俺がまだ数えで齢十二の頃であったと思う。
蛇鬼の潜屈となっていた、伊黒の家から杏寿郎の御尊父に助け出されたのは。
当時のことは思い出そうとせずとも、思い起こすことができる。
いや、それも違う。夜毎夢枕に執念深く現れる縁戚の者が恨めしい、怨めしいと俺の首を絞めるのだ。
片時も俺の頭から離れたことはなかった。

俺が命からがら逃げだしたことにより、俺の縁戚の者は、一人を遺し皆潰えていった。
当然の報いだと思う。
また、俺とてそうなるべきだ、とも思っていた。

俺が生きていたのは偏に杏寿郎の御尊父に「生きろ」と言われたからだ。
それも、「生きろ」と直接言う訳ではない。
なんの気力もわかず、出された食事も碌に口にしなかった俺に、杏寿郎は「しっかり食べないと、腹が減る!!」そう笑っていたろうか。
杏寿郎の御母堂は困ったように笑い、俺に何を言うでもなく口元へと包帯を優しく巻いてくれるばかりであった。
今思うと、もうあのころには御母堂の体調も芳しくは無かったのかも知れない。
そこには、今も後悔している。
俺がもうほんの少しでもしっかりとして居れば、もう少し千寿郎は御母堂に甘えられていたのかもしれない。
だが、其の頃の俺は、もう自分の事すらままなることはなかった。
日がな一日、杏寿郎に連れていかれた庭に面した一室で徒に時を費やし、夜は魘され、昼に舟をこぐ。
そんなしょうの無い日々を過ごしていた。
過ごしていた、と言うのも恐らく語弊だ。
ただ、生かされていた。

死にたい

そう思っていたのだろう。
今ならそう思う。
ただ生きる意味もなく、己の罪ばかりが纏わりつき、重りとなって体を泥濘に沈めていく。
そんな時間が苦痛でならなかった。
だが、杏寿郎の家で死ぬのはただただ申し訳なく、ただただ息をして居るに過ぎなかった。

そんな俺に、杏寿郎のご尊父は言う。

「その情けない面をやめろ」
「死にたいと思うなら、その命を人を救うために使って死ね」

その言葉に俺は目を剥いた。

「ひとの、ため」

恐らく、そう繰り返したと思う。

杏寿郎のご尊父は、煉獄槇寿郎は、俺に一筋の光を差し込んだ人であった。

「おれが、だれかのために、なるのでしょう、か」

口を開くたび、ずきずきと口の端が痛み、包帯には血がにじむ。

「おれは、だれかのために、しねるのですか」

初めて日の下で、こんなにも目を見開いた、と思う。

「おれが、だれかのことを、あなたのように、……おれに、できるのですか」

夕暮れ時の赤光りしたぎらつく日差しが、ただただ目に焼き付いた。
そこに立つ、煉獄槇寿郎という男が、俺の瞼に焼き付いた。

その日、俺は初めて「苦しい」と思うほどに飯を平らげた。
漏れ出る嗚咽も、嘔吐きも振り払い、ただただ口に飯を詰め込んだ。
口の端が切れ、じんじんとした痛みはずきずきとしたものへと形を変え、そのうち体が震えた。

「……小芭内、食べられるようになったんだな!!!!」
「杏寿郎、止めてあげなさい」
「はい!!!母上!!!!!!」
「あにうえ、おばないさん、くるしそうです」
「小芭内、少し落ち着くといい!!!!!!」

杏寿郎になだめられながら、俺は情けなくも、声を大にして泣いた。
痛かった。
つらかった。
苦しかった。
もうこんなものを味わいたくない、と、心底思った。
しね、と毎夜毎夜枕もとで囁く亡霊が恐ろしく、おぞましかった。
縁戚でも類縁の者でも、なんでもない。
夜毎立っているのは、俺だ。
自分が立っているのだ。

「はやくしね」

そう、俺に、俺自身が囁いていたのだ。

そんなことは、とうにわかっていたことだ。
そんなことは、誰よりも思っていたことだ。

□□□□□

「槇寿郎、どの」

そう、彼を呼び止めたのは恐らく十三を過ぎたころ。
鬣のような金色を結わえたその後姿を、俺は忘れることはない。
あの炎のような羽織は、燃えるような煉獄の人間そのものだ。
皆がまっすぐに生き、信念を追い求め貫く煉獄の姿そのものだ。

