父上の声がして程なく、俺の前に左手に刀を持つ父上の逞しいお背中を見た。
いつかは斯くあるべしと、長子として超えるべき背中と思っていた父上のお背中であった。

父上は、母上が儚くなってから、いや、それよりも少し前。この目の前に居る西という男の話を初めて口にしてすぐ。
いや、もしかするとそれよりももう少し前から兆しはあったのかもしれない。俺が気が付かなかっただけで。
兎に角、どこか俺を避けるようになった。
今までは空いた時間があれば見てくださっていた剣術も、少し疲れたのだ、とだけ言い、無心で何かを読んでいる。
母上が儚くなってからは特に、酒に溺れ、俺が稽古をするのをただじ、と見られては何も言わずに閨に篭もるようになる。
その背中だけは、俺はどうにも好きになれなかった。

どうにかして、俺は父上にまた立ち直って欲しかった。
立ち上がり、俺に、千寿郎に向き合って欲しかった。

きっと、「立ち直ってほしい」と、「元気を出して欲しい」と。
そう言ってしまうことは簡単だ。
父上が俺に面倒を見るように、と言いつけ、少し前までここに住まわせていた小芭内へとしていたように、ただ側に居る事などをしても良いのかもしれない。
それは簡単な事だ。
けれど、俺は煉獄の家の長子。
父上の息子だ。
父上が俺に背中で語り続けたように、俺も俺のすべき事で成したことで語るべきなのだ。
きっと。

父上が、「よくやった」と「強くなった」と俺は言わせる事が出来るほどに強く成らなくては、確りとせねばならない。
そう、わかってはいる。
それでも、いつぶりか。
俺を導くかのように前に立つ背中を見るのは。
いつぶりだろうか。
こんなにも胸が打ち震えたのは。

「ちち、うえ」
「……」

俺に一瞥だけを寄越し「入れ」と、西さんに告げた。
告げて、俺に何を言うでもなくまた屋内に戻っていく。
その背中は、もういつもの背中であった。


西さんは、一連の動きをじぃ、と見てから静かに目を閉じる。
また開く頃には、その口角を上げて父上へと告げた。

「槇ちゃん、鬼殺隊辞めたんやてな」

ピタ、と父上の足が玄関を前に止まる。
父上はこちらへと、西さんへと振り返ることはせずに、「フン」と鼻を鳴らした。
まるで下らない、とでも言いたげに鼻を鳴らして、カラカラと玄関扉を引き開ける。

「入らんのなら帰れ」
「ち、父上!」
「ほなら、お邪魔しまぁす」

ピッと、右の手を顔の近くまで持ち上げた西さんは、ひらひらと仰ぎながら敷居を跨いだ。
それに続き、隠の者二人と隊士が一人。確かウメと呼ばれていた男達もそれに続くように入る。
そのうちの一人の隠は、しきりに頭を下げ、「失礼します」だの「お邪魔します」だのと腰の低さが一級品であった。


地響きがした、とでも言えばいいのだろうか。
西さんは中に入るなり、刀を鞘ごと腰から抜き去るやいなや、それを父に向けながら口を大きく歪ませて言う。

「辞めたんなら、私闘禁止、やないやんな?」

おもむろに玄関先の間口に体半分を入れ込んでいた父上は振り返り、静かに西さんを見据えた。
俺は、恐らく期待していた。
俺が「遅れますよ」と、父上を起こしに向かった際に放たれた「辞めた」と言う言葉に、どんな思いを抱いたか、きっと父上にはわかる日は来ないのだろう。
俺が、幾度あの酒瓶を割ってやろうと思ったのか等は、父上には解ることは無いのだろう。
けれどこの日、この時。
俺は期待をしたのだ。
また、刀をとってくれるだろうか。
刃を奮ってくれるのでは無いだろうか。
母上が、俺に強くあれと願うのと同じく、俺に責務を果たせと言うのと同じく、父上も斯くあれと母上は思っているに違いない。
その母上の心にも添えるのでは、無いだろうか、等と。

全身にカッと血が巡り巡り、手のひらには汗がにじみ息が上がる。
頬が熱い。
青々と晴れた空を切り取るように佇む西さんの手に握られた鞘から、するすると抜かれていく煌めく刃に俺は期待をせずに居られるはずがなかったのだ。
ああ、こうして、父上を気に掛け、やってきてくれる人がいる。
こうして、父上へと発破をかけてくれる人がいる。
父上に、刀を取れとまた共に歩もうと言う人が、いる!!
自身のことでは無いというのに、途轍もない震えが全身を駆け巡る。
俺は、もう口を開かずには居られなかった。
父上の、隊服をまた用意せねばならぬのでは無いだろうか。
羽織に、ないとは思うが、虫食いがないかもう一度見ておこう!!
俺も鍛錬をする、準備をしよう!
そうして俺は父上、と呼ぼうとして、失敗した。
父上は、

