短編 鬼 | ナノ

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初恋 1

空は晴れ渡っていた。
雲雀の声が時折耳に入る。それ以外には、自身の、すっかり癖になっている呼吸の音と、ぱちぱち、と足元で火の爆ぜる音。
球形にも見える火の粉が、薄暗い色をした煙を伴って、その晴れ渡った空へと手を伸ばすかのように昇っていく。

自身の足元に、幾重にも重ねられた箪笥の引き出し。そこに山と入った書類やら、詰襟の隊服。
それから、藤の香袋やら、隊士時代のベルトに脛当て。
すっかり着流ししか着なくなってしまった自身には必要の無いものになってしまった。
ばさ、と引き出しの一つをひっくり返して、火にくべる。
そこからまた火が少しばかり大きく成って、燃え尽くされていく様が見えていた。

思い出、のような愛らしいものなど、自身には必要がないとひた走ってきた。
弟さえしあわせに成ってくれさえすれば良い、とただ弟の姿を視界に入れることも無く、駆けていた。
今になって言ってしまえば、__いや、やめておこう。
どういったところで、取り繕ったところで、弟は、家族は帰ってくる事は無い。
自分を置いて、皆行ってしまったのだ。

もう一つの引き出しを、ばさ、と火の上にさらにひっくり返した。
風が少しだけ吹いている。
然程感じていなかった暑さが、湿気が身に纏わりついて少しばかり不快に感じた。ただ、それだけだ。
特別な意味などはない。

「チッ」

決して、小さくはない音が口から出て行った。

燃えていく。
己の、身命を賭した総てが轟と燃える火に呑まれて逝く。
それで良かった。
全部、終わったのだ。
これで、終いだ。
もう、夜に掌をいっそ痛いほどに、握ることは無いのだ。

先代お館様が、亡くなり、輝利哉様が当代"お館様"と成られてすぐにお館様は隊士の為に身辺の世話をしていた。
これも、その一環であった。
お館様__矢張り、こう呼ぶべきだろう。_は、もう天涯孤独の身となり、生きる意味をすら失った俺に、伴侶を娶る様にと言った。
勿論、痣の事もある。
伴侶を娶る、と言う事はその先にあることも見越されているだろう__例えば、子供、だとか。
俺には先がない。
妻子を遺して逝くわけだ。
おいそれと頷く事等出来る筈も無かった。
ただ、それを受け入れることにしたのは、ひとえに相手方からの条件が都合が良かったからだ。
__その話は、まぁいい。
兎に角、その女を、伴侶を迎え入れる為に、今己は身辺を整理している。
今までの、全てをこうして火にくべて、兎に角_すっきりとしてしまいたかったのかもしれない。
もしかすると、何か、_やましい事、いや、そうではない。
彼女が知る必要のないであろうことを総て、無かったことにしてしまいたかったのだ。

万が一、「これは何ですか?」そう聞かれることの無いように。
それに応えるには、少々傷が深い。
そう、自分自身で思ったのだ。
もしかすると、それを語るときがいつかは訪れるのかもしれない。
もしかすると、早々に。
もしかすると、晩年に。
けれど兎に角、今はそうでは無かった。
誰にも侵されたくはなかった。_のかもしれない。

横を見ると、その引き出しが最後であった。
真白な紙ばかりが入っているその引き出し。

まだ塞がりきってはいない傷口が、疼いてくるような気がして、腹を指の足りない手で一つ撫でつけ、それからようやっとその引き出しを持ち上げた。
重くはなかった。
もしかしなくとも、先ほどまでの引き出しよりもずっと軽いのかもしれないそれを、ばさ、と火に落としたところで、
まるで火に舞い降りるかのように一羽の真っ赤な折り鶴がおちた。

「ッ、あ」

火を見詰める為だけに開いていた目が、大きく成ったのは
その鶴に想いを馳せてしまったからだ。
思わず口から音が漏れ出たのは、きっとそのせいだ。

_何故、今まで忘れてしまっていたのだろう。__否、忘れた事等は決して無かった。
そう、言い切れる。
確かにここに、あったのだ。
彼女との時間は、この先ほどの引き出しの半分に満たない小引き出しのたった一つで事足りてしまうものであったけれど、確かにあったのだ。
それら総てを覆い隠してしまうかのように立ち込めた錫色をした煙は、空に溶け込んでいくかのように上がっていく。
そこに、あの少女のこの世の全ての黒と言う黒を混ぜたかのような、呂色の、濡羽のような長い洗いざらしの髪をゆるりと揺らして振り向く姿を見た気がした。

それを追うようにゆるりと持ち上げた目が、空の明るさを捉えたけれど、夜に慣れ過ぎた目では目映過ぎた。
だからだ。
だから、煙の向かいつく、辿り着くところまでもは、目で追う事が出来なかったのだ。
そう、思った。






「お願い、……戻りたくはないの!!」

その叫ぶような声は、山の中でこだました。
足音の一つでさえいっそ響いてしまいそうな静謐なまでの空間は、その音によって姿を変えたと言っても過言では無いのかもしれない。
涙ながらに俺の後ろで声を荒らげる少女は、連れ戻しに来たのであろう壮年の小奇麗な女__恐らく母親か何かなのであろう。_のもとには帰りたくないのだと、俺に向かって何度も首をイヤイヤ、と横に振る。
俺よりもずっと小さなその手は、俺の羽織る物騒な文字を掲げた羽織をひし、と掴み上げている。
もしかすると、自分よりももう少し幼いその少女は、この時期に着るにしてはあまりにも薄い着物を着ており、こちらにやってくるまでは裸足で走ったのであろう。すっかり足には血が滲んでいる事が時折漏れるうめき声から察することが出来た。

「鬼狩り様に迷惑をかけてはなりません!!直ぐにその手を離しなさい!はしたない!!」

その少女を叱り飛ばす目の前の女にも、不死川は文句を言いたかった。
鬼狩り様だ何だと言うのであれば、どうだっていいから早く部屋を寄越しやがれ。__こちとら夜明近くまで鬼を追っかけ回し、切創の出血を止め、匂いが薄くなるまでしこたま洗い流し、阿呆かと自身でも言いたくなるほどに走った後なのだ。
端的に言おう。疲れている。

__これは、そう。__鬼殺に足を踏み入れ、匡近に拾われて鬼殺隊に入隊して暫くしてからの事だった。
自身と然程歳の変わらないであろう少女は、その薄い、貧弱そうな躰を全部をつかってその女から逃れるのに必死で合ったのであろうことが伺えた。

「どォでも良い、が、部屋を、貸してくれェ」

あの時、息がし辛かった。
もしかしなくとも、その山の空気が俺には合っていなかったのかもしれねェ。
今はそう思う。
段々と力の抜けていく俺を案じたのか、俺を盾にした少女は遂に抵抗を辞めたのか、ゆっくりと俺よりも前に出てその女に頭を下げた。

「……」

俺はその姿を見て直ぐに、意識を失ってしまったらしかった。
それが、彼女との、__名前との出会いであった。



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