あの羽織を見ると、今でも眩しく、目を細めてしまう。

「お世話に、なりました」

俺が頭を下げる先に居る杏寿郎は、眉を珍しくこれでもか、と下げていたと思う。
その腰元へ抱き着くようにしがみ付いた千寿郎の姿をひどく朗らかな気持ちで見ていた気がする。
ふん、と鼻を鳴らす槇寿郎殿へは、言い知れぬ気持がこみ上げていた。

「……もう、行ってしまうのだな」
「杏寿郎たちと、ともに過ごしたことは忘れない」
「俺もだ!俺も!!!忘れはしない!!!!!」

ぐい、と袖口で顔を拭う杏寿郎を見たのは、後にも先にも、それが最後であっただろう。

「杏寿郎、俺も立派な鬼殺の隊士になる。だから、必ずまた見えよう」
「うん、俺は必ず立派な炎柱になる!!!!だから小芭内も、必ず柱となって俺の隣に立ってほしい!!!!!」

ぐ、と背筋を伸ばし、胸を張る姿は槇寿郎殿と瓜二つだった。
門の中から胸を張り、俺に頷く杏寿郎に、俺も大きく頷いた。

「約束だ」
「うむ!!!!」

門をくぐり、まっすぐ前を向く。
俺はもう一度振り返り、出来る限り深く、深く深く頭を下げて、また前を向く。
もう振り返ることはないだろう。

もう後ろは向かない。
そう決めて、隠に連れられ育手の元へと足を進めた。

□□□□■

あんな量の食事を摂ったのは、後にも先にもあの煉獄家でのそれも一夜だけであったし、その後には腹を下してもいる。育手の下で一番きつかったのは食事かも知れない。
と言うのは余談だが、とにかく、俺は槇寿郎殿の縁ある方に教えを乞うていた。
兄弟子たちは、歳の割に体も小さな俺を小馬鹿にし、必要以上に扱かれることもあった。
それでも、俺にはただ一つ、杏寿郎と交わした約束があればこそ耐えることなど造作もなかった。

どんなことをされようと言われようとも、あの鬼の下で過ごすことに比べれば、苦しくも怖くもない。
杏寿郎との約束を違える事に比べれば、辛くもなんともなかった。

兄弟子を何人も見送り、才のある後学にも先んじられることもままあった。

「焦るな。お前には才がある。問題ない」

育手の言葉も信用できず、無茶をし、怪我ばかりを繰り返していた。
そんな折だ。
十六になろうか、と言う頃であったか、と思う。
俺はとうとう、育手のもとを抜け出し、最終選別に行く後学の者の後をつけ、選別を受けた。

結果彼は儚くなり、俺は生き残った。
育手の方には何度も叩かれ、きつく叱られたが、その後俺を包み込んだ肌の熱と「心配するだろうが」と言う言葉が、やけに不快だった。



「西ィ!!!!!西ニ行ケェェエ!」

俺に宛がわれた鴉はそう俺に告げ、ただただ俺を歩かせる。

「おい、どこまで行かせようと言うのかね。……もう丸一日は歩いたというのに、まだ着かないのかね。まさか道に迷ったと言うのではあるまいな」

俺がそういうと、カァとひと鳴きした鴉は俺の頭を一つ突き上げ

「オマエ、シツレイ!!」

と叫ぶ。

「ええい!やかましい!!!離れろ!!!」
「カァッ!西!西ノ元ニ向カエ!!」

俺ははた、と足を止めた。

「西の、元?……はて、俺は西へ向かえと言われたと思ったが、お前は伝達が下手なのか?」
「チガウ!西ハ西ニイル!」
「………………」

じと、とした目でねめつけるのは仕方がない事と、あきらめてもらいたい。

後から知ったことだが、この時の鴉は俺に配属された鴉と言うわけではなく、俺を育てる事になる『西 勝猛』そう名乗る男の鴉であった。

つまりこれは、
俺が西勝猛と云う男に育てられ、柱になるまでの徒然日記に他ならない。

「カァ!!早クシロ!グズ!!」
「……アイツはそのうち焼き鳥にしてやろうか、鏑丸」

西勝猛と云う男

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