「くだらん」

そう、フンと鼻息とともに吐き捨てた。
その言葉に、西さんはくりくりと開いていた目を静かに細めて、やはり笑う。

「俺に、負けるんが怖いか?槇ちゃん」

そう笑った西さんは、石畳を避けて砂利の方へと下駄を踏み鳴らし歩いたかと思うと、上段に構え、ダンッと地が轟く程に大きく下駄で強く踏み込み、ニヤリと更に口を歪める。
鍛え込まれているのがわかる、頑強な腰をぐ、と入れている。
いつでも斬れるぞ、と。
攻撃だけを目的としているのがわかる構えをとっている。
防御をする必要は無い、とでも言うようだ。

「いつでもええんやで」
「……一般人へと刀を向けるな、バカモノ」

それでも、父上の体の横でダラリと垂らされた左の手に握られている刀は動くことはない。

「西、失礼やぞ」

ウメと呼ばれていた男は、西さんの肩へ手を引っ掛けて下ろせと言外に告げて入るが、俺はどこかでこのまま父上が刀を抜くのでは無いかと、抜いてくれるか、と。

「こんな事に、なんの意味がある」
「そ、そうですよ、西柱、」

男の隠の者、彼は先程頭を下げていた者だ。彼も、少し遠巻きにやめておこう、と言い募る。

「構えろや」
「やらん」

父上の言葉に、西さんは大きくため息を吐き出して、俺を一瞥してから「つまらんなぁ」と下駄を転がした。

「つまらんつまらん!湿気た面ぁしくさって!!前のときも結局刀の一つも抜きよらん!!!つまらん男や!下らん奴や!!」

西さんは、下駄で砂利を舞い上げ、父上へと飛びかかる。

「お前には!わからん!!何も!!」

サッと躱しながら叫ぶ父上の声が屋敷中に轟いた、と思う程にビリリと響き、思わず俺は父上の側へと駆け寄った。

「西殿!父上を!これ以上愚弄しないで頂きたい!!幾ら柱と言えど!!俺の、父上です!元炎柱です!!これ以上侮辱の言葉を吐くというのなら!!!」
「言うなら、なんや」

俺の直ぐ側で、ピタリと動きの止まった西さんから、途轍もない気迫を感じる。
父上に、聞いたことがある。
あの男は、歯止めの効かぬ・・・・・・・男だと。それの意味するところは、俺には分かりはしない。しないが、対峙して、俺に向けられた視線から得体の知れないものを汲み取るのは容易。
敵意、とでも、言うのだろうか。
はたまた、殺意か。
まだ選別にも出ていない、鬼とすら対峙をしたことも無い俺にはとてもわかるものではない。
初めて味わうそれに、むせ返りそうになる程であった。
脳髄が、痺れる。

「俺、俺が!!」

唇までもが、少し震えてるかも知れない。

「西、」ウメさんが、厳しい声で叱責するのが聞こえる。
「杏寿郎!戻れ」
「ですが、父上!!」
「戻れと!言っている!!」

父上の俺を叱り飛ばす声を、俺はどう受け止めるべきか。
俺に害が及ばぬようにと、心を傾けてくれているのか、はたまた煩わしいと言うのか。
父上のこと。
父上はお優しいから、きっと、俺を気にかけてくれているのだ。そう、思っても良いだろうか。
そう、思いたい。

