てきたのは、先の少女。
山の奥の方をじぃ、と見据えてから、こちらを見た__気がした。
いや、間違いなく見たのだろう。
離れているから、はっきりとはしない_が、あの美しく、恐ろしいまでに黒々とした双眸がこちらを見ていた。
目が、合ったのだ。
ぺこ、と頭を一つだけ下げたかと思うと、矢張りまだこの季節には薄すぎる_そう思う着物を身に纏いつけて、足元の某かを拾い上げてから家の中、_離の中に入っていってしまった。

がり、と頭をかいて、暫くぼう、としているとやはりあの優しく涼やかな声で、

「失礼いたします。お食事の用意が整いましたよ、」

そう声がかかったのだ。
今度はそちらに体ごと向けて、出された膳に謝辞を述べながら膳を受け取りに行った。

美味かった。
久々に、落ち着いて食事をした気がする。
気を使うだろうから、と、女性がこの部屋を早々に出て行ってくれたのも相まって、落ち着いて食事が出来た。
それ自体が、もういつぶりなのか。
考えるとげっそりとしてしまいそうであるから、思い出すことはもうやめておく。
食事が終わったら、膳を表に出しておいて欲しい、そう告げられていた事を思い出して襖をあけたところで、丁度女性と鉢合わせる事となった。

「あら、もう、すみません。もう少ししてから来れば良かったですね。」
「いや、……さっきの、……」
「あ、あぁ!娘なんです。……街やら何やらに行きたいらしいのですが、……肺を患っているんです」
「あァ、」

眉間に皺を寄せた女性は、先の少女を思い出しているのだろう。

「どうか、気になさらないでくださいませ。名前も、鬼狩り様にはいつも感謝しております」
「名前……」

えぇ、とまたにこり、と笑顔を作った顔には先ほどの苦々しさは無い。


布団をあげ、刀の手入れを終え、もう一度、腹の傷を一つ撫ぜた。
いけるか、と腰を素早く上げると、ツキ、と痛みはするものの、問題は無いだろう。__そう判断出来るくらいにはまぁつまり、くっついていた。

「世話になりました」

頭を下げ、玄関口を出たところ。
その少し先、山の中ほどに建っているこの家から本当に少しだけ麓に向けて下ったところ。植わっている、小さな切り株。
__そこに少女は居た。
矢張り、黒と云う黒を総て集めたような呂の色、濡羽のような豊かな髪。
それをゆるりと揺らしながらこちらをそろりと振り向いて、視界に俺を入れてから、きゅう、と口角を上げた。

「こんにちは」
「……オォ、」
「もう、行っちゃうんですか」
「あァ」

通り過ぎようとした。
その時に、小さく、けほ、と。
それから、続けざまに、けほけほ。__めんどくせェ。
正直に言おう。そう、思った。
切り株の上に腰かけて背中を丸めて、こんこんと、小さな音でせき込んでいた。

「大丈、_」
「けほ、だ、だめ……来ないでくだ、」

手のひらをこちらに向けて、離てまたせき込んだ。
彼女の母親の言葉を思い出した。

『肺を患っております』

その言葉を聞いたときには、特に何を思うでも無かった。
有名な病があったな、と。そう、思ったくらい。
隔離されるだとか、そういったことも聞いたことはある。__きっと、彼女が隔離されていないのは、ひとえにこうして母親が隠しているから。
若しくは、その病では無いから。
けれど、こうして目の前で、こちらに来てくれるな、と手のひらを見せつけてせき込む姿は、確実にその病であろう、という想像は容易。

不治の病として名を馳せていたものである。
ゆっくりと、切り株から腰を上げて、自身から離れていく少女は、落ち着きを取り戻してからあの母親に似た顔をくしゃ、と笑みに変えて、

「ごめんなさい。うつると、いけないから。」
「……」
「行ってらっしゃい」

その小さな顔中に喜色を浮かべて両方の目を窄めて笑う。

「お話し出来て、嬉しかったです。」
「……そぉかィ」

切り株の直ぐ向こうから、彼女の家に向かって導くように地面に敷かれた石畳を、彼女_名前は踏みしめるように歩いていった。
その後ろ姿から目を逸らす事も出来ずに、俺はじぃ、とその後姿を、洗いざらしの髪が揺れ動くのを見ていた。



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