「お前がいたところで、なんになる」

父上の言葉に、俺は下唇を食んだ。

「そーいう面倒い感じの親子喧嘩は他所でやれや!!もうええわ!そんな腑抜けは興味無いんやわ!帰れ帰れ!!」

俺と父上のやり取りに、全部のやる気を無くしてしまったのか、刀二振りを奇麗に腰へと挿し直し、肩に引っ掛けた着流しでそれを隠すように仕舞った西さんはギャンと吠える。

「気に食わんなら出て行け!」父上も吠え、
「こ、ここは俺の家ですが!!」俺も吠えた。

「槇寿郎君は帰れって言うならお見送りできないんですかぁーー!」

目を先程までの半分程にした西さんは両手を肩の位置でひら付かせながら唇を突き出して見せる。
煽っている。と、思う。

「客として扱われたいなら客としての振る舞いをしろ!!」
「ち!父上!!!」

父上の言葉は恐らく正論だ。
正論だが、恐らく客人に吐いていい言葉でも、無いだろう。

「西、お前も失礼極まりない態度やぞ。本当にすいません、コイツ……もう、すんません」
「フン」

ウメさんの言葉をすら鼻で笑った父上に、また西さんは眉をぎゅうと顰め、顰めたかと思うと今度は「ハッ」と短く嘲笑うような声を上げる。

「大体フンフンフンフンなんやねん!!鼻息荒いねん!稽古サボりすぎやねん息切れ速いわ!」
「……んふっ」

恐らく、唯一の女性であろう、隠の者の肩がふるりと震える。

「とっとと帰れぇ!!!」父上は、また唸りあげ、
「父上ぇぇぇえ!!!」俺も叫び上げた。
「あ、あにうえ……」千寿郎の不安げな声が直ぐ側から漏れ聞こえた所で、父上と俺の意識は西さんたちから逸れた。
けれど彼はそれすらも気に食わないとまた怒鳴り上げる。

「やから!お見送りしろや!!寂しいやろがぁ!!!」
「フン、もう俺に興味が無いと言ったのはお前だろう!胸に手を当てて思い出せ!」
「……オレ、生きとる……!」

西さんはご自身の胸元へと手を翳し、そぅっと空を見上げた。

「そうですね!!お元気そうです!!!」
「\どっ/」

俺の言葉に、両手をサッと広げながら「笑っています」と意志を伝えようとする隠の彼女の頭を、男の隠が叩きあげる。

「……おま、お前!」
「ったい!」
「もうはよ帰ろ、さおりちゃんが待っとるで」

ウメと言う眼鏡をかけた二枚目は、静かに門戸の方へと足を向けたところで立ち止まった。
隠の彼女の声が聞こえたからであろう。

「御不浄お借りしてもよろしいですか?」
「つ、嗣永ぁ!!」

また女性隠は男の隠へと叱られて居るが、それよりも、「ホッホッ」と笑いながら敷地へと入り込んでやってきた御老体へと俺の意識は向くことになる。
俺の隣へとやって来て、そぅと不安気に俺の袴を掴む千寿郎の体を引き寄せた。

「……井上さん」

小さな、父上の声が響く。

「すまんのぉ、空いてたもんでのぉ、入らせてもらったわ」

ほっほ、と笑う御老体に、西さんも意識を向けているのがわかった。

「息災そうで、何よりじゃ」
「ええ」

御老体の側に立つ蝶のような羽織の少女は恐らく、俺とそう歳は変わらないように見えた。
蝶の髪飾りを二つ頭につけたその少女はニコリ、と俺と父上へと静かに頭を下げ、御老体は西さんへと顔を向けていた。

「おんしも、最近顔を見せなんだのぅ。会議に出んのは、感心せんのぅ」
「任務と時宜が被っとんやわ。なんせ、一人でやってるもんでなぁ」
「今日、おんしを迎えに行くように、言うて鴉がワシに言うもんじゃから、来たんじゃが」

そこで御老体は言葉をとぎり、枯れ枝を思わせるほどの細い腕で、目にも止まらぬ速さで鞘ごと刀を振り抜く。
骨を折ったのかと勘違いしそうになる程の、派手な音が響く。
正眼の、所謂水の構えを何とか咄嗟に取った西さんのどこかしらを打ち抜いたらしく、西さんはそのままカクンと膝を折り、うつ伏せに倒れ伏した。

「化物が……」そう、父上が小さく呟くのが聞こえる。
うむ!あっぱれ!俺にはとんと、見えなかった!!
不甲斐なし!!!
強い、と言うのは、こうだ、と。
見せつけられた!
力もまるでなさそうな、細腕の御老体に!

「目上の者には、敬意を払わないかんじゃろ」
「もう、聞いてませんよ」

父上は言う。

「こう言う、天稟だけでやって来た様な小僧はいっぺん痛い目ぇ見たほうが、強うなる」

ほっほ、と変わらず笑う御老体は少しばかり丸まった腰をグイグイと反らしてから、真黒な着物の中へと腕を入れ込んだ。

「ほれ、そこの」クイ、と顎でウメさんを呼び付け

「担いだっておくれや」
「はい」

西さんの大きな体を担がせた。
恐らく、今この空間で一番大きな西さんの体を、ウメさんは担ぎにくそうに幾度も持ち上げ直す。

「そんなら行こうかね、煉獄も、邪魔したのぅ。養生しやれ。セガレあんまり泣かしなさんなよ」

御老体はそう言うやいなや、全員を引き連れて出ていかれた。

皆が帰った後の、父上の背中はまたどこか張りの無いものに戻っていた。

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